2-11 親友同士の約束
そっと外の様子をうかがうディーチェが
「……あ、あいつは」
と今にも消えてしまいそうなほど小さな声でユノに尋ねた。ユノはあえて、いつも通りに振舞う。
「少し席を外すといって、外へ出ていったの」
安堵したディーチェの美しいスカイブルーに、ようやく少しの輝きが戻る。
「そ、その……」
だが、その瞳はウロウロとせわしない。指でくるくるとツインテールの先をもてあそぶ彼女は、年相応の姿をしている。
ディーチェの年頃特有のプライドと、いまだに認められない価値観の違いと、けれど、親友と仲直りをしたいという思いの真ん中で、ディーチェは迷っているようだった。
「ごめんね、驚かせちゃって」
ユノが先手を打てば、弾かれたようにスカイブルーの瞳がユノを見つめる。
「ディーチェちゃんが、人を嫌う気持ちは分かるの。だって、同じ魔女だもの」
「そ、そう……そうよね! あ、当たりまえじゃない!」
ユノの言葉に、自信を取り戻したようにディーチェは気丈に振舞った。
「でも」
ユノの夜空色の瞳が、チラチラと無数の色彩に輝く。
ディーチェは今まで、数多くの美しい瞳を見てきたが、ユノの瞳ほど美しい瞳は見たことがない。
だが、ユノの口から紡がれた言葉は、ディーチェが期待していたようなものではなく。
「私は、マークさんと一緒に、ここで暮らしていきたい。人と一緒に生活がしたいの。昔の魔女と人が、そうやって生きていたように」
ディーチェの気持ちは、再び熱を帯びて沸騰した。
「なっ……! なんで!? まだそんなことを言うの!? アタシたち魔女は、人に殺されてきたのよ!!」
「憎むばかりじゃ、何も変わらな……」
「そんなのは!」
「そんなのはただの綺麗ごとよ!」
ディーチェは、全身で声を荒げる。
ユノの言っていることが正しいとわかってはいても、気持ちに折り合いをつけることは出来なかった。
――両親に殺されかけたディーチェには。
「魔女が何をしたっていうの!? 望んで手に入れた力じゃない! 望んで生まれてきたわけじゃない! それなのに、命を奪われて……迫害されて……」
「私たちは、お互いに知らないことだらけなの。だから、怖いんだよ。人は、魔法がどんなに素敵なものかを知らない。私たち魔女は、人がどれほど優しいかを知らない」
「だから何なの!? 分かり合うために手をとれって!?」
「そう。私とマークさんは、そうやって手を取った。お互いに、お互いのことを話して、理解した」
ユノは、冷静にディーチェを見つめる。
「人を好きになれとは言わない。でも、マークさんのことを悪く言うのはやめて」
ディーチェのスカイブルーはどんよりと曇って、大雨になりそうだ、とユノは思う。けれど、ディーチェはそれを必死に押しとどめた。
「ユノは……アタシより、あいつの方が大事だっていうの?」
しぼりだした声は、ひどく孤独で、惨めで――ディーチェは、押し殺せない寂しさが悔しかった。
「違うよ。私は、ディーチェちゃんのことを大切な親友だと思ってる。それに、一人にはしないわ。絶対に」
「だったら!」
「だけど、それと同じくらい、マークさんも大切なの。私の初めての、人間のお友達だもの」
人と、魔女が手を取り合うなんて、そんなことは出来るわけがないと思っていた。
ディーチェは魔女協会に保護されて生きてきた。そんな中で、大聖堂に勤める神父や、聖職者の人たちと接しても、それは薄っぺらい――虚構の……作り物の関係だと思っていた。
金と命を引き換えに、魔法を。
そんな、お互いにとって、都合の良い等価交換の相手だと。
それが、目の前の親友はどうだろうか。
利害関係ではなく、魔女と魔女が自然とそうなるように、人と『友達』だと言った。お互いに、憎むでも、傷つけあうわけでもなくて、助け合う存在なのだ、と。
「ユノは……どうして……」
「ね、ディーチェちゃん。少なくとも、マークさんは悪い人じゃないわ。ディーチェちゃんが思っているよりも、ずっとずっと優しくて、素敵な人よ」
穏やかなユノの声が、ゆっくりと近づいて、やがてディーチェはあたたかなユノの体温に包まれた。
ぎゅっとディーチェを抱きしめたユノの手は、今までと変わらず、柔らかで、優しかった。
「魔女は、人を幸せにできるのよ。人も、魔女を幸せにしてくれる」
ユノは、さらさらとしたディーチェのブロンドの髪をなでた。
「魔女を守るための方法は、人と戦うことだけじゃない。人と協力することも、魔女を守るための方法の一つだよ」
ディーチェには、まだそれを理解するのは難しかった。
けれど――ユノが言っていることは正しい、とディーチェはいつだって思っている。
ユノの体温がディーチェから離れ、ディーチェもまた、ユノの背中に回していた手をほどく。
「それに、ディーチェちゃんが一番よく知っているはず」
ユノがディーチェをまっすぐに見つめる。
ディーチェがユノの店に来て、頼む世界はいつだって、本に出てきたという人の世界のことだ。時計塔も、お城も、メリーゴーランドも……そして、お姫様の部屋も。
どれも、人間が作り出したもの。ディーチェこそ、一番人間に憧れているのだ。
「で、でも……」
ディーチェは視線をさまよわせた。彼女の心の内にある葛藤は、そう易々とは無くならないだろう、とユノは思う。魔女裁判という名の法律を作った人間を恨むのも、そのせいで両親に殺されかけ、人を信じられないのも、すべて当たり前のことなのだから。
「大丈夫よ。すぐに受け入れる必要はないわ。無理に、好きになる必要もない。けれど、忘れないで。魔女と人は、きっと、また手を取り合える」
ディーチェちゃんも、本物のメリーゴーランドに乗れる日が来るかも、とユノが笑えば、ディーチェはふん、と美しいスカイブルーの瞳をユノから外した。
「魔女はみんなそればっかり!」
別に、私は綺麗なものが好きなだけよ、とディーチェは悪態をついて、ユノの横を通り過ぎる。
分かり合うには、まだまだ時間がかかる。
人も、魔女も。
ディーチェは、ツンと澄ました顔で椅子に座ると、
「でも……アタシにとっても……ユノは親友だから……」
今回のことはごめんなさい、と紅茶に口をつけた。
言い過ぎてしまってもう後には引けない、というときにでも、こうして素直に謝れるのは彼女の良さだ、とユノは思う。子供だからこそ、出来るのかもしれない。
分かりにくいが、ディーチェが同じテーブルにつく、ということは仲直りを示しているのだ。
すぐさまユノがディーチェの前に腰かければ、
「アタシに、直接害がないならもういいわ。人間のことでこんなに必死になるなんてバカみたいだもの」
そうディーチェは強がった。ユノが笑みを浮かべればディーチェは眉を吊り上げる。
「べ、別に許したわけじゃないからね! 何かあったら、ただじゃおかないんだから!」
「わかったわ、約束する」
ユノの差し出した小指に、ディーチェがそっと小指を絡めた。
「魔女同士の約束よ」
これは、等価交換でも、契約でもない――。
「親友同士の約束、でしょう?」
ユノがそっと小指を離せば、ディーチェはふん、と再び視線を外した。
仲直りの証に、とユノが原稿用紙をディーチェの方へ差し出す。
「これは?」
「新しいお話だよ」
「本!?」
ディーチェの瞳は輝いた。あっという間に、興味の対象が移るのも、子供ならではだろうか。
「読んでもいいかしら!」
もちろん、とユノはその原稿用紙をディーチェへ渡す。まさかそれが、マークの書いたものだとは知らないディーチェはしばらく原稿用紙に書かれた文字を堪能した。
「……こんなに、素敵な物語があるなんて」
うっとりとした声に、ユノは満面の笑みを浮かべる。
「しかも、魔女が主人公なのよ! 魔法だって出てくる!」
こんなのどこで、とディーチェはキラキラとスカイブルーの瞳をユノへ投げかけた。
「お、怒らないで聞いてくれる……?」
ユノがチラリとディーチェを見れば、ディーチェは一瞬にして表情を固める。
「まさか」
ディーチェは言葉を切ると、何かに弾かれたように立ち上がる。
原稿用紙をつかんだままとびら屋の玄関を開け放つと、彼女は外へと飛び出した。