2-12 嫌いなのに
「ディーチェちゃん!」
砂浜を蹴り上げるディーチェの後ろ姿に、ユノは声を上げた。
おそらくディーチェは、マークのところへ行こうとしているのだろう。そう感じとって。
「多分、マークさんなら、あっちだよ!」
ディーチェの走り出した方向とは反対の方角を指さして、ユノは声を張り上げる。ディーチェは振り返ると、我に返った、とでも言うように目を丸くして
「べ、別に! ちょっと海がみたいなって思っただけよ!」
とユノの方へ戻ってくる。
それから、握っていたままの原稿用紙をユノのほうへと突き返した。
「ユノの大切なものだから、濡れると大変でしょう」
ディーチェは、ふん、と顔を背ける。なんとも可愛らしい照れ隠しだ。
「この先に、森へ続く道があるの。一本道をずっと登っていくとね、この辺りが一望できる丘のてっぺんにつくから……良かったら行ってみて」
ユノは、ディーチェから戻ってきた原稿用紙をそっと抱え込み、ディーチェに提案する。そう、これは提案だ。別に、マークがそこにいるとは一言も言っていない。
「き、綺麗なところなんでしょうね?」
「もちろん! きっと、ディーチェちゃんも気に入ると思うよ!」
ユノが、ディーチェの背を押せば、ディーチェは「わかったわよ!」と声を荒げ、森の方へと歩いて行った。
人と魔女が手を取り合うチャンスを、どうかもう一度。
ユノは、人のいなくなったとびら屋で、一人願うのだった。
・・・・ ・・ ・-・・ ・-・・
ディーチェはむしゃくしゃとする気持ちを抑えつつ、森の小道を登っていく。普段、魔女協会のある大聖堂の中を少し歩き回るくらいのディーチェには、緩い上り坂でさえ、長く続けば険しい道だ。
「なんで……アタシが、人間のために」
ハァ、と一つ息を吐き出して、休憩、と大きめの岩のあたりに腰を下ろした。
ディーチェは、キョロキョロと周囲を見回した。ユノのもとを訪れる時は、とびら屋の中ばかりで、少し外へ出たとしても砂浜のあたりばかり。森へ入ったのは初めてのことで、とびら屋で一度だけ見せてもらった景色に、どこか似ている、と思った。
海風に揺れる木々の音が、波の音色に混ざって心地がいい。緑の間から差し込む木漏れ日は柔らかで、大聖堂のステンドグラスに差し込む光を思い出した。鳥のさえずりや、どこかひやりとした新鮮な空気。土や岩の感触でさえ、ディーチェには初めてだ。
――そういえば、森の話もあったわね。
ふとマークが書いた物語を思い出して、ディーチェはブンブンと頭を振る。
「あいつの書いたお話なんて……!」
全然面白くない、と言いかけて口をつぐむ。
魔法が出てくる物語はおろか、魔女が主人公の物語なんて、存在しないと思っていた。
「……あいつの書いた、お話なのに」
それと同時に、ユノや、他の魔女のように、人間のことを素直に許せない自分にも腹が立つ。
悪いのは人ではなく、罪であり、法律である、とディーチェは知っている。魔女協会に拾われて、最初に教えられたから。
だが、それを受け入れられない自分は変だ、とどこかで思っていたのだ。
「魔女と、人が手を取り合う……」
ユノの言葉を反芻して、そんなことが本当にできるのだろうか、とディーチェは思う。
ディーチェはまだ子供で、政治のことや法律のこと、難しいことは何もわからない。大聖堂でディーチェと接する人たちは皆優しいが、それは、魔女協会が利用する価値のあるものだからだと思っていた。
ディーチェが一人だったら? 彼らは同じように手をとってくれただろうか?
ユノとマークが互いに認め合えたように、彼らと仲良くできるだろうか。
ディーチェはそんなことを考えて、ゴシゴシと目をこすった。
ディーチェの魔法は、少々特殊だった。
魔女にとっては、それまでの世界を一変する素晴らしい魔法。だが、人間にとってはなんの意味もなさない魔法。
――魔法をかけられるようにするための、魔法だなんて。
ディーチェは、自らの手のひらを木漏れ日にすかして呟く。
「変な力……」
テレパシーや、テレポートという魔法は、従来、とても不便な魔法だった。
魔法の力を持つ同士でなければ使うことも出来ず、いうなれば、魔女同士、一対一の小さなやり取りに限定されていた。
だが、ディーチェの魔法によって、その常識が覆る。
ディーチェがガラスの板に魔法をかければ、そのガラスの板に、テレパシーの魔法を込めることが出来るようになったのだ。
これにより、魔女たちは皆テレパシーやテレポートが自由に使えるようになった。
「あなたには、私たち魔女をつなぐ力があるわ」
そう言われて、ディーチェは嬉しかった。
自分にも、存在意義があったのだ。魔女たちを助けることが、自分の役目だ。
だからこそ、魔女を排除しようとする人間に対しては誰よりも敏感だった。
「でも、もしも……アタシに人と、魔女をつなぐ力があれば……」
ユノみたいな、力があれば。
ないものねだりだとはわかっていても、ディーチェはそんな風に考えてしまう。
もしも、そうであれば、自分も人間を素直に許せただろうか、と。
ディーチェは、くだらない、と子供じみた自分の気持ちにフタをして立ち上がる。はぁ、と一つため息をつき、丘の頂上を見上げる。
「どうして、追いかけてきちゃったのかしら」
――人間なんて、嫌いなのに。
それでも、ディーチェは、来た道を引き返すことは出来なかった。自分に負けたような気がして。
「……最悪ね」
頬を伝う汗をぬぐって、ディーチェは丘の頂上へと続く道を再び登った。
「これで、あいつがいなかったら……絶対に許さない」
独り言を繰り返すディーチェの前に、やがて開けた高台が見えて、思わず駆け出した。
ザァン、と波の音がクリアに聞こえ、おそらく頂上だ、と気持ちが昂った。
ディーチェの到着に、マークは振り返った。ユノが迎えに来たのだろうか、と思ったそこには、ブロンドの髪と美しいスカイブルーの瞳があって、反射的にマークは視線を外す。
ディーチェには、どうも嫌われているらしい、という自覚があるだけに、自分から話すこともためらわれた。
「……どうして、いるのよ」
マークがあたりをキョロキョロと見回せば、
「あんたに話しかけてるに決まってるでしょう!」
ディーチェは声を荒げる。
どうして、と言われましても、とマークは返事に困る。どちらかといえば、マークが聞きたいくらいなのだ。
「あんたが、こんなところにいなきゃ……」
今までみたいに、人間なんて嫌いだ、と言っておしまいに出来たのに。
ディーチェは言葉を飲み込んで、キッとマークをにらみつけた。
マークは、返事をしなかったのがまずかった、と慌てて頭を下げる。
「す、すみません……。その、僕のせいで」
「別に、あんたのせいじゃないわよ」
ディーチェは、ストン、とマークから数歩離れたところに腰かけた。
「だ、だけど……この島は、魔女の島で! そ、それに! ユノさんとのことも!」
「はぁ!? ユノとあんたに、何かあったの!?」
「な、何もないです!」
「ふじゅんいせーこーゆー!!」
「え?」
「ロリコン!!」
「ち、違います!!」
ディーチェは顔を背けて、ぶふっと息を吹き出した。
「へ?」
「はぁ……馬鹿らしい。こんな人間に、魔女が振り回されるなんて」
信じられない、とディーチェは海の方へ視線を投げる。
「どうして、ユノはこんなやつ」
悪態をつくが、その声には今までのようなトゲトゲしさはなかった。
海風がディーチェのブロンドの髪をさらい、キラキラと日の光にそれが反射する。髪の隙間から、ディーチェの横顔に笑みが浮かんでいるような気がした。
「……でも、あんたの話は面白かったわ」
「え?」
「なんでもない!!」
ディーチェはプイ、と顔をそむけたかと思うと素早く立ち上がり、来た道を駆け下りていく。
「え!? え、ちょっと!?」
残されたマークは、ディーチェの後を追うこともためらわれたまま、丘の頂上で一人、
「どういうことー!?」
と叫び声をあげた。