8-3 総力戦
「エリック中尉! 司法が動き始めました!」
そんな知らせが入ったのは、マークやユノ、新聞社の人間や、魔女協会に関わっている人々が、空軍基地へとかくまわれてから三日後のことだった。
「状況は?」
「新聞社の調査をさせろ、と」
新聞社に勤めていたマーク達はもちろんのこと、新聞社を知る魔女たちもまた、表情を曇らせる。
もっとも、発端となった新聞記事を書いた新聞社が、司法裁判官に目をつけられることは分かっていた。
現在、軍人とバディを組んで司法や貴族のゴシップを探しに外回りへと行った新聞記者たちには、すぐさま連絡を入れなければ、とエリックは部下に指示を出す。
「警戒を引き上げろ。新聞社への調査は、限界まで期日を引き延ばせ。理由は何でもいい」
「それなら」
社長が妙案を思いついた、とエリックの言葉を遮る。
「玄関扉が壊れていると伝えていただけませんか。一週間後には、玄関扉を修理する業者が来る手はずになっているから、その時に勝手に入って調査をすれば良い、と」
「業者が来る前に、勝手に中へ入られるかもしれませんよ?」
軍人に問われ、社長はフッと口角を上げる。
「あの扉は、特殊なつくりでね。入れるものなら入ってみろ、と伝えてもらってかまいません。開けるのにも一苦労でしょうし」
どうしてこうも言葉がスラスラと出てくるのだろう、とマークは目を見張る。さすがは、新聞社の社長。
特殊なつくり、なんていえば聞こえはいいが、要は単に開け方にコツがあるだけだ。それを知らずに無理やり開ければ、古い扉は簡単に壊れてしまうのだから厄介なものだが。
調査段階で扉を破壊すれば、器物損壊で訴えられてしまう。弁償すると言っても、社長が裁判沙汰にすれば、司法もさすがに手が出まい。
社長は、この国を救うために真実を書く……ヒーローとも呼べる人間なのに、そうとは思えないほどあくどい表情を浮かべた。
「狙い通りだな。このタイミングで、もう一つ仕掛けてみるか」
普段は絶対に書かないと誓っているゴシップ記事をしたためているせいか、どうにも強気だ。
「ゴシップ記事をばらまき、司法や貴族の裏側を国民に知らしめよう。嘘の住所をそこに書けば、もう一週間ほどは稼げるだろう?」
社長は高らかに宣言した。
普段あれほど、真実を書けと口酸っぱく言っている社長が、だ。
同僚たちが集めてきたゴシップネタを書かされているマークも、いつもとは違う叱咤に戸惑いつつ、嘘の住所を最後に書き留める。
これを、本当に世に出すのか。マークの頬を冷や汗が伝う。新聞記事を書き上げた時とは全く別の興奮と緊張が、体を駆け巡る。
「物語を書くように書いてくれ。出来るだけ情緒に訴えるように、大げさに」
そんな社長の指示通りにマークが書いた記事は、結果、軍人に大うけだった。
魔女や、聖職者たちはややひきつった笑みを浮かべていたが。
「ねぇ、それを空からばらまくっていうのはどう? エリックなら、出来るでしょう?」
ジュリがパンと両手を打ち鳴らす。
「確かに、インパクトもあるわね」
意外にもアリーが同意する。シエテとディーチェも特に異論はないようで黙っていた。
聖職者たちは、反論しても良いものか、戸惑いの表情を浮かべながらも魔女と軍人、そしてマーク達をそれぞれの面持ちで見つめた。
メイとトーマスがいれば、この行き過ぎたともいえる言動を止めてくれたのかもしれないが、二人は生憎とこの場にいない。
皆を空軍基地にかくまうとエリックが決めた翌日、二人はユノのいた島へと向かったのだ。
他の魔女たちを、説得するために。
司法や貴族との戦いは、おそらく総力戦になる。いよいよ、長きにわたって続いてきた戦いの、決着をつける時。一筋縄ではいかないだろう、と誰しもが予想していた。
だからこそ、アリー達の力だけではなし得ないことも、みんなでなら出来るかもしれない、とメイたちが説得役を買って出た。
これ以上ない人選だ、とマークは思うものの――この、変に高ぶった空気を現実に引き戻す人物がいないことは残念でならない。
この記事を世に出すということは、本格的に宣戦布告をするようなものだ。
だからこそ、皆、気持ちが高ぶっているのかもしれなかったが。
「メイさんのお話を聞いたときは……まだ、実感がわいてなかったんですが」
耳打ちするように、マークの隣でユノがささやく。
「その……本当に、始まるんですね」
どんなことにも果敢に挑戦してきたユノが、珍しく弱気になっているのも、無理はなかった。
マークも、ユノも、戦争を知らない。もちろん、ジュリの『彼』が死んでしまった、隣国との衝突についても。知識や情報として理解はしていても、体験したわけではないのだ。
それなのに、まさかその引き金を自らが引くことになってしまったのだから、人生とは何が起こるか分からないものである。
マークのゴシップ記事を見返して、「上出来だ」とうなずいた社長が、エリックへとそれを渡した。エリックもそれをじっくりと読みながら、
「とにかく、司法や貴族の先手を取ります。ジェイムズ裁判官を引きずりだしたいところですがね」
以前つけられなかった決着を、今こそつけてやると闘志を燃やす。
国民の意志を一つにする。
魔女裁判の廃止と、言論統制の撤廃。望むものはその二つだ。
どうすればそれが実現できるのか、誰も具体的な手順は知らない。絶対的な権力を持つ王が作った法律を変えるなど、今まで誰一人として出来なかったのだから。
ただ、声は大きければ良い、というだけの話だ。
すでに、マークの物語によって、国民たちの中に種はまかれている。テニスンの出版社へは増刷依頼もかかり、印刷所は大忙しだそうだ。
この調子でいけば、司法が、ロンドから遠く離れた小さな町の動向に気付くよりも早く、増版がロンドや周辺の町へ届くだろう。
「軍の中にも内通者がいる可能性は高いです。油断せず、出来ることを全てやりましょう」
エリックは全体に聞こえるように声を張ると、社長の手からひょいとタバコを取り上げた。
「長くないと思っておられるのなら、おやめになってください。あなたは、この国に必要な人間だ。本当のイングレスを取り戻した時、必ずあなたのお力が必要になる」
社長は、ポカンと口を開けてエリックを見つめた。まさか、そんなことを言われるとは思ってもみなかったのだろう。
「他の皆さんもそうです。俺は、命にかえても……いえ、自らの命も捨てず、皆さまを守ると誓います。明日も、明後日も、数十年後も、皆が笑って過ごせるように」
エリックは、ジュリに視線を向けた。まっすぐな瞳が彼女を貫いて離さない。
誰一人として欠けてはいけない。
魔女は、放っておいても短命だからとすぐに命を投げ出そうとするが、それでも、一日でも長く生きていてほしい。
それは、エリックだけでなく、聖職者たちや、社長、マークも同じだった。
「ここからは、本当に壮絶な戦いになるでしょう。軍は、国民を守ります。ですが、司法も貴族も、そして王族も……簡単にはこの国の歴史を明け渡してはくれないでしょう。危険な目に遭わせてしまうかもしれない」
「大丈夫よ」
苦々しく思いを吐露したエリックに、ジュリが華やかな笑みを浮かべる。同時に、アリーも、シエテも、ディーチェでさえも、しっかりとうなずいた。
「ワタシたちは魔女よ?」
燃えるような赤が、瞳にきらめく。
「魔女も、皆さまに協力します。幸い、情報戦なら私たちも得意ですから」
社長の方へにこやかな笑みを向けたアリーは、テレパシーを使って軍の内部を探ることが出来る。ジュリさえいれば、何者にでもなれる。シエテとディーチェは、ありとあらゆる場所にテレポートの魔法を仕込むことだって。
「総力戦なのでしょう? ならば、守られるだけではいられません。等価交換ですよ」
アリーの凛とした声に、その場にいた者はみな息をのんだ。




