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万年筆と宝石  作者: 安井優
二つ目の扉 とびら屋
13/139

2-8 マジックアワー

 海風が砂浜を運ぶ。砂粒は陽に反射して、チラチラと光り輝いた。

 マークの前を歩くユノは、足元へと寄せる渚を()り上げる。水しぶきはサンキャッチャーのよう。ユノの羽織っているバイオレットのローブは、彼女の動きに合わせてはためいた。


「魔女、か……」

 普通の少女に見える彼女の後ろ姿を、マークは忘れないだろう。


「マークさん! ここが森の入り口です!」

 ユノは、後ろを振り返ってマークに手を振った。もう片方の手で彼女が示したそこは、ちょうど人一人が通れそうな道幅に切り開かれている。

 マークは、先を行くユノに続いて、足元に生えた植物を踏み分けた。


 森へと続く道は、木漏れ日に照らされている。

 緩やかな上り坂になっているが一本道だ。これなら迷うこともない。マークが想像していたより、足元の状態も悪くなかった。

 海を渡り、丘をかけるようにして吹く風が、マークたちの(ほお)()でる。潮と緑の混ざった香りが、マークには新鮮だった。


「実は僕、山登りなんて初めてで」

「そうでしたか!」

「こんなに気持ちがいいものなんですね」

 目に映るのは様々なグリーン。聞こえてくるのは、鳥の歌声と風の音。余計なものは何もなく、自然と心が安らぐ。


 ロンドの街は平地が多く、山と呼べるような場所はほとんどない。

 きっと、戻ったらこの山の空気が恋しくなるに違いない、とマークは海辺よりもひやりとした空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


 頂上までの道中。明らかに人の手が入ったと思われる石段が現れ、ユノは足を止めた。

「休憩にしましょうか」

 そのころには、マークの(ひたい)にはうっすらと汗がにじんでいた。やはり、運動不足が、とマークは階段に腰を下ろす。


「この階段もユノさんが?」

「いえ。実はこの道も、この階段も、私が島へ来たときにはもうあったもので」

 ユノは、ボトルから飲み水をコップへ移し替えて、マークへと差し出した。

「この島は、代々魔女の住処(すみか)になっているそうですから、私より前に住んでいらっしゃった方が開拓したのかもしれません」


 空になったグラスをユノに手渡し、マークは石段に触れる。ひやりとした温度と、雨風によって作られた凹凸(おうとつ)が心地よかった。

「魔女の秘密の楽園、ですね」

 ユノはうなずいてから「そういえば」と思い出したように口を開く。


「最初の魔女はこの島で生まれた。そう言われているそうですよ」

 ユノはボトルとグラスをカバンにしまい込むと、行きましょうか、と立ち上がった。


「最初の魔女って、どんな人なんですか?」

 道幅が少し広がったからか、先ほどまで前を歩いていたユノも、今はマークの隣を歩いている。

 頭一つほど小さい彼女は、マークを上目遣いで見上げた。


「あくまでも魔女同士での噂ですけど……世界を作った女性、と言われています」

「世界を作った女性?」

 それはまた大層な話だ。マークはついつい、その話に引き込まれてしまう。


「最初の魔女は、様々な魔法を使うことができたそうです。水を生み、大地を作り、植物を育て、たくさんの命を生みました。やがて、魔女は自らが魔法で作り出した男性と結婚し、子を成して……そうして、人々が増えていった、と聞いています」

 その話は、神話のように壮大で面白かった。


「人々が増えていくと同時に、最初の魔女が持っていた魔法の力は小さな力に分けられ、子孫に受け継がれていきました」

「それじゃぁ、魔法が不便だ、というのは……」

「それが原因なんじゃないかって、魔女たちの間では言われています。元々一つだった大きな力を、何千、何万と分けているからだ、と」

 誰にも真実はわかりませんが、とユノは微笑んだ。


「本当は、すべての人の中に魔法の力が眠っているはずなんです。それが、大きいか、小さいか。本人が気づくか、気づかないか。それだけのことで」

 ユノはそこまで言い切って、マークの方へと視線を向ける。美しい夜空色の瞳が、木漏れ日を受けてまぶしい。

「マークさんの、お話を書く力だって、きっと」


「ユノさんといると、僕はドキドキするばかりです……」

「え!?」

 マークが歩みを止めてため息をつけば、ユノは驚いたようにマークを振り返る。


「やっぱり、ユノさんは立派な魔女ですね」

 無自覚で人をたらしこむ、正真正銘の魔女。


 マークがふっと笑みを浮かべれば、ユノはますます困惑したように

「それって褒めてますか!?」

 とマークに詰め寄る。マークは、あきれた笑いをこぼすばかりで、ユノの質問には答えなかった。



・ ・・・- ・ -・ ・・ -・ --・



 他愛もない会話をいくつか交わしているうちに、二人は目的地へとたどり着いた。

「ここが……」

 マークの柔らかなカーキの癖毛は、丘を越えていく風にさらわれてなびく。


「いいところでしょう」

 ユノは体をめいっぱい伸ばして、目の前に広がる美しい景色を見つめた。


 いつもは目の前に広がっている海も、今は眼下に。

 いつもは見上げている空が、ずいぶんと近くに。


 ユノの魔法で見たばかりだが、ここには波の音があり、横を通り過ぎていく風も、鳥の声も、肌を刺すように輝く太陽の熱も感じられた。

 空と海がどこまでも続くその場所は、まるで世界の果てのようにも思える。


「すごいですね……」

 マークの感嘆の声に、ユノは満足げな笑みを浮かべる。

「もう少し待つと、もっとすごいですよ」

「夕暮れ、ですか?」

「はい!」


 太陽がゆっくりと傾いていく様子が、水平線のおかげかよくわかる。

「ロンドの街にいたときは、気づいたら外が真っ暗、なんてことばかりだったのに」

 マークの独り言に、ユノは苦笑した。

「その分、今日はたくさん見ていただかないといけませんね」


 空気を揺らしながら、太陽が徐々に海へと沈んでいく。

 深いブルーの海も、この瞬間ばかりはマリーゴールドのような鮮やかな色へ。やがて茜色へ。さらには柔らかなバイオレットカラーへと変化していく。


「……マジックアワー」

「え?」

 隣で呟いたユノに、マークは視線を向けた。

 美しい夕暮れの一瞬が、ユノの瞳をまばゆく照らしていく。


「魔法のように美しい時間。夕暮れ時のことを、そう呼ぶんだそうです。……今のイングレスでは、この言葉を使うことも出来ませんが」

 その言葉は、マークの胸をぎゅっとつかんで離さない。


「もうすぐですよ」

 マジックアワーには、まだ続きがあるようだった。もう十分に美しいのに、とマークは視線を海の方へと向ける。

 先ほどまで、あんなにも黄金に溶けていた海は、濃紺へと色を変えていく。


 刻一刻と変化していく世界の色が、ユノとマークの二人を包む。

「この時間、この瞬間が、一番好きなんです」

 ユノは、風で舞い上がる自らの髪を、優しくすくい取る。その隙間から(のぞ)く瞳は、夜空のように穏やかだった。


 日が沈み、一瞬にしてとばりが下りる空。

 海は、そんな空を写し取ったかのように、深く、深く、どこまでも光を吸い込んでいく。


 空と海の境目がなくなり、ユノの瞳と髪色が世界に溶けていく。


 ――これから先、一生とけることのない魔法にかけられた。

 マークは思う。たとえ、ロンドに戻っても、今まで通りの日常生活に戻ることはできないだろう、と。


 昼間よりも濃い空の青。

 海との隙間に見える水平線が、その瞬間だけはゴールドに。

 水平線を照らす残光がふっと消えた瞬間――風に吹かれて、ユノの羽織っていたバイオレットのローブがふわりと舞い上がる。


 ――魔法。

 マークはその瞬間、その言葉の本当の意味を理解したような気がした。


 気づけば、空を流れる雲は落ち着きを取り戻し、海を踊る波は静かに()いでいる。

「ふふ、すごいでしょう?」

 この世界のすべてを閉じ込めた宝石の瞳。そこには今、一番星が輝いていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 圧倒的な情景描写に加え、繊細に綴られる心理描写に心打たれる。また、独特の世界観に魅せられる。 [一言] 物語が本格的に動き出しましたね!なすべきことを見つけたマークが紡ぐお話がどんなものに…
[良い点] 13/13 ・海を渡り、丘をかけるようにして吹く風が、マークたちの頬ほおを撫なでる。潮と緑の混ざった香りが、マークには新鮮だった。  ここでビビッと閃きました。  作者のハートがピン…
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