70話.狐、濡れ鼠を拾う
会社からの帰り道。30分くらい残業してしまったから、雨に降られた。幸い会社に置き傘をしていたから濡れずに済んだが。
雨は嫌いではないが、好きでもない。外に出るのは憂鬱に感じるが雨音なんかは嫌いじゃないしな。
駅までの道のりを足早に歩いていると、公園に人影が見えた。立ち止まってよく見ると、ベンチに座って動かないその人。傘もささず、雨に打たれながらただベンチに座っている。
「こんな時間に雨の中何やってんだ……?」
心配になった俺は、そっとそいつに近づく。少し近づくと、ベンチのと隣に立っている街灯に照らされ、その人物の姿がはっきり見えた。
「結月!?」
そこにいたのは、会社の同僚、結月陽葵だった。ただ雨の中、静かに膝に顔を埋めて座っているが、その背格好から結月だとわかる。
慌てて近寄り、びっしょりと濡れた結月に傘をかたむけた。
「おい、結月だよな!?どうしたんだよ、こんなところで」
そう近くで聞くと、結月は緩慢な動作でこちらを見上げた。
「………倉本……?」
「そうだ。ってか、ほんとお前、何やってんだよ!?びしょ濡れじゃねぇーか!」
そう声をかけるが、結月はあまり感情を見せない瞳でこちらを見るだけだった。だが、その目はどこか赤くて。瞳に溜められた涙がつーっと流れ落ちる。
雨の雫に紛れそうだが、それは涙だとわかる。だって、傘をさしていても、次から次へとその大きな瞳から零れ落ちているから。
どうして……あんたはそんなに泣いてるんだ?
「……な、なんでもないっ!!なんでもないの……!」
一瞬呆けたような顔をしていた結月だったが、次の瞬間、ササッとその涙を自分の甲で拭って、それから、こちらをニコリと笑顔さえ貼り付けて見た。でも、それは明らかに嘘だ。見え透いた嘘。
そんなに苦しそうなのに、辛そうなのに。
なんでもないわけ、ない。
「なんでもないわけ、ねぇだろ」
次から次へと溢れてくるその涙をググッと自分の目をこすることでとめる結月。そんな結月の手を傘を持つ手と反対の手で止める。
「大丈夫、ごめん」
「……そんなに、苦しそうなのに、大丈夫とか言うなよ……」
どうしたものか……と考えて、ひとまず雨の当たらない所へ移動することにする。落ち着かせるにしても、話を聞くにしても傘を片手にしたこの体制のままじゃ無理だ。
キョロキョロと辺りを見回すと、公園の端に東屋があるのが見えた。あれなら屋根があるからこれ以上濡れることはないだろう。
「なぁ、あっち行くぞ」
あっち行く?と誘っても動かないだろうと踏んで、断定して言ったあと、有無を言わさずその手を引っ張って立ち上がらせる。
「な、え!?」
「いいから、付いてこい」
そう言うと、抵抗できないと思ったのか結月はゆっくりと俺について歩き出した。
★
東屋につくと、結月をベンチに座らせ、俺自身も傘を畳む。結月が寒くなるといけないから、自分のジャケットを脱いで結月の肩にかける。俺は傘をさしていたから、ジャケットは濡れていないはずだ。
それから、近くにあった自動販売機でコーヒーの温かいものを買い、結月へと渡す。
「寒くねぇか?」
「……倉本が優しい……明日は大雨かな」
「何言ってんだ、今日こそ大雨だろう」
こんな時でさえ憎まれ口をたたくのか、いや、憎まれ口をたたけるくらい落ち着いたのか。そう思い苦笑しつつ、結月の隣に座る。
「落ち着いたか?」
「うん、ごめん」
結月は寒くなってきたのかコーヒーの缶を少し握り、手を温めながら言う。俺は一緒に買ったコーヒーをカチリと開け、一口に含む。
その一口を飲み込んでから、
「………で?なにかあったのか?」
そう聞いた。何となく決まり悪くて、結月の方は見れなくて、前を向いたまま。
「………」
「……いや、無理に聞き出すのは良くねぇか。でも、まあ、1人で抱えるより、誰かに話した方が楽になることもあると思うっつーか……」
まとまらなくてごにょごにょと言うと、結月はクスッと笑った。
「ありがと、心配してくれてるんだよね」
「……そ、そういう訳じゃ……ねぇこともねぇ……」
こういう時でさえ、素直になれない俺は本当にダメな奴だと思う。自分でもわかっている。
「あのね、私、大好きな人と別れなきゃいけなくなっちゃったの」
息を吸う音が聞こえ、その後結月はポツリと言った。落ち着いた声音だった。
「………え?」
思わず聞き返す。何ともないように言う結月は、続けて言う。
「付き合っている人に、愛している人がいたの……っ……」
耐えられなくなったようで、またその瞳から涙が溢れるのが見える。
みるみる溜まっていくその雫はとどまることができず、とうとう目の縁からこぼれ落ちる。頬を伝って落ちる涙はポタリポタリと小さなシミを作る。
その苦しい思いが伝わってきて、こちらまで苦しくなる。
……苦しくなるのに……ちょっとだけ心が浮上した自分がいた。




