表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
万年筆と宝石  作者: 安井優
七つ目の扉 教会

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

103/139

7-8 魔女は、神様ではない

 新聞社に枢密顧問官が訪れるその日。そわそわと教会の中を往復していた魔女たちに、トーマスは呆れたようにため息をついた。

「皆さん、気持ちは分かりますが……少しは落ち着いていただけませんか」

 アリーまで妙にぼんやりとしている。落ち着かない気持ちは理解できるものの、お客様に不審な目を向けられていることにも気づいてほしい。


「そんなこと言ったって! もう、来たのかしら」

「そうよね。むしろ、どうしてそんなにトーマスが落ち着いていられるのかが不思議で」

 ジュリとメイは顔を見合わせて、ねぇ、と二人同時に小首をかしげる。


 トーマスはそんな二人を尻目に、目の前の女性に微笑みを投げかけた。本を買ってくれたことに対する礼を述べて、最後に祈りを捧げる。

「女神さまの祝福が訪れますように」

 正しくは、女神ではなく、はじまりの魔女だが――すっかりトーマスの口に馴染んだ決まり文句に、女性もなごやかな笑みを浮かべて頭を下げた。

 本の売れ行きは上々。マークの物語が面白いことはもちろんだが、トーマスのこの(うるわ)しさもその一端を担っている。


 女性を見送って、トーマスは再び魔女たちに視線を投げかけた。

 もちろん、本の販売を手伝ってくれていることは事実だ。少なくとも、アリーとジュリは、手軽に披露できる魔法だということもあって「本を買えば魔法が見れる」という宣伝文句を引き受けてくれているし、メイだって、金銭のやり取りを行ってくれる。


 だが、それにしても心ここにあらずな時間の方が圧倒的に多く……じとりと彼女たちを見てしまう。

 今も、客がいないのを良いことに、ジュリとメイは「枢密顧問官がどんな人なのか」という話題に花を咲かせているし、アリーはマークの本を見つめて感慨にふけっているようだった。


「そんなに気になるのなら、同行したいと言えば良かったのではありませんか」

 やんわりとトーマスが投げかければ、現実に引き戻されたアリーは目を伏せる。

「いいえ。これは、ユノが、マークさんと二人でなくてはいけないの。私たちにとっても」

 その割には、いつもに比べて弱々しい声だが。


 ジュリとメイも、先ほどまではしゃいでいたのがまるで嘘のように、しおらしい笑みを浮かべて「そうね」とうなずく。

「ユノちゃんは、ワタシたち、魔女協会からはもう距離を置くべきだし」

「私たちも、ユノちゃんから離れなくてはいけないの」


 トーマスは、アリー達が言っている意味を正しく理解しようと、動かしていた手を止めた。

 ユノは魔女協会から離れ、魔女協会は彼女から離れるという、その意味を。

 親離れ、子離れというべきか。それとも――


「まだ、早いでしょう」

 死別。そんな言葉が脳裏をよぎって、トーマスは思わず魔女たちをたしなめる。

「どうかしら。誰にも分からないわよ」

 淡い命の灯がまだその目に宿っていることに、安堵することさえ許されない物言い。


「変えられない未来もあるの」

 メイも、ジュリを擁護するかのように口を開く。静かな声色には、嫌というほど説得力がある。そもそも、未来を見続けてきた夢見の魔女が「変えられない未来」と言うのだから、決定事項なのだろうけれど。

 アリーだけは何も言わなかったが、美しい白銀が舞う瞳に(うれ)いの色が浮かんでいた。


 トーマスは、魔女たちの態度に珍しく(いきどお)りを覚え、ゆっくりと息を吐きだした。

 魔女たちの言い分はもっともだったし、何より、魔女たちだってそんな未来を望んだわけではない。

 彼女たちに怒りをぶつけるのは間違っている。


 だが、それでも抑えられなかった思いを、出来るだけ冷静に、丁寧に言葉にしていく。トーマスは作家ではない。しかし、教えを説き、時に人々を導いてきた聖職者としての自負がある。

「それを、当たり前のように受け入れないでください。少なくとも私は……、どれほどそのことを理解していたとしても、あなたたちを最後まで守りぬくと誓ったのです」


 代われるものなら、彼女たちが背負った運命を代わってやりたい。命を、等価交換できるのであれば、この心臓だって差し出せる。

 自らの命は、魔女によって救われ、それからの人生は、魔女と共にあったのだから。


 彼女たちの命が尽きるその日まで、ほんの少しでも、彼女たちの幸せを守って生きていく。

 それこそが、人々を導く聖職者たる役目であり、魔女を守る立場としての責務――否、トーマスの選んだ道なのだ。


「トーマスって、まだそんな顔も出来たのね」

 メイが、いつもと同じ微笑みをトーマスに向ける。そっとメイの指先がトーマスの(ほお)に触れ、(いつく)しむように、少し伸びた黒髪へと移動した。

「なんだか懐かしい」


 何がおかしいのか、クスクスと笑うメイの手のぬくもりが離れていく。

(こちらは泣きそうだというのに)

 トーマスが少しばかり悔しそうにメイを見つめれば、メイはますます笑みを深めるばかり。コロコロと雨音のような笑い声が、教会に響く。


 魔女は、神様ではない。

 いや、本当は、神様と同じだけの力を持っていて、何でも願いを叶えられるのかもしれない。

 けれど、トーマスがどれほど願っても、はじまりの魔女は決して聞き入れてくれない。


 魔女を、幸せにしてほしい。

 たったそれだけの願いだというのに――


「等価交換じゃないからよ」

 アリーが小さく呟いて、ジュリとメイは首をかしげた。トーマスは、アリーを一瞥(いちべつ)する。

「わかっていますよ。命がいくつあっても足りない、と言うのでしょう。ですが、あいにくと、私は一人しかいないもので」


 ()ねたような口調に、今度はアリーがふっと笑みを浮かべる。

「トーマスにも、ずいぶんと苦労をかけたわね」

 その言葉は、まるで別れのようで、トーマスは「いくらでもかけてくださいよ」と眉を下げる。

 それも、等価交換だと言うのだろうか。


 魔女のルール。

 それは、優しくて、残酷だ。

 幸せ一つを願うために、一体何を代償に支払えばいいと言うのだろう。


「あなた自身が幸せになることよ、トーマス」

「私の幸せは、あなたたち魔女の幸せですよ」

「いいえ。それはあなたの幸せではない。あなた自身の幸せを見つけるの。他人のための人生は立派だけれど、それが全てではない」

 アリーは(かたく)なにトーマスの等価交換を受け入れてはくれない。


「でも、そうね。一つ、お願いをしてもいい?」

「お願い、ですか」

「私たちがいなくなったら、みんなをよろしくね。特に、シエテとディーチェは無茶をするわよ。あの二人はきっと手を焼かせるわ。ユノだって頑固なところがあるし。それに、他の魔女たちも」


 まだ、いなくなると決まったわけではないのに、どうしてそんなことを言うのだろう。トーマスは顔をしかめた。

 メイに、まだそんな顔が出来るのか、と再びからかわれてしまいそうだ。

 だが、大切な友人を、家族のような彼女たちを――愛した魔女を失ってしまうと分かっているのに、うまく笑うことなどできない。


「代わりに、あなたのお願いを聞いてあげる。もちろん、聞ける範囲のお願いだけれど」

 アリーの瞳は、洗練された輝きを放つ。

 本当に欲しいものは何一つとして許されないのに、そんな風に言うのはいかがなものか。

 トーマスの思考を読んでなお、アリーの口元は美しく弧を描く。


「……笑って、いてください。ずっと、別れの日が来るまで」

 絞り出した声が、トーマスでも驚くほどに懇願するようなものになった。

 ――あぁ、これが祈りを捧げるということか。

 普段からやっていることなのに、トーマスの胸にその感覚がストンと落ちる。これでは、聖職者失格も良いところだ、と内心で自らを皮肉った。


 アリーも、ジュリも、そしてメイも満面の笑みを浮かべてうなずく。

「人々とも、いつかこうして笑いあえる日が来ると良いですね」

 お返しとばかりにトーマスもとびきりの美しい笑みを浮かべれば、魔女たちはみなその顔を少しだけ複雑なものに変えて、けれど、もう一度笑って見せた。


 この本が、もっと多くの人々に広まれば、そんな日だっていつか訪れるだろう。

 せめてその日が来るまでは、魔女たちの命が消えることのないように、トーマスは明日からも祈り続けようと思う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 103/103 ・終末が近づく、アリーさん輝いています、トーマスさんも [気になる点] >>>――あぁ、これが祈りを捧げるということか。  ここが一番好きです [一言] ここから加速す…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ