正直は美徳~婚約破棄された伯爵令嬢は冤罪だけは晴らしたい。正義の天使を召喚しようとしたら出てきたのは邪竜でした。
「アリスティア・ヘルマン。あなたとの婚約を破棄する!」
アリスティアは子爵令嬢の傷害事件の首謀者とされ、第二王子との婚約を破棄された。
弁明の機会すら与えられずに。
「冤罪ですわ」
父の伯爵からは領地での謹慎を命じられた。もう二度と王都に戻れることはないかもしれない。それどころか領地の館から一歩も外に出られないかもしれない。
――――それはいい。
アリスティアにとって重要なのは、まったく身に覚えのない罪で断罪されてしまったことだ。ただそれだけだ。
「なんとかしないと」
領地に向かう暗い馬車の中で決意する。どんな手を使っても冤罪を晴らしてみせると。
◆◇◆◇◆◇
領地に到着し、荷物を整理してすぐに、アリスティアは自分の部屋に召喚魔法陣を描いた。
「私の冤罪を晴らしてくれる、正義の天使よ!」
魔法陣が神々しく光る。召喚儀式は成功した。
異世界から力あるものをこの世界に呼び寄せる。
白い光が消えた時、魔法陣の中央には黒髪金目の青年が立っていた。背には大きな黒い翼が生えており、頭には角。
大きな尻尾が、てしってしっと床を叩いていた。
「我は邪竜ブラド。召喚に応じ参上した。さあ召喚者よ。汝の望みを言ってみろ!」
「違う」
「…………は?」
「違います。ごめんなさい。帰ってください」
魔法陣を再び開いて押し戻そうとするもなかなか戻らない。
「こらこらこら! 無理やり戻そうとするな! やめろ痛い! はさまる!」
「でも、違いますので」
「違ったがどうした! 契約はもう完了した! 破棄しようとしてもそうは行かんぞ!」
「破棄……っ! そうですわね。契約の破棄は、いけませんわよね」
アリスティアは猛省し、気を取り直してお辞儀をした。
「はじめまして。わたくしはアリスティア・ヘルマン。私の望みは私の冤罪を晴らすことです。それが叶えば、死後にこの魂を捧げましょう」
「汝の望み、しかと受け取った。お前を貶めたやつを呪い殺すってことでいいな」
「違う」
全然違う。
「違います。殺すなんて望んでいません」
「ならば男の心を操って、お前の元に戻るようにしよう」
「違います。もうあんな人に未練はありません。冤・罪・を! 晴らしてください」
「呪い殺せばいいじゃないか!」
「何の解決にもならないー!」
頭を抱えて叫ぶ。
そこでアリスティアはひとつの可能性に思い至った。
「できないんですか?」
「な…………何の話だ」
「できないんですか? 邪竜ブラド」
詰め寄ると、邪竜ブラドは開き直ったようにふんぞり返った。
「冤罪を晴らすだと? そんな正義の天使みたいなマネできるか!」
「だから正義の天使を呼ぼうとしたのにー!」
うずくまって叫ぶ。
「ええいまどろっこしい! 来い!」
「きゃあっ!」
アリスティアを肩に抱えて、窓を開けて二階の部屋から外に飛び出す。
颯爽と地面に降り立つと、アリスティアを下ろして大きな竜の姿になった。
どこからどう見ても竜。黒い鱗に覆われた身体。巨大な翼。鋭くとがった爪。
「乗れ」
「無理です。そこまで登れません。鞍も手綱もありません」
「人間というのは脆弱なものだ」
人型に戻り、アリスティアを抱き上げ、翼を広げる。
空を飛ぶ。王都まで。
馬車では何日もかかった道も、邪竜の翼ではあっという間だった。飛翔中は防壁が張られていて、アリスティアは上空を飛んでも風も寒さも感じなかった。
邪竜の防壁は視線からも守るのか、王城に近づいても何の騒ぎも起きない。
ブラドはそのまま第二王子の私室のバルコニーまで飛んでいく。
部屋の中では第二王子と子爵令嬢が楽しそうに身を寄せて、笑い合っていた。
「見えるな? あれがお前を嵌めたやつらか。見せてやろう。その心の内を」
(うふふ、やっとあの邪魔な陰気女を追っ払えたわ。これであたしの一生は安泰! でもどうせなら王妃になって贅沢したいなぁ! この馬鹿はキープして、王太子様の方を狙ってみちゃお。なびかなかったら殺しちゃってもいいし。チャンスはいっぱいあるんだから)
「これが女の心の中だ。男の方は、まあ、なんだ。ただの色狂いだ。あー、いかん、見せられるもんじゃない」
こほん、と咳ばらいをひとつ。
「くくくっ、幸せそうに見えて腹の中は欲と欺瞞で真っ黒だ。ブチ殺したいだろう?」
「おかわいそう。おふたりとも、ご自分を偽っているなんて」
「お前って結構アレだな」
「ブラド。願いを変えます」
邪竜の金色の瞳をまっすぐに覗き込む。
「おふたりがもう二度とご自分の心を偽らなくてもいいように、嘘がつけないようにしてください」
◆◇◆◇◆◇
七日後。
「お嬢様、よかったですね。冤罪が晴れて」
領地の温室で本を読んでいたアリスティアに、新しい執事が紅茶を運んでくる。
アリスティアの冤罪はあっけないほどすぐに解けた。城から謝罪と再婚約の申し込みがあったが、アリスティアは「わたくしには務まりませんので」と断った。
「第二王子と子爵令嬢は、結局別れられたようですよ。王侯貴族からも総スカンを喰らってやがるそうです。あんな場所で正直に全部喋ればそうなるだろうな」
「あらあら。ブラド、翼と地が出てきていますわよ」
若い執事の背には黒い翼が生えている。
「でも、ブラドはそちらの方がすてきですね」
アリスティアは微笑む。
「ところでまだ私の魂を回収しないのですか」
「まだ早い。わざわざこっちに来てお前の魂ひとつっきりじゃ割に合わん」
「そうなのですね。でもわたくし、これからもあなたに魂を回収させるようなことはさせないと思いますわよ?」
「それはわからんだろう? お前の心が真っ黒に染まるまで、すぐそばで監視させてもらうぞ!」
伯爵令嬢アリスティアは生涯結婚はしなかったが、笑顔の絶えない一生を過ごしたという。その傍らには常に黒髪の執事が仕えていた。