2-5 おとぎ話
マークの驚いた表情には随分となれたのか、ユノは動じずに話を続けた。
「魔女協会へは、十日後に伺うお約束に」
「十日後!?」
「ちょうど、その日が魔女集会なんです」
「魔女集会!?」
はい、と笑顔でうなずいて見せるユノは、魔女集会の日が楽しみなようだ。
「ち、ちなみに、魔女集会っていうのは……?」
「月に一度、魔女協会へ魔女が集まる日のことです」
「魔女が、集まる」
もはや、おとぎ話のような存在になりつつある魔女が一堂に会するなど、マークには想像もつかなかった。
「魔女協会というのは」
「魔女を支援する人や、もちろん私たち魔女の集まりのことですね」
「その魔女協会というのもこういう孤島に?」
「いえ、ロンドの街に」
マークは絶句した。
捕まれば、殺される。そんな人間社会に魔女がいることにも、そして、魔女協会が設立されていることにも、驚きのあまり言葉が出ない。
「すみません……全く、意味が……いえ、つじつまが合わないような気が」
げんなりとするマークに、ユノも苦笑する。
「私も、最初はそう思っていました」
今は、あれほど安全な場所もないと思っています、とユノは続けた。
「ロンドの中心部にある、セントベリー大聖堂はご存じですか?」
「え、えぇ。まぁ……」
新聞配達の時には、必ずといっていいほどマークが前を何度も往復する場所である。
千年も前に建築されたというのが信じられないほど、精巧で荘厳な造り。
天まで届きそうなほどの塔は、見上げるだけで首が痛くなってしまう。
大理石の列柱が並び、身廊は長く……。バロック様式の建物正面には、この国を作ったとされる女神の石像が美しく飾られており、その瞳は太陽の光に当たると何色もの輝きに包まれるのだそうだ。
「まさか!」
マークが口を開けば、ユノは子供っぽく笑う。
「魔女協会はそこに。素敵なおとぎ話みたいでしょう?」
今までにマークが読んできたどんな物語よりも面白いのが現実だなんて。マークの心は自然と弾む。
魔女裁判により、イングレスの地から消え去ったとまで言われている魔女。
そんな魔女たちが、組織をつくり、イングレスの地……それも、中心部のロンドで秘密裏に生活しているのだ。
人々に復讐するのではなく、人々と再び手を取り合うために。
今の世の中にそんな物語を出せば、マークは間違いなく魔女裁判に連行され、言い訳の余地もなく死刑にされることだろう。
だが、そんな物語こそが、イングレスの現実なのである。
妙な興奮に掻き立てられ、ぼんやりとするマークにユノは笑いかける。
「これでマークさんも、ロンドの街へ帰ることが出来ますね!」
「え?」
ロンドの街へ帰れるだなんて想像もしていなかった。少なくとも、マークはこの孤島から脱出する術を持っていない。
「ロンドの街へ帰るって……どうやって?」
「魔女協会の方が手配してくださるそうですよ」
ユノは自ら発した言葉に「あれ」と首をかしげる。
「そういえば、私、魔法以外の方法でこの島から出たことなんて一度も……」
「えっ!?」
「船、ですかね?」
「出来れば、それは遠慮したいところですが」
あの沈没したグローリア号に乗船していたのだ。あの時は死に場所を求めていたようなものだったが、今は違う。
マークからしてみれば、できれば、もう二度とあんな体験はしたくない。
「ま、まぁ! 大丈夫です! なんとかなりますよ!」
ユノの咄嗟のフォローが、逆にマークの恐怖心をあおったのは言うまでもない。
「とにかく! 十日の間はゆっくりしてください!」
「そ、そうですね……」
十日後のことを考えると、今から胃が痛くなりそうだ、とマークは乾いた笑みを浮かべた。
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マークとユノがそれぞれ自らの前に置かれたティーカップを口へと運び、一息ついたころ。
「それじゃぁ、今度はマークさんの番ですね」
ユノはどこか楽しそうに声を弾ませた。
ユノの話を聞いた後では、マークの話など退屈なものである。
「あまり、面白い話は……」
「いいんです! マークさんのことが知りたいんです。それに、イングレスやロンドのこと、人のことを知らないのは私たち魔女も同じですから」
ユノは、海のようにきらめく瞳を向ける。そのまなざしに、マークが断れるはずがない。
「そ、それじゃぁ……えっと……」
どこから話そうか、と思考を巡らせ――結局、はじめから話すべきだろうな、と口を開いた。
「僕は、ロンドの郊外、仕立て屋の息子として生まれました」
マークの話を聞くユノは、まるで大好きな絵本を聞く子供のようだった。
祖母のさらに母の代から続く仕立て屋は評判も良く、裕福ではなくとも、それなりの暮らしだったと思う。たくさんの服や生地を見るのが好きだった。マークも、自分は将来、仕立て屋になるものだとばかり思っていたくらいだ。
「そんな僕に、妹が生まれました」
マークが五歳の誕生日を迎えた次の月のことである。
小さな妹の特別美しい瞳が、今でも記憶に残っている。愛らしい自慢の妹だった。
「でも……」
マークが学校から帰ってきたある日のこと。仕立て屋の周りには人だかりができていた。
その中心で、両親と妹、そして白服の男たちが何やらもめていることに気づいたのは、豪華なガソリン車に家族が連れ去られる直前だった。
マークは走ったが、周囲の大人に止められ、ついには車を見失った。
「……そう、でしたか」
ユノは小さく相槌をうち、両手をぎゅっと握りしめた。
「そのあとは、孤児院の院長先生に拾っていただいて……魔女裁判のことは、そこで初めて知りました」
マークの妹が魔女であったかどうかは、今となっては定かではない。珍しい瞳の色であったことは間違いないが、まだ幼い赤子であったために、妹が魔法を使っているところは一度も見たことがなかった。
孤児院の院長は優しかったが、同時に、厳しい現実をマークに突き付けた最初の大人でもあった。
「あなたがどれほど神様に祈りを捧げようと、お母さまも、お父さまも、そしてあなたの妹も、もう二度とこの世には戻ってきません」
毎日礼拝堂で祈るマークに、院長が放った言葉はあまりにも衝撃的で……マークには受け入れがたい事実だった。
「信じられなくて、孤児院を抜け出し……仕立て屋のあった場所へ行きましたよ」
仕立て屋があったはずの場所は更地になっており、マークの帰る場所はなかった。
マークは、院長の言葉が現実であることを知った。
マークが物語に引き込まれたのは、そこからだ。
周囲の同じ年の子供たちと遊ぶでもなく、本の世界にのめりこんだ。
「今思えば、現実逃避ですね。少しでも楽しいお話の世界に浸っていたかった」
マークが乾いた笑みをこぼすと、ユノは顔をしかめた。
「分かります。私も、同じでしたから……」
ユノの部屋に置かれた本棚は、その思い出のほんの一部に過ぎない。
「それから、作家の道を目指すようになりました。孤児院にあった本を全て読み終えてしまって……新しい本が欲しかったんですが、お金はありませんでしたから」
孤児院も慈善事業だ。金の周りは決して良くない。本は娯楽であり、予算も限られていた。
「それで、ご自身で物語を?」
「えぇ。お恥ずかしながら。思い返すことも出来ないくらい、意味の分からないものばかりでしたが。それでも、楽しかった」
今思えば、あれがマークの作家としての一歩だっただろう。
過去のことを振り返ると、悲しいことばかりだと思っていた。自分が不幸な人間だと思いたくなくて……振り返らないようにしていた。
だが、それらはすべて、忘れてはいけない大切な記憶ばかりだ。
「その後はどうなったんですか?」
彼女にとっては、マークの話こそ、おとぎ話のように聞こえているのかもしれない。
続きを促すユノの姿は、どこか妹を思い出させた。
彼女の美しい瞳がそうさせているのか、それとも、彼女の愛らしい笑みがそうさせているのか――
言葉など分からないはずなのに、絵本を読んでやるといつだって楽しそうに笑った妹。いつまでも記憶の中で年を取らない、愛おしい妹の存在。
マークは、目の前の少女にそんな面影を重ねた。