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万年筆と宝石  作者: 安井優
九つ目の扉 最高裁判所

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9-3 新しい風

 まるで、時が止まったかのような一瞬。

 直後吹き荒れた豪風に、裁判所内にいた人々は前を向いてはいられなくなった。

 誰しもが顔を覆い、あるいは目を伏せ、その視界を数刻の間、闇にゆだねる。


 そのわずかな時間で、世界は変わる。

 大きく開け放たれた扉。差し込む光。

 軍人と、聖職者、そして押し寄せる国民たちが、司法裁判官の白い制服をもみくちゃにして、裁判所に新しい風を吹き込んだ。


「アリー!」

「メイ!」

「ジュリさん!」


 そんな中、傍聴席(ぼうちょうせき)で拘束されていた魔女たちの耳を抜けたのはよく知った声。

 来てくれると信じていた。

 馴染みのある仲間のものに、三人はそろって顔を上げる。


「間に合ったようね」

 アリーがニコリと微笑みかけた相手は、シエテとディーチェ、そしてユノの三人だ。

 彼女たちは、テレポートで裁判所の内部へと潜入し、閉ざされた扉を開けていく作業にいそしんでいた。

 立ち入ることの出来ない裁判所内に、多くの人々が入れるように。


 本来であれば、アリー達がもっと時間を稼ぐはずだったのだ。先に裁判所内へと突入し、いくらか裁判所内の警備員たちを()いて、本殿であるこの場所へとたどりつき……もっと、派手にジェイムズたちを混乱させるつもりだった。

 もちろん、そこはジェイムズも計算に入れていたのか、あっけなく捕まってしまったが。


 とにかく、この予定調和ぶりに関しては、本当に運が良かった、としか言いようがない。

 奇跡を起こすのが魔法の役目なのだから、当然といえば当然なのかもしれないが。

「戦闘が始まる。救護隊も待機させた」

 手慣れた様子でアリー達を拘束していたヒモをほどきながら、シエテは簡潔に伝えた。


 ここからが、本当の戦いだ。

 裁判所の扉は開かれた。すでに乗り込んできている軍人や聖職者、国民はもちろん、他の魔女たちも援護に来てくれていると聞く。

 トーマスとメイが説得してくれたおかげで、多くはないが、すでにロンドに集まっているらしかった。


 マークはマークで、二度目となる混乱の中、どこからか自らの名を呼ぶ声を聞く。

「マークさん!」

 彼はようやくそこで、自らの命がまだ尽きていないことを理解し、そっと目を開けた。声の主は見えないが、どうやら助かったようだ。


 先ほどの銃声直後、後頭部に感じていたはずの重厚感が消えていることにもやっと気づく。

「一体、何が……」

 あっけに取られて顔を上げれば、マークの顔にパタタ、と赤い雨が降る。

 マークに銃口を突きつけていた男の手から滴るその血に、マークは、ひ、と体をのけぞらせた。


 銃を構えていたはずの男は、引き金を引く直前に、何者かによってその手を打ち抜かれていた。

 痛みに(もだ)えて、彼らはその場にうずくまっている。

 銃を握れる状態ではなく、その血痕がボタボタと床に赤いシミを作った。


 見れば、エリックやトーマスも、マークと同様に助かったらしく、エリックに至ってはすでにことを把握したのか立ち上がっている。

「エリック中尉!」

 軍人の一人が彼を呼ぶと、エリックはよろよろと彼の方へと歩き出した。


「何事だ!?」

 一気に音があふれかえった裁判所にひときわとどろく大きなしゃがれた声。

 つい先刻までは、あれほどこの場を支配していた国王の威厳も、これだけの数には対抗できないのか、それとも取り乱しているせいなのか、どこか弱々しく聞こえる。


 流れ込む群衆の勢いは止まらず、傍聴席(ぼうちょうせき)を満たして、あふれ、マーク達のいる場所にまで人々が乗り込んでくる。

 何名か混乱の中でけがをした人間は、すぐさまシエテとディーチェの二人が救護の人間と連絡を取り合って、助けを差し伸べていた。


 軍人たちは、裁判所の外にいた司法裁判官や、裁判所の扉を守っていた警備の人間を拘束し、今度は中にいる裁判官たちに狙いを定めている。

 中にはジェイムズが雇った軍人上がりの人間もいて、簡単に、とはいかなかったが、その情勢を崩すほどには優勢だった。


「魔女裁判を取り消せ!」

「我々の国を返せ!」

「自由を奪っているのは、お前たちだ!」

「言論統制反対!」


 国民の想いが、大きな声となって、裁判所に満ちていく。声を上げて扇動するのは聖職者たちだ。普段温厚な彼らがこんな声を出せるのか、なんてことを考えられるほど冷静なものはもはやこの場にはいなかった。


「どういう、こと……?」

 マークが状況に追いつけず、パチパチと目をしばたたかせれば、

「マークさん!」

 と再び、ずいぶん懐かしく思える声が聞こえた。


 空を舞う夜色の髪が、外から入り込んだ陽の光できらめく。

 こんなにも騒がしくて、こんなにも混乱しているというのに、彼女の姿だけははっきりと見えた。

「良かったです!」

 泣きそうな声が、耳にするりと入り込んできて心地よい。


 一目散にマークの両手を拘束していた縄をほどき、ユノはしかとその体を抱きしめた。

「本当に、良かった」

 人々の雑踏が不思議と静かに、二人の真横を通り過ぎていく。


 あたたかな体温と、穏やかな鼓動。マークにはそれが、これ以上ないほど甘美に感じられた。

 肩口に感じる涙の価値は、どんな宝石にも負けない。

 まるで夢でも見ているんじゃないかと思うほどの多幸感に包まれて、現状を忘れてしまいそうになる。


 けれど、残念ながらここは戦場と化した。二人のそんな劇的な再会ですら、味わう暇を与えない。

「ユノさん!」

 張りのある女性の声がユノの耳を駆け抜けて、ユノは慌ててマークから体を離す。自らのすべきことを思い出したというように、彼女はマークの手を引いて立ち上がった。


「とにかく、今は安全なところへ」

 ユノに手を握られて、マークが前へとつんのめりながらも走り出せば、背後からふわりと吹いた春風がマークの(ほお)を柔らかに撫でた。


 一人の女性の声が、風と共にマークの耳に届く。

「本当の魔女裁判を、開廷しましょう」

 マークの横を通り過ぎ、ジェイムズへとまっすぐに銃を向けた女性の、華々しいオレンジの髪が揺れる。癖毛がかった柔らかな髪が。


 その姿に、胸が締め付けられるのはなぜだろう。

 マークは、顔も、名前も知らぬ彼女の背中に息を飲む。

 一瞬――そう、ほんの一瞬だが、彼女を胸に刻み込んで、マークは前を走るユノの背を追いかける。


 彼女を正面から見ているであろうジェイムズは、初めてそこで驚きと苦悶に満ちた表情を浮かべた。

「なぜ……」

 そう、呟いたような気がする。

 真偽のほどは、呟いたジェイムズにさえも分からない。彼にとってもそれほど自然なまでに、そして無意識に吐き出された言葉だった。


 そんな彼の声を誰かが(とら)らえたと思った直後には、女性の握っていた銃が火を噴いて、あっけなくかき消される。

 ジェイムズは、軍人時代に(つちか)った能力でその銃弾を躱すと、すかさず応戦した。裁判官になっても、銃は肌身離さず持ち歩いている。


 パァン! と発砲音がけたたましく空気を貫く。

 オレンジ髪の彼女もまた、舌打ちを一つすると、銃弾に風を乗せてもう一発打ち抜いた。

 互いに譲らぬ銃の腕は、周囲にざわめく人波など意に介さない。


 裁判所内で突如として繰り広げられた銃撃戦に、群衆から悲鳴が上がった。

 だが、国民を守るように軍人が素早く動き出す。幸いにも銃を構えている敵は、ジェイムズただ一人。

 残りの裁判官は青ざめた顔で動けなくなっており、貴族たちは混乱に乗じて逃げようとしている。


 国王は、そんな様子すらも楽しむように、やはり余裕の笑みを浮かべたまま。

 まるでそこが玉座だと言わんばかりの態度である。

 ジェイムズやそばに仕えている従者が守ってくれると本気で信じているのか、それとも、これすらもショーの一環だと考えているのか。

 命の重みを考えたことがないから、鈍感でいられるのだろう。


 オレンジの髪がまばゆく光り、彼女は風と共にその距離をジェイムズにつめる。それと同時に、ジュリもまた彼女を援護するように駆け出した。

 その間にも軍人たちが司法裁判官たちを捕らえていく。

 やがて、司法裁判官たちも増援が来たのか、戦うにはいささか狭すぎる裁判所内のあちらこちらで戦闘が始まった。

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[良い点] 123/123 ・逆転キター! 一瞬でひっくり返りました [気になる点] >>>あたたかな体温と、穏やかな鼓動。マークにはそれが、これ以上ないほど甘美に感じられた。  めっさ嬉しそうで…
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