2-15 新しい世界を
聞いたこともないような爆音と打ち付けるような爆風に、マークとユノは体をこわばらせた。バラバラと鳴り響く音は外からで、とびら屋の窓ガラスは今にも吹き飛んでしまいそうである。
窓の外に視線を写した先に見えた、大きく白い『何か』。鳥のようにも、悪魔のようにも見えたそれは、一瞬にして砂嵐に消えてしまった。
「今のは」
二人は慌ててとびら屋の外へと飛び出した。
だが、白い砂塵が濛々と吹き荒れていて、視界は悪く。
マークもユノも、砂から目を守るよう咄嗟に腕で顔を覆う。口の中にも海水や砂粒が入ってきてしまいそうで、二人はきつく口を結んだ。
音と風が止んだと思った次の瞬間、常夏の島にぴったりな明るい女性の声が響いた。
「はぁ~い! ユノちゃん、元気にしてた?」
ユノは聞き覚えのある声にゆっくりと目を開け……、そこにいた女性の姿にパッと顔をほころばせた。
「ジュリさん!」
マークは、ジュリ、とユノが呼んだ女性の方へと視線を向ける。彼女はちょうど白いストローハットを取ったところで、そこからこぼれた深紅の長い髪が潮風に揺れた。
その隙間に覗く、髪と揃いの真っ赤な宝石のような瞳。
――彼女も魔女だ。
マークは美しい女性に息を飲む。
「驚いた?」
「もちろんです! 何があったのかと」
パチン、とウィンクを投げかけるジュリに、ユノは頬を膨らませて抗議する。少々これはやり過ぎだ、と言いたいのだろう。マークも、ユノの意見に賛同だった。
「確かに、近づけすぎたら、とびら屋ごと飛んで行っちゃいそうね」
とびら屋の看板に垂れ下がっていたマゼンタの花が、風の影響を受けてすっかり明後日の方へ向いてしまった。
気を付けるわ、とユノの頬にあいさつ代わりのキスを落とす。直後、その瞳は流れるようにマークを捉えた。
「あなたが、魔女の物語を書いてくれるって作家さんね」
ジュリの瞳は、見つめていると吸い込まれてしまいそうな鮮やかだが深い赤。ルビー色とでも言えばよいだろうか。ジュエルアイの名にふさわしい、神秘的で人を魅了する瞳だ。
大人の女性、という雰囲気も相まってか、マークは思わずたじろぐ。
「あら、やだぁ! そんなに緊張しないでちょうだい。取って食ったりしないわ。あなたのお迎えに来たの。とはいっても、運転は彼だけど」
ジュリは柔らかな赤毛を揺らして、後方へと視線を移す。マークがつられた方向――渚に止められた大きな機体から青年が飛び降りた。
茶色の髪にアーモンド色の瞳を持つ青年。マークと同じ人間だ。
「あの方は?」
ユノが尋ねると、ジュリは茶目っ気たっぷりに
「ワタシのお友達よ」
とウィンクを一つして見せた。
こんにちは、と波を蹴り、砂浜をかけてきた青年がマークに手を差し出す。
「ロンドの街まであなたを送り届けます。シーフォックスのパイロット、エリックです」
おずおずと差し出したマークの手を握るエリックの手はゴツゴツとしていて、パイロットとして真面目にハンドルを握ってきたことを物語っていた。
「あれは、飛行機……ですか?」
飛行機は、先の戦争に使われたと聞いているが、マークも本物を見るのは初めてだ。
ユノに至っては、飛行機、という言葉自体を知らないようで、きょとんと首をかしげていた。
白の機体は、まるで大きな鳥のようにも見える。機体の前方、中心に取り付けられた大きなプロペラが、おそらく爆音と爆風の正体だろう。今は止まっていて、シン、と静まり返っているが。
特徴的なのは着水している部分で、ともすればボートにも見えるような形の足が二つ生えている。
「シーフォックスは、水上機ですよ。ジュリさんが、滑走路もない孤島へ行きたいというので、海に着水できるよう軍から拝借してきました」
エリックは悪びれた様子もなくケロリと言ってのける。
「軍!?」
マークの顔は青ざめた。
――まさか、自分やユノを処罰しに来たのでは。
そんなマークの表情に、エリックはクツクツと笑いをかみ殺した。
「軍と聞くと、皆さんそういう反応をされる。軍と魔女協会は繋がっていますのでご安心を。もちろん、公にはしてませんがね」
マークが理解できない、と数度まばたきを繰り返せば、エリックはいよいよ笑いをこらえきれなかったのか、声を上げて笑った。
「ははっ、すみません。正直、俺にも詳しいことは分からないのです。ただ、今の軍の最高司令官……元帥にあたるお方は、魔女を敵だとは思っておりません。王族や司法の人間こそが、我々の敵だと認識しております」
エリックはそういうと、ユノの方へと視線を向けた。
「俺は、人も、魔女も守りますよ。お約束します」
マークは、魔女を認めている人間など、イングレスにいないと思っていた。
だが、どうだ。
イングレスの国にも、まだまだマークの知らないたくさんのことがある。
「それじゃ、行きましょうか」
エリックは魔女二人に軽く手を上げて、マークにはついてくるように、と視線で促した。
マークがユノを見つめれば、ジュリがユノの背中を押す。ユノの右足が自然とマークの方へと前に出た。
「あ、その……」
まさか、こんなにもあっさり別れが来るとは。
マークも、ユノも、お互い同じ気持ちで見つめあう。言葉はうまく出てこなかった。
「魔女集会で……後で会うのに、お別れなんてなんだか変ですね」
マークはなんとか言葉を探して、へらりと笑う。情けない顔になっているだろう、と思ったが、今は気にしている余裕などなかった。元々、ユノには情けないところばかり見せているのだ。
ユノは、つられたように笑う。
「私、ずっと待ってます。マークさんが、本を出してくれること」
絡めあった小指を、海風が撫でて通り過ぎた。
「僕も……また、ユノさんと新しい世界を見たいです」
魔女と人が紡いでいく世界を。
マークは小さく手を上げて
「それじゃぁ、また」
そういった。魔女集会でも会うのだし……何より、その後もユノと会えるように、と願いを込めたかった。
マークは、エリックの後に続いて砂浜を駆け出す。
初めて島に着いた日と同じ。白い砂浜、青い空、どこまでも果てしなく続く海。
秘密の楽園での日々を思い出しながら、マークは水上機へと乗り込んだ。
「マークさん! また!!」
ユノが張り上げた声は、水上機がプロペラを回し始めたことで、ほとんど聞こえなかった。初めて乗る水上機の窓から、大きく手をふるユノと、ジュリの姿を見つめる。
彼女たちは、この後、魔法でイングレスへと向かうのだろう。
数時間後にはまた会える。マークは自らの心に言い聞かせて、前を向いた。
「出発しますよ。しっかり掴まっててくださいね」
エリックに促され、マークは手近なバーを掴む。次の瞬間には、波をかき分けるような音と、プロペラの音、風を巻き上げる音が響いて、機体は大きく揺れた。
窓の外から下を覗き込むと、大量のしぶきがあがり、青い海は細かに泡立って白んでいる。波の形は水上機の周りだけ歪み、円を描いて流れていった。
ガクン、と衝撃を受けたかと思えば、水上機が徐々に上昇していく感覚があった。
あんなに近かったはずのとびら屋も少しずつ小さくなっていて、当然、手を振る二人の魔女の姿も、小さくなっていった。
「う、わ」
高度を上げた水上機が、波を切り裂き、空へと角度を変える。
マークが息を飲むと、エリックは対照的に息を吐き出した。
「高度が安定したら、もう少し揺れも収まりますよ。しばらくは我慢しててください。気持ち悪くなっても、我慢してくれると助かります」
ジョークか、本気か、マークには判断がつかなかったが、風の影響を受ける小型機は、想像していた以上に揺れた。
しばらくすると、機体の揺れもずいぶんと収まり、マークはようやく深呼吸を一つ。
「どうですか? 初めての飛行機は」
マークの緊張が少し和らいだとわかって、エリックもどこか安堵の笑みを浮かべた。
マークは何というべきか、と迷って眼下に広がる海を見つめる。どこまでも続く海に、ポツンとユノがいた島が一つ、後方に浮かんでいるのが見えた。
「正直、驚くことばかりです。僕は……なんだか、ずいぶんと狭い世界に生きていたんですね」
マークにとってはなんてことのない言葉だったが、エリックからしてみればなんと詩的な言葉だったことか。
「なるほど。俺には、考えもつかない感想です」
エリックの感心したような物言いに、マークはきょとんと首をかしげた。
「あなたに興味がわきました。良ければ、少しお話がしたい」
エリックは、視線はそのままに続ける。
「ロンドの街までは時間がありますから。ここなら誰かに聞かれることもない。空にいる間は、俺も、あなたも、自由ですよ」
マークにとっては、その言葉が魅力的で、なんと格好の良い青年だろうか、と思うのだった。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。
第2章はこのお話をもっておしまいとなります。
続く第3章はマークがロンドの街へ戻ってからのお話が中心です。
新しいキャラもどんどん登場して、ますます物語は進んでいきます。
引き続き、お楽しみいただけましたら幸いです*