76話.うさぎ、狐と邂逅する
太陽が顔を地平線へと隠し、本来なら暗闇が世界を覆う時間だが、まだまだ町は看板の光や街灯によって明るくてらされている。
7時を少し過ぎた頃、夕食を終えた私とあきは帰り道を歩いていた。
2人で話しながら歩いていると、道路の端の方にぽつんと佇む屋台のお店が見える。こんな所に屋台があるなんて知りませんでしたわ、と思いながら何となくその屋台を見ながら歩いていると、風で暖簾が少し靡いて中にいる人がちらりと見えた。
あら、あれは……
「あきは先に帰っていてくれて構いませんわ」
「え、お嬢様!?」
「では、また後で!」
あきにそう声をかけると、屋台の方へと急いで走りよる。スっと暖簾を上げてくぐると、やはり思い描いていた人がいた。
「倉本さん」
「宇佐美さん!?」
そこに居たのは結月さんや新堂さんの同僚の倉本奏汰さんだった。私を見て驚いている。倉本さんとはあまり話したことがなかったが、ちょっと話してみたいなと思ったのだ。ここで会ったのも何かの縁でしょう。
「宇佐美さんみたいなお嬢様もこんな屋台にくるんですね」
「あら、私は確かにお嬢様かもしれないですけれど、屋台に来てはいけないなんてルールはございませんもの……と言いつつ、初めてなのですけれども」
ニコッと笑ってこたえると、倉本さんも「やっぱり行ったことないんじゃないですか」と笑った。
「お隣、よろしくて?」
「俺なんかの隣でよろしければどうぞ」
私が聞くと、倉本さんは笑って隣を手でさしてくれた。屋台の客は倉本さんと私しかおらず、その他には優しそうな店主のおじさんとおばさんがニコニコ笑って「いらっしゃい」と言ってくれた。
倉本さんの隣に座る。倉本さんはどうやら夕食を食べていたようで、テーブルの上には唐揚げと焼き鳥、それからビールが置かれていた。
「倉本さんは屋台によく来られるんですの?」
「そうですね、よくとは言えないかもしれませんがたまに来ますよ」
気さくに笑う倉本さんはそう言いながら、私にメニューを渡してくれる。
「そうなんですの。初めての私に、何がおすすめか教えて下さいます?」
「俺のおすすめでいいんですか?」
「ええ是非!」
困惑する倉本さんに私は頷く。こういうのは詳しい人に聞くのが1番だ。たまに屋台に来るなら私より倉本さんは詳しいはずだから。
「そうですねぇ……。焼き鳥、うまいですよ。なんこつ唐揚げなんかもうまいです。あとは……」
うんうんと悩みながら倉本さんは教えてくれる。優しい人なんだと思う。
「あ、夕食は食べられました?まだでしたら、やっぱりラーメンとかがいいんじゃないでしょうか」
ハッと気づいたように問いかける。確かに先程夕食を済ませた。でも、心配ご無用。まだ全然食べられる。倉本さんが食べている唐揚げや焼き鳥の匂いでお腹が空いてきたし、オススメされた屋台のラーメンも食べてみたい。
「夕食はすませましたが、まだ、食べられますわ。ラーメンはあまり食べたことがないので頂きたいですわ。それから、倉本さんが教えてくれたこれとこれも食べたいですわ」
そう言うと、倉本さんはいつもは細い目をめいいっぱい大きく開いてこちらを見る。驚いているのがわかる。店主さんに私が注文するのを見届けた後、倉本さんはあっけに取られた顔でこちらをみたまま口を開いた。
「そんな細っこい身体でよく食べるなぁ」
「私、鍛えているんですのよ。武道なども嗜んでおりますの」
柔道や空手、剣道、薙刀、舞踊なんかもする。もちろん茶道や華道など動と静のバランスを習い事をしていた。もう習い事としてはしていないが、いまでもたまにすることがある。習い事を沢山させてくれたお父様には感謝をしている。
「そうなんですね」
「引かれました?」
女っぽくない、強くない方がいいと言われるだろうか。そう少し不安になる。昔、私を狙った誘拐犯を返り討ちにしたことがあるのだ。誰も表立っては言わないが、影では散々な言われようだった。
自分の身を自分で守ったのだからいい事だと思うのだけれど。
誘拐犯の件、後悔は全くしていないが、自分の力強さを見せるのはちょっと躊躇する。
「いや、全然。むしろすげぇなぁと思いました」
キラキラとした瞳で言われたからちょっと恥ずかしくなる。純粋に嬉しくて、心がポカポカとする。ちょっとの間広がる無言の時間。
その時、ちょうど屋台のラーメンがやってくる。カウンターの向かい側からテーブルへと出されたラーメンは湯気が立ち上っていて美味しそうだ。
「素晴らしいですわ!これが屋台ラーメンですのね!」
その後渡されたなんこつ唐揚げや焼き鳥、唐揚げなど屋台の料理はどれもとても美味しかった。
「本当に美味しかったですわ。屋台にいらっしゃっているだけありますわ。たまに、と仰っていましたが、どんな時に来られるんですの?」
そう聞くと、倉本さんは少し目を泳がせたあと、
「俺は……そうだな、色々あると……ですかね」
そう言って彼は一瞬とても悲しそうな顔をした。何かを諦めたような、辛そうな、そして痛そうな心が見える。
「色々……?」
私が聞き返すと、少し慌てた素振りを見せる倉本さん。
「あ、いや、なんだろう、気分転換をしたい時とか……いいことがあった時ももちろん来ますよ」
「そうなんですのね」
今日、何かあったのだろうか。辛いことが。きっと胸を締め付けられるような痛みのある何かがあったのかもしれない。今日やっと話をした私にはきっと言えないことだろうけれど。
でも、なぜか……
その悲しみ、私が癒せたらいいななんて、思ってしまったんだ。なぜだろう。切なく笑う倉本さんが儚くも美しく、消えてしまいそうだったからだろうか。