番外編4 これからも
マークは、原稿用紙の端を丁寧にそろえて、大きく伸びを一つ。
魔女の日常を綴った本も、これで最後だ。
魔女という存在を特別視する必要がなくなり、マーク自身もあえて魔女を題材に書くことをやめようと決意したからである。
魔女と人とが手を取り合う――
それは、かつて夢物語だった。けれど、今ではすっかり当たり前になっている。日常風景の一部に魔女は溶け込んでいるし、彼女たちの力を使って、科学も進歩した。
手を取り合う、なんて言葉を必要としないほど、人と魔女は互いになくてはならない存在となった。
原稿用紙を茶封筒に入れて、封をする。
魔女であれば、この場所からロンドへと送り届けることも出来るのであろうが、あいにくとマークは人間だ。
明日の朝、ロンドへと戻る船便で、この地を離れなければならない。
シンと静まり返った図書館を見回して、マークは近くにあった本を拾い上げる。誰かが読み終えた後に、片付けるのを忘れてしまったのだろう。
美しいスカイブルーの装丁が、マークを自然と笑顔にさせる。
この本を出した後、マークはもう一冊本を出したが、やはり印象深いのは一冊目だ。
書いたのは紛れもなく、自分自身であるというのに、後世にまで残る本というプレゼントを、マーク自身ももらったような気でいる。
マークは元の本棚へとそれを戻して、魔法の解けた漆喰の部屋を見回した。
いまだに、多くの国民から愛されている図書館は、ユノが、とびら屋を改造して作り上げてくれたもの。
約束だったから、と笑う彼女は、やはりキラキラと瞳いっぱいに星をまたたかせていた。
「マークさん」
マークが感慨にふけっていると、すっかり耳に馴染んでしまったユノの声が聞こえた。
マジックアワーと同じ、夕焼けと夜空の髪色を揺らし、パープルの瞳を輝かせる彼女の姿に、マークはまなじりを下げる。
「ご飯、出来ましたよ」
初めてユノと出会った時には、一緒に向かい合って食事をするのが当たり前になる日が来るのだろうか、と会話をしたことがあったのに、今ではそんな会話すらない。
それが、すっかり当たり前になってしまったから、今度の話題は、いつまで一緒に食べていられるでしょうか、に変わっている。
すっかり乗り慣れてしまった昇降機も、少しずつユノが手を加えているからか、今では木枠に色ガラスが埋め込まれている。
一階と二階を往復するだけの扉にも、気合が入っているのは、とびら屋としてのプライドだろうか。
昇降機の扉が開くと、思わず腹の音がなってしまうほどの濃厚なソースの香りが立ち込めて、マークはスンと鼻を鳴らした。
「シチューだね」
「ここは常夏ですけど、ロンドではもう冬だから」
また雪を見たいです、とユノは窓の外を見つめて、懐かしむように口角を上げた。
二人、どちらともなくスプーンを持ち上げて、目の前のシチューへとくぐらせる。柔らかに煮込まれたチキンは、ユノが今朝から仕込んでいたものだ。朝ご飯だと勘違いして、マークがつまみ食いをしようとしたら怒られてしまった。
たっぷりと入ったトマトや野菜も、スプーンですくえば形が崩れてしまうのではないかと思うほど、とろとろに煮込まれている。
マークがゆっくりとスプーンを口に運べば、爽やかなトマトの酸味と、チキンのうまみ、野菜の香りが広がった。
「おいしいです! ユノさんは、相変わらず料理がうまいなぁ」
「朝、我慢して良かったでしょう?」
う、と顔を上げれば、ユノのどこかいたずらな笑みが目に入る。最近は、ユノもマークには遠慮がなくなってきた。
時間の経過を伴って、二人には変わったことと、変わらないことがある。
物理的な距離は、ほとんどなくなった。マークが、専業作家として生計を立てることが出来るようになったことと、ユノが図書館の管理を一人ではやりきれなくなったことが、二人を再び同じ屋根の下に引き戻した。
心の距離も、以前に比べてずいぶんと近くなった気がする。元々、決して遠かったわけではないが……会話の中の敬語がいくらかくだけ、友人か家族のようなやり取りが板についてきた。
二人とも、早くに家族を失ったせいか、家族との距離感がどのようなものか、明確にはかることは出来ないけれど。
変わらないことと言えば、やはりこの関係性だろうか。
ディーチェには、いつまでボサッとしているのか、と二人そろって怒られた。意識していないわけではないが、二人の関係性を何かの形に当てはめることはやはり出来なかった。
シエテやエリック、トーマスからは、それでいいと言われているので、ディーチェのお小言を聞かなかったことにしている。
ディーチェも、わかってはいるようで、ユノのことを思っているからこそ、であろう。
それから、もう一つ。
二人がこれからも、同じ時間を歩んでいくことが出来る、というのは、変わったことであり、変わらなかったことである。
科学技術が発達し――魔女の寿命について、一つの解決策が、正式ではないものの示されたのだ。
まずは、魔法を使わないこと。
魔法を使うことで、魔女の寿命が短くなる、というのはメイが予想していた通りだったようで、統計的にそのようなデータが取れたと、先日、科学者が発表したのである。
それ以来、ユノは『魔法の図書館』を『図書館』と改め、とびら屋を閉業した。
そして、合わせて発表されたもう一つの研究が、魔女の寿命の伸ばし方。
すでに魔法を使用している魔女の寿命についての研究も進められていたようで、魔法と呼ばれる力を生み出している特殊な器官が魔女の体に備わっていることが分かった。
どうして女性だけが魔法を、という長年の謎も、体のつくりに関係があるらしく、論理的に解明され始めている。
難しいことはマークにも、ユノにも分からなかったが……ともかく、その研究成果として、魔法の力を生み出す器官の動きを鈍化させる薬が開発され、ユノはその研究にも協力していた。
「具合はどう?」
錠剤を飲み込んだユノに、そういえば、とマークが尋ねれば、
「大丈夫だよ。魔力欠乏みたいな、倦怠感もないし」
ふんすと彼女は力こぶを作るような仕草を見せる。
現に、一時はアリーの両親がいる病院へと搬送されていたシエテも、それ以来は回復傾向にあるようで、今は孤児院で元気にやっているらしい。
薬の効果がどの程度かは分からないが、魔女の寿命が短命だという噂も、いつかはなくなるのだろう。
「魔法の力が、失われるんじゃないかって危惧してる人もいるみたいなんですけどね」
ユノは、紅茶のおかわりをマークのポットに注ぎながら、話を続ける。
「でも、魔女たちはみんなそれで良いって納得してるんです」
「ユノさんも?」
薬の副作用として、魔法の力を持つ器官の動きを鈍らせるために、将来的には魔法が失われてしまうかもしれない、という仮説がある。生き物が進化や退化を繰り返して変わっていくように、魔女もいずれはいなくなるだろう、と。
だからこそ、人々はなんとかその薬をさらに改良したいと思っているらしいが、当の本人たちは、特に思入れもないようだ。
マークはそのことに少しの驚きを覚えて、ユノをちらりと見つめた。
「そうですね。魔法の力を持っているから、私たちは長い歴史の中で孤立してきましたし……皆さんと同じように生きていけるのなら、魔法の力なんていりません。いつか、それで、本当にこの国から魔女がいなくなったとしても、人々と一緒に生きていけることの方が、私たちは嬉しいんです」
ユノはきっぱりと言って、自らのティーカップにもおかわりを注ぐ。
「寂しくは、ないですか?」
自らの持つ力が、生まれ持った力が、失われてしまうことは、マークにとっては少しだけ怖いような、寂しいような気がしてしまうけれど。
ユノは、少しだけ考えてから、美しい笑みを浮かべた。
「マークさんとずっと一緒にいられるから、寂しくはないです」
それは、まるで愛のささやき。
どこからか聞こえる波の音が、寄せては返す海の鼓動が、ユノの息遣いに重なって溶ける。
照れ隠しにはにかんだユノの手に、マークはゆっくりと自らの手を伸ばした。
「ユノさんに……魔法の力を捨てて、ずっと生きていてほしいとお願いするのは、わがままなことだと思っていました」
でも、とマークは彼女の滑らかな、陶器のような肌をそっと撫でる。
「等価交換を、してもいいですか?」
久しぶりに改まったマークの言葉と左手に感じた違和感と。ユノは咄嗟に視線を落とす。
「この指輪を贈るので……これからも、僕と一緒に、夜明けを見てはくれませんか」
薬指に、自らの瞳と同じ、夜空ともつかぬ美しい宝石がはめ込まれたリングが輝く。
カチャン、とどこかで、新しい世界のとびらが開く音が聞こえた――
最後までお楽しみくださり、本当にありがとうございました!
長かったお話も、これで本当のおしまいです。
皆様からの日々のあたたかな反応、優しいお言葉の数々に大変励みになりました。
本当に、ほんとうに、ありがとうございます。
次回の新作も、少しずつですが書き進めています。
星のようにあるお話の中から、また皆様とこうしてお会いできる日を楽しみにしております!
これからも頑張りますので、よければぜひぜひ、お話共々、末永くよろしくお願いいたします。
それでは、最後に、こちらのセリフでお別れです♪♪
皆様の、次なる作品との出会い、新しい世界への旅立ちが良きものでありますように!
「オープンセサミ!」




