10-2 純白の花
コッツウォールは、以前マークが訪れた時に比べて、ずいぶんと人の姿が増えたようだった。はちみつ色のあたたかな町が賑わう様子は、友人の――大切な魔女との別れを告げに来るという目的でなければ、どれほど良かったか。
それこそ、ユノと共に、このちょっとしたお祭り気分を味わいたかった。
有名作家といえど、その顔を知るものは多くない。幸いなことに、先を急ぐマークたちの足取りを止めるものはいなかった。
トーマスとエリックは、マークの後ろをついてコッツウォールの風景を眺めながら歩き、マークは、ユノと歩いた夜道を思い出すように緩やかに上りが続く坂道を歩いていく。
空へと続くような道。天に吸い込まれるかのように、少しずつ、少しずつ高いところへと足を踏み出していけば、アリーがこの地に眠ったことも必然のように思えた。
不幸にも、魔女裁判のはじまりとなってしまった魔女と、幸運にも、魔女裁判の終わりを告げることになった魔女。
彼女たちを表す色でさえ真逆な二人が、同じ地に眠ることは、それこそ運命ともいえる。
きっと、アリーも知っていてここを終着点に選んだのだろう。
今は少し人も多いが、元来穏やかな気候と風景を持つこの町は、のんびりと過ごすには良いところだし、イングレスの伝統と歴史を繋いでいくに相応しい場所でもあった。
「後は、この先を登ればつくはずです」
マークが後ろの二人に声をかければ、二人も魔女たちのことを考えていたのか、マークの言葉には少し遅れて反応した。
感慨にふけってしまうのは、魔女を知る者であれば……いや、この国のことを知る者であれば、当然かもしれない。
マークはゆっくりと最後の一歩を踏み出し、ユノと共に見た美しい池の前で立ち止まる。
夜は星空を映していたが、昼は当然、青空を映している。どこまでも透き通る青が足元に広がる様子は、まるで天国のよう。
その景色は、三人を、雲の上の、とても遠いところにまで来てしまったような感覚にさせた。
「素晴らしい、ところですね……」
最後に到着したトーマスが、感嘆の息と共に言葉をこぼす。思わずそう言わずにはいられない場所だから、マークも彼の気持ちは十分理解できた。
エリックも、ただただその光景に目を見張っている。
風が池の上を吹き抜けて、水面に波紋を広げれば、この地に眠る魔女の凛としたのびやかな声が聞こえてくるような気さえする。
伸びていた草地は誰かが手入れをしたらしい。奥に隠れるようにひっそりとたたずんでいた石碑が見えるようになっていて、地面から垂直に立てられた墓石は、堂々としたアリーの佇まいと重なった。
マークは視線だけで二人を促して、ゆっくりと畔を歩く。丈の低い草花に水の跳ねる音と、三人分の足音がより静寂を際立てる。
やがて、湿った草で足が濡れてしまうことなど構いもせずに、三人は墓の前で膝をついた。
トーマスは、ゆっくりと墓石に掘られた凹凸を指で撫でて、彼女の存在を確かめるように指先を目で追いかける。
「……アリー」
真っ白な墓石に呼びかけても、返事はないけれど。
「これでは、別れの時に笑っていたか分からないじゃないですか」
ベルベットのように上品で柔らかな声も、今はかすれてざらついていた。
それでもきっと、アリーは幸せだったのだろう、と思う。
少なくともこの地で――魔女裁判のはじまりとなったコッツウォールで、魔女の墓を建ててくれるような人と出会えたのだから。
墓石に埋め込まれた小さなダイヤモンドが、チラチラと輝いた。
エマの墓石にも、アリーの墓石にも、美しい花束がいくつか添えられており、少なくともここは、忘れ去られた場所ではなくなったようだ。
マークとユノが来た時には、まるで誰にも知られていない場所のような閑散とした空気が漂っていたが、もはやその気配は微塵にも感じられない。
縁起でもないと花束は持ってきていなかったが、この場所に彼女への手土産がないというのも寂しい。
マークは、代わりに、アリーという魔女のことを思い、メモへと万年筆をはしらせると、最後にそのメモを折りたたんでいく。
「器用ですね」
エリックに手元を覗き込まれて、マークはその指を動かしながらも答えた。
「昔、妹と一緒にこうして遊んでいたんですよ」
シトリンは、このことを知っているのだろうな。知っていて、悲しませないためにも言わないようにしていたのかもしれない。マークは同じく魔女である妹のことを思い浮かべる。
「私にもメモ帳をいただいても?」
「俺も」
二人は、マークの手本を見ながら、やはり同じように指を動かし、紙を小さく折りたたんでいく。
やがて、マーク達の手元には小さなバラが現れる。
「今度は、ちゃんとした花を持ってきましょうか」
マーク達がそっと花束に添えるようにそれらを置いた瞬間、柔らかな春風が吹いて、今しがた作ったばかりの紙の花を巻き上げる。
メモ帳で作ったがゆえに、美しい白が太陽にきらめけば、それは偶然にもアリーと同じ瞳の色となって空に浮かび上がった。
上昇気流に巻き込まれたのか、いつまで経っても落ちてはこない花を、三人は見上げて息を吐く。
「これも、魔法なんでしょうか」
シトリンは風を操る魔法を使うはずだったが……まさか、彼女がここにいるわけではあるまい。
三人は互いに顔を見合わせて、野暮なことを考えるのはよそう、と笑いあった。
「なんだか、悲しんでいるのもバカらしいですね」
エリックは、自らの指にはまったルビーを撫でつけて、トーマスは耳元のエメラルドをなぞる。
マークは、ユノからもらった万年筆をぎゅっと握りしめて、やはり、ユノに会いに行かなくては、と改めて決意する。
あの島への行き方は分かっている。
少なくとも、エリックなら、あの島へ行くことが出来るのだ。
「エリックさん」
お願いがあります、とマークがエリックを見つめれば、彼はマークが何を言いたいのか察したようで肩をすくめた。
隣にいるトーマスもまた、マークの決意に口角を上げた。
「僕を、魔女の楽園に連れて行ってはもらえませんか」
このまま、ユノと会えないまま、ユノのいない日々を送るなんて嫌だ――
マークのお願いに、エリックはわざとらしく大きなため息を吐く。トーマスとアイコンタクトを取ってから、ガシガシと頭をかいて、
「本当は、内緒にしててくれって、頼まれたんですよ」
とどこか楽しげな口調で切り出した。
「まぁ、でも……いつまで、とは言われてませんし」
マークが首をかしげると、トーマスも「そうですね」と合いの手を入れる。
「実際、等価交換をしたわけではありませんし……何よりあの三人は、こうなることをわかっていて、私たち人間をからかっていたような気がします」
魔女ですからね、と付け加えて、まるでおとぎ話に時折登場する悪い魔女のことを言うかのような冗談めかした口調で続ける。
「まったく、人が悪いですよ。アリーも、ジュリも、メイも……マークさんが、ユノさんに会いたいと言い出すことは分かっているのに、黙っていてほしいだなんて」
「え……?」
「まぁ、ユノさんがそもそもお願いしたそうですからね」
ユノさんが、とマークがますます首をかしげると、トーマスが小さく笑った。
「どうも、マークさんを驚かせたいんだそうですよ」
魔女の、最後の大作戦。魔女に、新しい世界をプレゼントしてくれたマークへの、等価交換のプレゼント。
何やら、まだマークの知らなかったことがあったらしい。
エリックとトーマスは、すっかり空へと消え去ってしまった純白の花を見送って、
「それじゃぁ、行きますか」
と踵を返す。
「え、どういうことですか!?」
「ついてからのお楽しみです」
マークが慌てて二人の背を負えば、一人は快活に、もう一人は麗しく微笑んで、その唇に人差し指をあてがった。




