8-11 戦うための武器
ジェイムズは、目の前に座る青年を見つめ、苛立ちを募らせた。
軍人のように、それを表立てることはしない。もう、自分は軍人ではないのだから。
とはいえ、なぜ彼に対してこのような苛立ちが湧き上がるのか、それはジェイムズ自身も分からなかった。
決して強そうには見えない。むしろ、弱々しく、オドオドとしているのが似合う雰囲気を持つ彼――作家マーク・テイラーに、なぜこうも胸の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような気がするのか、不思議でしょうがない。
少々珍しい、柔らかなフォレストグリーンは、ジュエルアイにこそ劣るものの、一般人に比べれば美しいと言える。
癖のあるカーキの髪色も、地毛ならば珍しい。
――まるで、魔女のような。
ジェイムズは、そこで引っ掛かりを覚えるものの、その正体を掴むことはやはり出来ずに、目の前のマークを一瞥した。
視界に入れるから、腹が立つのだ。
おそらくこれは……そう、司法や貴族をここまで窮地に貶めた彼に向けるに相応しい感情なのだ、と自らを言いくるめる。
使えない駒がようやく手に入れてきた本は、澄み渡る空のような装丁だった。
まだ、ジェイムズが子供で、この国の裏側を知らないほど純粋であれば、間違いなくお気に入りの一冊となることは間違いなかった。
内容を読めば虫唾が走るだろう、とただその表紙を見つめるにとどめる。
もちろん、本を手に取れば、頑なに口を割ろうとしない青年を多少は理解出来るようにはなる。だが、そんなものは今のジェイムズには必要ない。
どうせ、裁判で死刑にかける相手だ。
「話せば楽になるぞ」
ジェイムズは空をなぞるように、本に指を這わせる。
魔女の居場所を……どこで、魔女と知り合ったかを話せば、情状酌量の余地ありとして、死刑を回避させてやることもやぶさかではない。
それに、ここまで国民の心を動かした作家を、このまま殺してしまうのは惜しい。
味方に引き入れ、魔女を恐ろしく書かせれば、便利な駒となる。物語だけではない。誰かを説得させるための資料を作らせればいいのだ。
嘘は、うまければうまいほどいい。この青年は、その能力に長けている。
マークは、しばし口をつぐんだジェイムズを盗み見る。濁り切ってしまった瞳からは、感情を読み取ることは出来ない。
彼が知りたがっている情報については、推理も必要ないほど分かりやすいというのに。
とにかく、ジェイムズが魔女の居場所を知りたがっているのなら、マークに出来ることはその質問に答えないこと。
おそらく、他の二人にも同じようなことをしているのだろう。
エリックとは、特にいがみ合っているのだろうが、二人がこの裁判官とどのようなやり取りをしているのかは、マークには分からなかった。
誰かがそのうち口を割ってしまうかもしれない、という不安はある。少なくとも、そうすることで自分だけは刑を軽くしてやると言われれば、心が揺らぐこともあるだろう。
だが、マークはそれでもエリックとトーマスを信じた。
魔女を守ると決めたのだ。ユノと出会ってから、彼女を守り抜きたいと思い続けてきた。
助けられなかった、家族と妹の分まで。
「質問を変えよう」
埒が明かないと思ったのか、ジェイムズは本を机に置き、マークへと向き直る。
「なぜ、そこまでして魔女を守る」
少なくとも、裁判所の地下にある隔離部屋で、五日間ほとんど飲まず食わずの生活を強いている。内通者として雇っている軍人たちによる荒事も体験しているはずだ。現に、マークの頬には青あざがあり、痛々しい。
自らの手を汚していない分、その痛みについては、ジェイムズのはかり知るところではないにしろ、普通なら正気を保つだけでも一苦労な環境だと自覚している。
だが、マークは抵抗することもなければ、情報を漏らすこともしない。軍人であるエリックがそれに耐えられることは想定内だった。だが、聖職者と作家も、そこまでして魔女を守るとは。
魔女という忌々しい存在を受け入れているというだけでも、ジェイムズの理解の範疇を超えてはいるのだが。
「魔女の何が、貴様をそうさせている」
言葉を変え、聞き方を変え、声色を変え……ジェイムズは、どれが最も彼に効果的な問いかを探る。
「魔女は、この国を破滅に導く存在だ。関わらなければ、平穏に暮らせたはず。その平穏を、なぜ自ら捨てる?」
マークは、そこでピクリと反応を示した。否、示してしまった、という表現が正しい。
魔女が、この国を破滅に導く存在だ、という言葉を撤回してもらわねばならない。それに、マークから平穏を奪ったのは他でもない司法だ。魔女ではない。
家族がいなくなったあの日から、心の奥底に溜め込んでいた膿のようなドロドロと薄暗い感情が、マークの口を開かせようとする。
魔女についての感情を吐露し、司法への想いを爆発させ、王族や貴族へこの気持ちを伝えられたら……。
もう、無力な少年ではない。何も出来なかったころの、自分ではない。
マークは、戦うための武器を、言葉を持っている。
「僕は、魔女のせいでこの国が破滅に向かっているなんて、微塵も思っていません」
ジェイムズの使った言葉を選んで、それ以上飾り立てることも、曲解することもしない。
「平穏を捨てたつもりもありません」
意外にもジェイムズは、糾弾するどころか、鼻で笑うこともせず、その言葉を真正面から受け止めた。どちらかといえば、マークの出方を伺うような態度にも見える。
「魔女は、我々に危害を加えるかもしれないというのに、それでも平穏をうたうとは。ずいぶんと余裕だな」
この男は、危害を加えられたことがあるのだろうか、とマークはジェイムズの表情からその過去を想像する。
ジュリと、『彼』と、ジェイムズの間に、なんらかのことがあったのだろう。エリックなら知っているのかもしれないが、あいにくとマークはその話を知らない。
少なくとも、ジェイムズは、根拠もなく魔女を毛嫌いするようなタイプには見えなかった。真面目を絵に描いたら、きっとこういう人物になりそうだ。
「ジェイムズ最高裁判官、あなたは、なぜ魔女を恨むのですか」
マークのフォレストグリーンの瞳が、あの日のことを思い出させる。なぜか。ジェイムズはその瞳に、やはり胸をかき乱されるような気分になって落ち着かない。
「……魔女に、奪われたからだ」
吐き捨てるように声を絞り出せば、マークはカッと目を見開いた。
司法に家族を奪われたマークと、魔女に友人とも呼べぬ、だが、大切な存在を奪われたジェイムズは、互いに交わることなどない。歩み寄ることも、無論、出来るはずがない。
あまりにも立場が違い過ぎる。
知らなければ、もっと別の道を選べたのかもしれないのに――
「奪ったものを憎むのは、当然のことだ」
独白が、寒々しい部屋に落ちる。これでは、どちらが裁かれるべき人間か分からない。
「害ある者は、排除せねばならない。奪われる前に、奪わなければ生きてはいけない」
なんと悲しい国なのだろう。
ブラックカースに始まり、魔女裁判、言論統制、敗戦と……ありとあらゆるものを奪い、奪われ、残ったものがこんなちっぽけでくだらないプライドだけとは。
今の王族も、王族にヘコヘコと頭を下げる貴族も、そして、その貴族に仕える司法も。
「くだらない」
マークはボソリと吐き捨てる。普段は絶対に使わないような荒々しい言葉が自分の口をついて出たことに、驚いてしまいそうになるほどあっけなく。
「害のあるものを取り除けば、確かにこの国は良くなるでしょう。ですが、それと同時に奪ってはいけないものまで、あなたたちは奪っているんです」
現状が、それを物語っている。
この国の美しさは見かけだけ。中身は空っぽだ。ハリボテのそれに、何の意味があるというのだろう。
命の芽吹く新緑が、あまりにもまぶしい。
春の訪れを知らせる若葉の香る瞳が、優しさと強さを兼ねそろえて、ジェイムズを貫かんとする。
――もう、今更後に引けるはずなどない。
「理想を語るのは、物語の中だけにしておけ」
苦し紛れに放った言葉でさえ、彼にはなんの意味もなさなかった。
「理想を語れば、物語よりも素晴らしい未来が訪れるかもしれませんよ」
バカにするでもなく、ジェイムズを見くびっているわけでもなく、ただ、純真にマークはそんな未来が訪れることを信じていた。




