2-9 魔女界一の働き者
「今回のお話も、すっごく良かったです!!」
ずい、とマークの方へ体を寄せたユノはキラキラと目を輝かせていった。
彼女の手に握られた原稿用紙は、ユノと夕暮れを見た後にマークが書いたもの。寝る間も惜しんで書きあげたそれは、スペルすら怪しい。それでも、ユノは気に入ってくれたようだ。
「夕暮れにしか会えない二人……! ロマンティックです!!」
はぁ、とうっとりしたため息をつき、ユノは原稿用紙に頬ずりしている。
「特に、この夕日の描写はもう……。なんといっていいか!」
本物の夕暮れを目の前にして、マークも書かずにはいられなかったが、こんなにも喜ばれては、つい鼻の下がのびてしまう。
「ユノさんのおかげです。前の僕には書けませんでした」
マークが頭を下げれば、ユノはぶんぶんと首を振った。
「そんなことありません! マークさんのお力があってこその文章ですよ!」
お互いに「いえ、そちらが」「いや、あなたこそ」と譲りあいを繰り返し、これほど不毛な会話もないか、と苦笑した。
食べ終えた朝食の片づけをしようと立ち上がるマークを、ユノが遮る。
「マークさんは休んでください! このお話も、寝ずに書いてくださったんですよね?」
「どうしてそれを」
「目の下にくまができてますよ」
ユノは眉を下げた。マークもつられて眉を下げる。
「とにかく、お休みになってください!」
ユノにぐいぐいと背中を押され、マークはそれじゃぁ、とユノの好意に感謝して、自らの部屋に戻るのだった。
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マークがすっかり夢の中へいざなわれ、何度目か分からないマークの物語にユノがうっとりと目を細めていたころ。
「オープンセサミ」
カチャン、ととびら屋の玄関がひとりでに開く。遅れて、カラン、と一つ軽やかなベルが鳴り響いた。
ユノよりもまだ幼い顔立ちだが、瞳のスカイブルーには強い意志が秘められている。長いブロンドの髪は二つにくくられていて、よりその瞳の色を際立たせていた。
ブルーのセーラーワンピースが、窓から入り込んだ海風に揺れる。
少女は、店主がいないことを気にする風でもなく、棚へと近づき、本を一冊抜き出して椅子へと腰かけた。
「お待たせしてすみません」
チン、とエレベーターが一階へと到着したことを告げる軽やかな音とともに、久しぶりの再会を告げるユノの声。
少女は本から顔を上げた。
ユノは、そこにいた少女の姿に破顔する。
「ディーチェちゃん!」
ユノは駆け寄って、少女――ディーチェの小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「ちょっ!?」
暑いわよ、とディーチェは抵抗を試みる。だが、本心は隠し切れないようで、スカイブルーの瞳が穏やかに光り輝いていた。ディーチェのツインテールが揺れる。
「……まったくもう。ユノは相変わらずね」
観念したように、ディーチェがユノの背中へぎゅっと手を回せば、ふわりとココナッツの甘い香りがした。
「ディーチェちゃんも」
ユノが嬉しそうに笑う声が、ディーチェにはくすぐったい。
「今日はどんな扉にする?」
ユノの職業『とびら屋』は、魔法で作った夢のような世界を提供し、魔女たちに癒しや元気を与える仕事。
ユノより幼いとはいえ、ディーチェも立派な魔女であり、そして、魔女界一の働き者である。
近況など聞かずとも、ディーチェがここへ来た理由は手に取るようにわかった。
「そうね……。この間は、メリーゴーランドだったし。時計塔も、お城も、ゴンドラも見てしまったから……」
年相応な、子供らしい表情でディーチェは思案する。
いつも一生懸命に大人たちと肩を並べようとしているディーチェも愛らしいが、晩ご飯のおかずを悩んでいる子供みたいなディーチェの姿が一番かわいい。
ユノはそんな彼女を眺めて、ついニマニマと表情を緩めてしまう。
「何よ」
だらしのないユノの表情に、ディーチェは困惑したが、すぐにいつものことか、と視線を切って
「決めたわ」
と三つ並んだ青い扉を見つめた。
「今日は、お姫様の部屋にする!」
ディーチェはふふん、とどこか満足げな表情を浮かべた。対照的に、ユノはコテン、と首をかしげる。
「な、なによ!」
ユノの反応に、子供っぽいことを言ってしまった、と思ったのか、ディーチェはキッと勝気な瞳をユノに向ける。顔が真っ赤なので、それもただの強がりだとユノにはわかってしまうのだが。
「別にいいでしょう!? こ、この間たまたま借りた本に書いてあったのよ!」
「ふふ、もちろん。女の子の憧れだもんね」
取り繕うようなディーチェの言葉は、これまた愛らしく、ユノはやはりデレデレとディーチェを見つめてしまう。
「ユノ! 顔がにやけてるわよ!」
子供扱いをされるのが嫌いなディーチェは、頬を染めながらもユノをにらみつけ、
「早くして!」
いつまでも魔法をかけようとしないユノをせかした。
ユノは、できるだけディーチェを刺激しないよう
「ドレスがいっぱいあって、宝石や、お花や、ぬいぐるみに囲まれたお部屋……みたいな感じ?」
と自らのイメージを伝える。
言葉にすると、より子供らしいファンシーな部屋だが、ディーチェはまさにその通り、と言わんばかりに首を縦に振った。
「それじゃぁ、やってみるね。もし、イメージと違ったら遠慮なく言ってちょうだい」
ユノが三つ目の扉に手をかけたところで、不思議そうにディーチェが首をかしげた。
「今日は、三つ目なのね?」
ユノがよく使うのは一つ目の扉。部屋のサイズもちょうどよく、あえて二つ目や三つ目を使う必要もないからだ。
だが、今日は違う。一つ目の扉の奥で、まさかマーク――人間の男が寝ている、とは言えない。
「お姫様のお部屋なら、やっぱり一番広い部屋でなくちゃ! ね?」
なんとか理由をつけて、ユノがひきつった笑みを浮かべると
「それもそうね。そういえば、この間のメリーゴーランドも三つ目だったものね」
ディーチェも納得したようにうなずいた。
ユノは、なんとかごまかせた、と胸をなでおろす。
「それじゃ、改めて……」
ユノは、三つ目の扉の前でドアノブをゆっくりと握りしめ『お姫様の部屋』を脳内にイメージした。
ピンクとホワイトの壁紙。豪華なシャンデリアが天井にきらめき、左手にはドレスが並ぶ。右手には、大きなクマのぬいぐるみに、真っ白なレースの天蓋付きベッド。ベッドの上にも、小さなウサギのぬいぐるみや、ヒツジのぬいぐるみ。
ベッドのそばに大きめの窓を取り付け、そこへ花を飾る。窓の向こうは、海。
城下町を広げても良かったが……それでは、おそらくディーチェのご機嫌を損ねてしまうだろう。
――まだ、殺風景だわ。
ユノは、自らの思い描いたお姫様の部屋を客観的に評価し、さらに脳内のイメージを膨らませる。
真正面にドレッサー。アンティーク風な模様がついていて、そのドレッサーの机の上には、宝石や数々の化粧品を並べる。
隣に、シューズボックス。ドレスと合わせて豪華な靴をこれでもかと並べ、さらにその脇に帽子を。
ベッドの手前にソファとテーブルを並べて、その上にはティーカップとケーキスタンド。アフタヌーンティーの完成である。
おまけに、バラの一輪挿しをそえれば、立派なお姫様の部屋が完成だ。
「オープンセサミ」
しっかりと魔法をかけて、ドアノブから手を離せば、ユノのとびら屋としての仕事はおしまい。
「さぁ、ディーチェちゃん」
扉を開けて、とディーチェに促そうとした瞬間――
カチャン。
ディーチェの後方で、扉の開く音がした。
「ユノさ……あれ、お客さんですか?」
マークが顔をのぞかせたのだ。
「あ!」
「えっ!?」
ユノとディーチェの声が重なり、美しいジュエルアイが、マークをとらえる。
「え?」
マークは、どんどんと青ざめていくユノの顔と、驚きの色を浮かべてハクハクと呼吸もままならない見知らぬ少女の顔に危険を察知する。
しかし、マークが察知したときにはすでに、魔女二人の叫び声が部屋いっぱいに響いていた。