52話.雨猫、否定され抜け出す~雨猫過去編2~
僕はそれを、その大きな夢を、叶えたいことを母に話すことにした。毎日、家に帰るのは嫌だったが、その日ばかりはワクワクしていた。
母なら僕の夢を喜んでくれる。今までは、きっと僕に夢がなかったから母はピアノを続けるように言ったんだ。
そう、本気で思っていた。
家に入ると、僕を待っている母。いつもこのまま問答無用で練習室に連れていかれるのだ。
「……お母様」
いつもは無言のままついて行く僕が呼びかけると、母は少し驚いたような顔をしたあと、
「なーに?」
と問いかけた。
「僕、アイドルになりた……っ!?」
最後まで口にすることは出来なかった。突然頬に走ったのは鋭い痛み。
痛みとその勢いで後ろにたたらを踏み、そのまま玄関に倒れ込む。遅れてやってくるのは、じんじんとした痛み。
何が起こったかわからなかった。頬に手を当て、痛みに触れる。そのままゆっくり顔をあげると、戸惑ったような苦しいようなそんな顔をした母が右手を中途半端な位置まであげたまま立っていた。
叩かれたのだ、そう理解した。
戸惑ったような顔をしていたのは一瞬で、母の眉がピクリと動き、みるみる笑顔になっていく。嬉しい笑顔じゃないのはすぐに分かる。だって、手が笑っていない。
感情を無くしたような、能面のような貼り付けた笑顔。
ああ、怒っている。母は、怒っているのだ。
「何を言ってるのかしら?あなたは、ピアニストになるの、当然でしょう?」
「………」
「言葉を間違えたのよね?あなたがピアニストになるのは運命で定められたことだもの」
いや、怒っているというよりは、僕がピアニストになると信じて疑わない表情かもしれない。貼り付けたような笑顔のまま、
「あら、やだわ。こんなことをしていたら練習時間が減ってしまうわよ?行きましょう!」
からからと少女のように笑う母。
先程の僕の言葉など、そして叩いた事実などなかったかのようにあどけない顔をして笑う母。
怖い、と思った。
ああ、母は、そして僕は、どうなってしまうんだろう……。
父だったら、なんと言うだろうか……。帰ってこないからたまにしか会わない、記憶の中の父に思いを馳せる。
………さて、僕の父はどんな顔をしていただろうか。
「結希様、大丈夫でございますか……?」
ふっと自嘲気味に笑った僕に、隣で一部始終を見ていた使用人の1人が遠慮がちに声をかける。その顔は心配そうで。何だかわからないけれど、少しホッとした。
「大丈夫だよ、ありがとう」
「何してるの?はやく〜」
母が子供が駄々をこねるような声音で呼ぶ。
このままじゃ、ダメなのかもしれない。僕の世界を、僕の未来を、自分自身の手で変えなければいけないかもしれない。
ポツリポツリと窓の外で雨音が響き始めた。
もう少し、力をつけたら……自分で動けるようになったら家を出よう、そう決意した。
★
ピアノを練習するかたわら、秘密裏に出ていく準備をし始めた。バレないように、唯一自由になる寝る時間と学校の時間を使って。
そして、凛は最大の協力者だった。夢を語った僕をバカにせず、それどころか「いい夢ですわね」と笑ってくれ、必要なものを用意するのを手伝ってくれた。
そんなある日、凛から、「こんなオーディションがあるらしいですわ」と言って、雑誌を見せられた。
”株式会社 ビジュー 新人発掘オーディション”
それが、今の事務所との出会いであり、僕の将来が決まったものだった。その当時株式会社 ビジューはまだそんなに有名ではない芸能事務所で、所属アイドルや俳優などを募集していた。
僕はそれに応募することにした。もちろん母に内緒で。通知などが着てバレては行けないと思ったため、通知を届ける住所は凛がかしてくれた。
一次の書類審査を合格し、二次審査を受けることになった時、僕は家を出ることにした。母が起きてきたときに気づくように食事の部屋に手紙を置き、それから一応父へ知らせるための手紙を手に握りしめた。途中でポストに入れるつもりだ。
「さよなら……今までありがとう、ごめんなさい」
真っ暗な中にそう呟いた言葉は、誰にも届くことなく消えた。1つ深呼吸をしてから、必要最低限のものを詰め込んだショルダーバッグだけ持って家を飛び出した。
また、その日も雨だった。
ポツリポツリと降る雨が身体を濡らすが、気にならない。夢を絶対叶える、それだけが僕をつき動かしていた。
雨猫過去編その2です。
実はColorsの皆さんの過去はそれぞれ結構濃いです。
いつか、みんなの過去を書いてみたいな……。
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書く力になります(*´ω`*)