69話.わたし、雨に打たれる
サーッと悲しげに聞こえる雨音が世界を支配している。冷たい雫が容赦なく私の身体を叩き、体温を奪っていく。
雨の中、私は走った。
身体を冷やしてくれる雨が、私の内側から出てくる温かい雫とともに流れ落ちる。冷たい雨が私の涙を隠してくれるから心地よく感じる。
何もかも消してくれそうだった。
何もかも溶かしてくれそうだった。
走っていると息が切れてきて、苦しくなって、近くにあった公園のベンチに座った。雨は相変わらず降り注いでくるし、もう濡れていない所なんてないのではないかというほど濡れているが、どうでも良く感じた。
ただ、この雨の中、心ごと消してくれたらどんなにか楽だろう。
でも、浮かんでくるのはあの二人の様子で。ゆうくんと凛さんが幸せそうに話しているあの空間で。ゆうくんが幸せそうに微笑んでいる姿で。
あれが、正解な気がした。
私じゃなくて、凛さんと2人ているのが。
当たり前だよね。
婚約者、なんだもんね。
私の幸せより、彼が幸せでいてくれる方がずっといい。
それなら、さよなら、しないと。
君が安心して幸せになれるように。
君が凛さんと一緒にいられるように。
スマホを取り出し、震える手でゆうくんの連絡先をタップして開いた。電話は出来そうにないから、メッセージで送ることにする。
久しぶりに見た彼の名前と、それから今まで見ていなかったたくさんの心配したようなメッセージに苦しくなる。君は優しいのか、優しくないのか。本当に好きな相手以外にこんなメッセージを送るなんて、ひどく残酷にも思う。
酷い人ね。
そう思うのに、涙がまた零れてくる。頬を伝って、ポタリと地面に落ち、雨とともに消えていく。
手が小さく震えているから、文字を打つ手も震える。震える右手を左手で抑えて、ゆっくりと文字を打っていく。
『あなたなんか大っ嫌い』
うそ、あなたの事が大好き
『もう、こっちに来ないで……』
うそ、ずっとそばにいて欲しい
『別れましょう』
うそ、本当は別れたくなんてない
『さようなら、大好きでした』
ありがとう、ずっと大好きです
打った文字は全部嘘。だって、あなたがまだ好きなんだもの。
でも、送らなきゃ。あとは、送信をするだけ。
私は、ここから、あなたの元から離れなきゃいけないの。心が壊れるその前に。
さぁ、この送信ボタンをタップすれば、この雨空を飛び越えて愛するあの人へと届くから。
私がいなくなれば、彼は心置き無く幸せになれるから。
さようなら、私の愛した人。
幸せに……なってね?
震える指を真ん中よりちょっと下あたりの青い紙飛行機マークへと伸ばす。
…………押せ……なかった。
私はなんて意気地無しなんだろうか。
苦しいなぁ……。
打ったメッセージをそのままに、スマホ電源ボタン押す。カシャリと音が鳴って画面が暗くなった。
暗くなった画面に映るのは雨でぐしゃぐしゃになって、涙を流す私の姿。
ああ、なんて可愛くない顔。
「ブッサイクな顔……」
あまりにも不格好で笑えてくる。にへらと笑うと画面の中の私も同じように動いた。笑い声まで漏れてくる。ひとしきり笑ってから、はぁとひとつため息をついた。
ベンチの上で体育座りをして、足に顔を埋める。
「このまま消えてくれればいいのに」
何度思ったかわからないその気持ちを声に出す。
「あーあ……」
「結月!?」
その時、静寂の公園に響いた声。ついで、走ってくる音。急になくなる、雨の冷たさ。
その声の主が愛する人ではなかったことにちょっとだけ残念に思うと同時に安堵する。
「おい、結月だよな!?どうしたんだよ、こんなところで」
声の方を向くと、そこにはこちらに傘を傾けながら、怪訝そうに眉を寄せた倉本が立っていた。
失恋って苦しいですよね。
わたしも失恋した時は泣いたなぁ……。