3-3 気高い光
マークは、何かトーマスが重要な話をするのでは、と彼の一言一句を聞き逃さないように隣へ並ぶ。身廊と側廊がちょうど交差する、十字の中心。そこはさらに一段天井が高くなっているようだった。
「ここは、セントベリー大聖堂の見どころの一つでしてね。せっかく来ていただいたのですから、ここくらいはぜひ」
マークは、言われるがままに天井を見上げる。
扇状に広がった石柱の根本が四本。集まり、複雑な幾何学模様を描いている。ずっと見つめていると、高さのせいか、模様のせいか、万華鏡のようにクルクルと動き出していきそうな気がした。
その中心に描かれた新円にも同じく複雑な幾何学模様が描かれていて、それが金と青という目立つ配色だからか、余計にマークの目はおかしくなってしまいそうだ。
吸い込まれそう、とでもいえばよいのだろうか。
魔女のジュエルアイを見つめているときのような、不思議な気分だった。
「はじまりの魔女って」
マークは、高い天井を見上げながら、出来るだけ小さな声でトーマスに尋ねる。トーマスもまた、マークの方は見ずに答えた。
「私たちの間では、世界を作った最初の女性だとされています。女神、聖女……呼び方は様々です」
トーマスは、止めていた足を再び前へと動かした。カツン、カツ、と天井から遠ざかるにつれて、足音の反響も小さくなっていく。トーマスはやがてパイプオルガンの前で立ち止まり、マークを見つめた。
「さ、行きましょう」
パイプオルガンの裏側を覗いたことのある人間が、この世に一体何人いるだろうか。
「これは……っ!」
マークは思わず声を上げ、慌てて自らの手で口をおさえた。
パイプオルガンの裏側には、人が一人通れる程度の小さな扉があり――それは、まさに、秘密の扉と呼ぶにふさわしかった。
トーマスは、左耳につけたエメラルドのピアスを器用に外して、扉の鍵穴に差し込む。
「オープンセサミ」
マークにはずいぶんと耳になじんだ魔法をトーマスが唱えれば、そのドアノブはカチャン、と音を立ててひとりでに回った。
「魔女協会への入り口は、魔法でしか開けることが出来ません。ここに勤めている聖職者でも立ち入りを許されているのは限られたものだけです」
隠し扉には驚くのに、魔法には驚かないんですね、とトーマスが笑う。
「少し暗いですから、足元にはお気をつけて」
大理石の階段は、トーマスの言う通り薄暗かった。完全な暗闇でないのは、階段の壁にところどころランプが取り付けられているからだろう。ろうそくや電球ほど直接的な明かりではないが、十分だった。
何段か、何十段か。階段を下りきったところは大きく開けたホール。セントベリー大聖堂のどこか洗練された雰囲気とは一線を画す、大胆さがあちらこちらからのぞく。壁の重厚感が増し、半円アーチの柱が天井を支え、柱頭に施されたつる草の装飾が見事だった。
「ロマネスク様式ですか」
これまたずいぶんと古い、とマークが目を丸くすれば、トーマスは小さくうなずいた。
「元々、この地下聖堂こそが、本来の聖堂だったのです」
地面の下に埋まっていれば、戦争や火事が起きても被害が少ないと過去の人々は考えたのだろう。
「セントベリー大聖堂よりも百年ほど前に作られたものです。その後、より多くの人々を救うために、この教会の上に大聖堂が増築されました。セントベリー大聖堂は何度かの改築や増築を繰り返し、今の形に」
そうしているうちに、次第にもとの教会の存在は忘れられていくこととなる。
それを利用したのが、魔女と、そして魔女を救いたいと考えていたこの教会の聖職者たちであった。
トーマスがそんな風にイングレスの隠された歴史を説いているうち、小さな足音が聞こえた。
「お待たせしてごめんなさい」
ピアノの弦を弾いたかのような、美しい声だった。
マークの視線は、その特別な瞳に吸い込まれた。いや、それを瞳と呼ぶべきかどうか、マークは迷った。
シルバー、グレー、プラチナ、ブラック、クリア、ホワイト。
何色ともつかぬその女性の瞳を、『特別なもの』という言葉以外では、表現することが出来なかった。
「アリー・アダムスです。初めまして、マークさん」
透き通るようなプラチナブロンドの髪は、腰までスラリと一つのくせもなく伸びていて、癖毛のマークには羨ましいほど綺麗だった。ダイヤモンドが埋め込まれたような瞳はもちろん、ピアノのような声も、しなやかな体も、全身が彼女を特別な魔女だと示していた。
「は、初めまして。マーク・テイラーです」
マークが慌てて頭を下げれば、アリーはクスクスと笑った。
「ユノから聞いていた通りの人ですね。優しくて、魔女にも分け隔てなく接してくださると」
いつの間にそんな話をしていたのだろう。マークは恥ずかしくなって顔を赤らめた。
「トーマスも、ありがとう」
「いえ。私も、ディーチェから話を聞いていましたので、マークさんにはお会いしたかったんですよ。これで等価交換です」
トーマスの単語には、マークも聞き覚えのあるものばかりだった。
魔女協会に来たんだ、とマークは実感する。
――イングレスの首都ロンドに、本当に魔女が。
「驚かれたでしょう」
アリーの言葉が、何に対してなのかは分からなかった。けれど、何に対しても驚いてばかりいるマークには関係ない。
「正直、とても」
マークの答えに、アリーもトーマスも、ふ、と柔らかに目を細めた。
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アリー・アダムスは、この魔女協会を設立した女性の一人である。
魔女裁判が収束を見せていた三十年ほど前、ここ、ロンドの地に生を受けた。アリーの両親は晩婚で、子を成したことは奇跡だったという。
聡明な両親の血を、アリーもまた受け継いだ。
幸いだったのは、アリーの父が大きな病院の院長を務めるほどの人間だったこと。そのおかげか、それとも裏で何かあったのかは分からないが、彼女は神の加護によって守られた。
彼女にはテレパシーの力があった。それがまた、魔女たちを救うには十分な力だった。
赤子とはいえ立派な魔女。テレパシーは、同じく魔力をもつ魔女たちとの思考を共有することになる。
病院で生まれた魔女の何人かも、そうしてアリーと同じく守られることとなった。
アリーが魔女協会設立を決めたのは、二十年ほど前。アリーが十歳の時である。彼女は、大人の魔女たちとつながりを得て、魔女を助ける活動を始めた。
両親は、大聖堂の人々と軍人との繋がりがあり、アリーの世界への旅立ちを手伝った。
当時、アリーの周囲にいた魔女の中でも、とりわけアリーと親交の深かった三人が協力してくれるということになり、四人で魔女協会を設立したのが始まりである。
アリーは、人と敵対したいわけではなかった。彼女の周りの人間は、両親を含め、この大聖堂の人間も、軍人も、皆優しい人たちばかりだったからである。
当然、中にはアリーの考えに反対する魔女もいて、そういった魔女は自然と離れていってしまったが――アリーにとってそれは些細な事であった。
こうして、アリーは今なお多くの魔女を救っているのであった。
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「魔女と、人々がもう一度、手を取り合う世界を作りたいの」
アリーは、マークの方へと手を差し伸べた。
「そのために、マークさん。あなたの力を貸してはいただけませんか」
強く、どこまでも強く――気高い光。
はじまりの魔女というのは、もしかしたらアリーさん自身かもしれない。
魔女は短命だと知っているのに、マークはそんなことを考えてしまう。それほどまでに、彼女は誇り高く、まっすぐで、力強かった。
「僕なんかで良ければ」
マークは、迷うことなく手を差し出した。
触れた手の冷たさが、アリーの緊張を感じさせ、マークは思わず頬を緩めた。
「魔女と人が、手を取り合う世界を作りましょう」
アリーには、マークの柔らかな、春を連れてくるようなそんな笑みが、フォレストグリーンの草木の芽吹きを感じさせるような瞳の色が、心底美しく思えた。