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万年筆と宝石  作者: 安井優
三つ目の扉 新聞社

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3-8 君のその癖のように

 社長はずいぶんと悩んでいるようだった。

「……何を馬鹿なことを、とおっしゃられるかと」

「今までなら、そういうさ。私は、伝統と歴史を守るこの新聞社の社長だから」

 社長は嘆息して、苦虫をかみつぶしたような顔を一つ。


「君が、嘘をつかないことは私が一番よく知っている。十五の時から、真面目に働く君をずっと見てきて――正直に言えば、君を息子のように思っているくらいだ」

 マークが目を見開くと、社長はふっと目じりを下げた。

「息子がいれば、きっとこんな感じだったのかもしれない、と……グローリア号が沈没した日から、ずっと思ってきた」


 雪が、音を吸い込むのだろうか。やけに社長の声がクリアに聞こえて、マークは記事を書いてみないかと言われた日のことを思い出した。

(あの日も、雪が降っていた)

 マークは、社長の肩越しに窓を見つめる。暗がりの中に点々と落ちる白が、なんとも刹那的(せつなてき)である。


「息子の頼みなら、仕方ないだろうか」

 新聞社がなくなってしまっても、と後に続くであろう言葉は、社長の口から出ることはない。代わりに少し寂し気な笑みがマークをとらえる。

「イングレスの真実を書くということは、そういうことだろう?」


 社長は「いずれ、どこかほかの新聞社が記事にしていただろうしな」と腹をくくったように小さく呟いた。

「どういうことですか?」

「君の口ぶりから察するに、知ったんだろう?」


 ――魔女のことを。


 社長は、ゆっくりと、けれど確かに、その言葉を口にした。

 もしも今、この部屋の前で聞き耳を立てている同僚がいたとして――彼らが司法裁判官へ連絡でもしようものなら、すぐに豪華なガソリン車がここへやってくるだろう。

 そして、マークも社長も、なんなら新聞社の人間たち全員、魔女裁判で死刑になってしまうだろう、とマークは漠然(ばくぜん)とそんなことを考えた。


「社長も、ご存じだったんですか」

「父が、生前熱心に調べていた。イングレスの、歴史と伝統を守るというのはそういうことだ、と私にもよく言っていた」


 つまり――先代の社長は、国と戦おうとしていたのだ。特に、先代の社長の時代は、魔女裁判が最も横行していたころだろう。口には出さずとも、マークと同じような思いを多くの人が抱いていたはずである。


「けれど、父は私たち家族と、魔女を守るために、その情報を公表することはなかった。私は、そんな父を見て育ったから……そんな命を投げ捨てるようなことは出来ないと、心に決めてきたんだ。今まではずっと」


 社長はソファから立ち上がり、鍵のかかった棚を開ける。

「ここに入っている資料は、全て魔女と魔法に関するものだ。昔の新聞記事のくり抜きから、言論統制によって捨てられそうになった資料まで、さまざまだ」

 つづり(ひも)だけで束ねられた資料がずらりと並んでいる。

 まさかこんな身近なところに、とマークは驚きを隠せなかった。


「私も結局、父と同じだということさ。これを捨てることも、燃やすこともできなやしない」

 社長は肩をすくめた。

「イングレスの歴史は、この百年で大きく変わった。あったはずのものがなくなり、最近では、なくなった、ということすらも忘れ去られようとしている」


 それでは、歴史が消えてしまう。

 社長はそういうと、改めてソファへ腰かけて、マークの瞳をじっと見つめた。


「想像している以上に、険しい戦いになるだろう。私たちは、無事ではいられない。命をむだにしてしまうだけかもしれない。君は、それでもやる、というんだね」


 マークが小さくうなずけば、社長は穏やかに目を細めて、

「君はそういえば、昔から物語を書くのが好きだと言っていたな」

 とどこか懐かしそうにそういった。


 マークは、社長にグローリア号が沈没した日からの出来事をすべて話した。それから、ユノに返してもらった原稿用紙の束を社長の方へ差し出して、

「これを、一冊の本にして出版したいんです」

 と頭を下げた。


 社長は頭をかいて

「うちは新聞社だからなぁ。印刷は出来るが、製本はどこかへ頼まないと」

 と苦笑する。新聞には製本作業がない。なんなら、表紙をつけることも出来ない。それでは格好がつかないだろうと言うのである。


「少し、知り合いをあたってみるよ。いや、それより先に内容の確認か」

 新聞の推敲(すいこう)とはわけが違う。誤字脱字や体裁(ていさい)のチェック、基本的な文章の書き方はともかく、表現や言い回しについては新聞の記事を書く人間でも専門外である。


「どこか、出版社の協力が欲しいところだが……こんな話が()れれば、あっという間に首が飛ぶ」

 仕事をクビになる、という意味とかけ合わせた社長なりのジョークだ。そうマークが気づいたのは数十秒の沈黙が続いてからのことであった。


「そう、ですね」

 マークがそんな相槌を打てば、社長は

「冗談だよ」

 と笑う。笑いごとではないのだが、国に喧嘩(けんか)を売る以上、笑うしかほかになかった。


「普通に売るのではだめだ。新聞の記事に混ぜ込むことも出来ないし、宣伝も駄目だ。だが、出来るだけ多くの人に手に取ってもらわなければ」

 マークは社長の変わりように目を丸くするばかりであった。

 だが、それもマークがいなくなったことで起きた変化なのだろう。


「忙しくなるな」

 社長は大げさに息を吐いたが、その声はどこか明るかった。いつもの、ピリピリとした、推敲(すいこう)に余念のない社長ではない。

 のびのびとしていて、無鉄砲で、無計画だった。


 社長は、珍しくスーツの内ポケットからタバコを取り出して、一本火をつけた。

「禁煙していたのでは?」

「もうやめだ。健康のために、と医者に言われていたが、長くないなら楽しまなければ」

 社長がふっと息を吐き出すと、タバコ特有の苦みと甘みが半分ずつ混ざったような香りがマークの鼻をツンと刺激した。


「入り口の壁時計の話を、以前したことがあったな」

 思い出話を語ると同時に、社長は再びタバコを加えた。たっぷりと吸っては、ゆっくりと息を吐き出す姿は、リラックスしているようであった。


「先ほど新聞社の入り口で、変わらないな、と思ったばかりです」

 マークは、伝統と歴史を守るという新聞社の役割をあれほど的確に表しているものもないだろう、と思う。


 ()()()の時計。あれは、イングレスの地に、標準時刻という概念が導入されるより前の時代のものだとマークは社長から聞いたことがある。

 標準時刻は、百年ほど前、先代の王の就任直前に制定されたもの。つまり、魔女裁判が制定される前の――まだ魔女と人々が共存していた時代のものだ。


 社長の祖母にあたる人が使っていた思い出の品だ。

 当時は、左回りの時計が当たり前のように存在していたのだそうだ。大切なものだから、と代々受け継ぐことになったと言っていたのではなかったか。


「あの時計は、私の祖母である……魔女が作ったものだ」


「え?」

「幼いころは、おとぎ話のように毎晩聞かされたものさ。もっとも、私が生まれた時にはすでに、標準時刻が定められていて、時計塔はその時を刻んでいたし……右回りの時計しか見たことがなかったからね。現実のことだとは思ってもみなかった」

 初めて聞く話である。マークは、社長の話を一言一句聞き()らすまいと耳を傾けた。


「魔女の時計は、みな左回りでね。あれも、例にもれずそうだった。何より、祖母の作った時計は、一度たりとも狂ったことがない。ぜんまいも、水晶も、電気もつかわない。魔法だから狂わないんだ、と聞かされた」


 マークがポケットに手を入れて、万年筆を取り出せば、社長は穏やかに目を細めた。

「相変わらず、君は変わらない」

 マークは、昔から何かにつけて話の最中にメモを書き留めていた。


「時の流れで変わっていくものも、変わらないものもあるが――変えてはならないものもある、と私は思っているよ」

 君のその癖のようにね、と社長は冗談めかして肩をすくめた。

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