表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
万年筆と宝石  作者: 安井優
最後の扉 魔女のいる国

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

134/139

10-4 新しい世界

 マークさん、と穏やかな声に呼ばれて顔を上げる。

 夜空色の濃紺と、夕焼けの朱色がマークの視界に飛び込んできて、あんなにこらえていたはずの涙はあっけなく(こぼ)れ落ちた。

 同時に、彼女の夜空色の瞳からも、流れ星が白磁の肌をかけていく。

 二人の頬を伝ったそれは、砂浜の熱に溶けて消えた。


 ユノは、ゆっくりと目を細めた。細めた反動でこぼれた涙をぬぐい、文句のつけようもないほどの、満面の笑みを見せる。

「ようこそ、とびら屋へ」


 いつか聞いたそのセリフが、波の音に混ざり、二人の距離を、空白を、埋めるようにマークの耳に心地よく響く。

 ユノが走った後方に砂粒が舞い、キラキラと陽に反射した。

 ひるがえったのは、いつかの紫のローブではなく、鮮やかな赤いワンピース。それがまた、南国の景色によく映えた。


 マークがなかなか一歩を踏み出せずにいると、少し遅れて上陸したトーマスがエリックに目くばせを一つ。直後、エリックとトーマスの二人が軽くマークの背を押した。

 魔女は短命だ。

 抱きしめられるうちに、彼女を抱きしめておくべきだ。

 そんな声が聞こえた気がした。


 駆け寄るユノに、マークもようやく足を踏み出す。一歩目はあれほど緊張したのに、いざ踏み出してしまえば、その後は、二歩、三歩と自然に足が前へ出た。

 少しずつ、二人の間にある距離が埋まっていく。


 マークは、もう互いに手が届く、という距離で両手を大きく広げた。

「ユノさん!」

 彼女の名前を呼ぶと同時に、ユノの華奢な体を抱き止めるようにして、ぎゅっと彼女の背に手を回す。


「お会い、したかったです……」

 止めたはずの涙と共にこぼれる嗚咽に、腕の中でユノはくすぐったそうに笑った。

「すみません。突然、理由も言わずに」

 ユノにしては珍しく、マークに心配をかける行為を選択したのだ。どれほどそれがマークを苦しめていたか、ユノだって自覚している。


 それは、ユノのわがまま。等価交換ではなく、一人の少女としての決断。

 マークを幸せにしたいと思う、その一心で。


 ユノは、最後の魔女裁判が終わった後、アリー達が――ユノの手をずっと引いてくれていた魔女たちが、いなくなることを悟った。

 そして、自らの命もまた、アリー達同様に長くないのであろうと気づいた。

 もちろん、明日、明後日という話ではないものの、マークと同じ時間を歩めるわけではないだろう。


 その時、ユノの頭によぎったのは、マークのこと。

 自分がいなくなってしまっても、彼が笑っていられますように。

 そんなささやかな祈りが、胸いっぱいに自然と広がったのだ。

 アリーが多くの魔女に希望を与え、ジュリやメイが、エリックやトーマスに思い出を残したように、自分自身もマークに何か恩返しをしたかった。


 マークの、残りの長い人生を笑顔にすることと、会えない短期間を犠牲にすることであれば、どちらを選択すべきか悩むまでもない。

 もちろん、理由を話すことも最初は考えたが――どうせなら、サプライズにしようという魔女たちの提案もあって、ユノは心を鬼にした。

 もっとも、あまり心配させてはいけないと、その準備は急ピッチで進めたつもりだが。


 マークに、大した理由も告げず、急ぐようにロンドを発ったのは全てこのため。

「マークさんに見せたいものがあるんです」

 ユノは、少しだけ背伸びをして、自分より頭一つほど高い彼の耳元にささやく。まるで、子供が内緒話をするみたいに。


 マークはそっとユノから離れると、驚いたようにその目を見開いた。

「見せたいもの?」

 何も想像がつかない。けれど、なぜかワクワクする。

 マークの瞳には好奇心がありありと宿っていて、ユノもつられて目を輝かせた。


 きっと、喜んでもらえるに違いない。

 ユノは、確信している。

 いや、むしろ喜んでもらわなければ意味がない。そのために、たくさんの準備をして、色々な人には迷惑を、マークには心配をかけたのだから。


 ユノはマークから離れて、照れくさそうにはにかむと、くるりと身をひるがえした。

 二度目の抱擁。勢いあまって交わしたそれも、冷静になれば恥ずかしいもので、顔が真っ赤になるのを悟られぬように背を向ける。


「ついてきてください」

 とびら屋へと向かって歩き出したユノの背中を、マーク達は追いかける。

 エリックとトーマスも、ユノが見せたいものについて、その言葉こそ聞かされているが、実際にどんなものかは想像がついていなかった。

 ユノの魔法を考えれば、とびきり素敵な()()()であることは間違いないが。


 少しずつ、とびら屋が大きくなってくる。

 真っ白な壁も、真っ青な扉も、明後日の方を向いてしまったマゼンタの花も、マークに笑みを与えた。

 また、ここに戻ってこれた――

 マークは言いようのない安堵に大きく深呼吸をして、あたたかな南風の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


 ユノは扉を開けて、全員をとびら屋へと案内する。

「遅い」

「待ちくたびれたわよ!」

 入った先、またも懐かしい声に、マークは苦笑する。

 いくら水上機といえど、テレポートにはかなわない。


 美しいブロンドのツインテールを揺らしたディーチェと、切りそろえた紺色のショートヘアからマーク達を見つめるシエテ。二人は、ティーカップ片手にすっかりくつろいでいる。ディーチェの手元には美しいスカイブルーの本がおかれており、マークがそれに気づくと、彼女は慌ててその本を脇へと避けた。


 二人と共に暮らしているはずのトーマスも、まさかここにきているとは思ってもいなかったのか、苦労人の笑みを浮かべた。

「今日は、一日家にいると言っていたのでは?」

「そうだったかしら」

「知らんな」


 二人は顔を見合わせて、ティーカップに口をつける。ツンと澄ました表情だが、その口角はかすかに上がっていて、二人ともトーマスを出し抜けたことには嬉しさを感じているようだった。


 エリックと彼の部下も、想像していなかった魔女の姿に肩をすくめる。

「まったく、これでもとばした方なんですがね」

「ふん。まだまだだな」

 どこか誇らしげにシエテが笑う。

「紅茶が冷めてしまった」

 そんな風に冗談を付け加えるほどには、シエテも人々を認められるようになってきたらしかった。


 魔女たちとの予期せぬ再会を楽しみ、マークは「それで」と本題を切り出す。

「見せたいものっていうのは」

 まさか、目の前の魔女たちのことを指しているわけではなさそうだ。もちろん、彼女たちとの再会は嬉しかったが、ロンドにいる二人とは、会おうと思えば会えるのだし、ユノがこの島に戻る理由にはなっていない。


 マークの言葉に反応したのはディーチェで

「そうよ! 早く見たいのに、ユノったら、あんたが来るまではダメって言うのよ!」

 とマークの方をきっと睨みつけた。だからこそ、マーク達の到着を待ちくたびれていたのだろう。

 それでも、本と同じスカイブルーの透き通った瞳がキラキラと輝いているのは、ようやくユノのいう『見せたいもの』を見られるからだ。


「まだ、お二人も見ていないんですか?」

 エリックの問いに二人がうなずくと、皆の視線が一斉にユノへと集まった。

 一体どんなものを見せてくれるのだろう。

 全員がユノの魔法に思いを馳せ、瞳に期待の色を浮かべる。


 ユノは、その視線をあたたかな笑みで受け止めると、一番左の扉の前まで歩いていった。

 以前、マークが少しの間住んでいた部屋だ。

 コホン、と一つ咳払いをして、青い扉の前でユノはゆっくりと頭を下げる。


「それでは、皆様にお見せしたいと思います!」

 準備はいいですか、と問われ、マーク達は顔を見合わせた。

 周囲の視線に促されるままに、マークはおずおずとユノの隣へと足を進める。


 マークがそのドアノブをそっと握れば、誰が言うでもなく、自然と声が重なる。

「「オープンセサミ!」」

 魔法の呪文を唱えれば、新しい物語の一ページが開かれるような、そんな美しい音が秘密の楽園いっぱいに響きわたった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 134/134 ・髪がゆれる。髪が揺れるのがよい [気になる点] ディーチェとシエテの組み合わせが、ちょっと気になるのでした [一言] とりあえず、ユノさんが笑顔でなによりです
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ