51話. 雨猫、回想する ~雨猫過去編1~
ちょっとシリアス、暗めです。閲覧注意……?
カフェで凛と話をしたあと、僕は車で事務所に向かっていた。次の仕事は夜からで、少し時間があるから、一旦事務所に寄ってから行くことにしたのだ。
マネージャーの運転する車に揺られながら、ふと外を見ると、ポツポツと雨が窓を叩くのがみえた。世界が先程の青から薄暗い灰色へと色を変えている。重たい雲が空を覆い隠しているからだ。
僕の身に何かが起こる時、大抵天気は雨な気がする。そう言えば、陽葵と会った日も雨だったっけ。
それから、僕があの家から抜け出した日も。そう、僕が人生を変えたいと本気で願ったあの日。
僕の親は両親共々有名な音楽家だった。父はイギリス人で、賞をいくつも獲ったようなフルート奏者。世界中を飛び回っており、ほとんど家にはいなかったと思う。母は日本人で、ヴァイオリニストだった。父とは反対に日本での活動が多かったから僕はほとんどの時間を母とすごした。
生まれた時から音楽が周りにある環境だった。僕が自然と音楽をするようになるのに時間はかからなかった。気がつけば母や時折帰ってくる父の演奏にあわせて小さな足や手を身体を動かしたり、調子はずれの音で歌ったりしていたと思う。
そんな僕は、なんの疑いもなく、当たり前のように音楽を始めた。始めた楽器はピアノだった。弾き方によって色々な表現をするピアノは本当に大好きだった。
楽しく弾いていた僕だけど、ある日その幸せな毎日は幕を閉じた。
僕が6歳になった時、僕はあるコンクールで賞をとったのだ。生まれて初めて出たコンクールだし、それも大好きな音楽をいっぱい聞けるので、とても楽しかった。そして賞もとてもとても嬉しかった。
でも、その同時期、母は指を怪我してしまった。結構な重症で、日常生活には支障はないが、リハビリをしても繊細な動きは出来ないだろうとのことだった。今まで楽しそうに僕の演奏を聞いていた母から笑顔が消えた。
そして、自分が出来なくなった音楽を、その理想を僕に押し付けるようになったのだ。
毎日、僕と共にピアノがある部屋に入ると、母との個人レッスンが始まる。母はヴァイオリニストだったけれど、ピアノも弾けたから怪我をしてからは付きっきりで教えることになったのだ。
使用人を遠ざけ、父もその頃は仕事がいそがしくて帰って来なくなったから、たった2人の個人レッスンが行われた。それは何時間にも及んだ。お腹が空いても喚いても、腕が痛くっても、何があったって上手くなるまでやめさせて貰えなかった。
学校がある日は朝少し早く起きて練習、登校時間ギリギリに、使用人が持たせてくれた朝ごはんのパンを齧りながら登校。家に帰ってきたら、ゆっくりする暇もなく母が呼びに来て練習再開。
休みの日はほぼ練習室にこもっていた。友達と遊びに行くなんて以ての外、ご飯も時間が勿体ないからと練習室でうまく弾けた時だけ。
寝込んでいた風邪の日だって、ベットから引きずり出された。
上手くできて当たり前。褒められた試しなど1度もない。そのくせ、1音でも間違えたり失敗したりした時は烈火のごとく怒り出す。
多分母は狂っていたのだと思う。あんなに楽しかったはずのピアノも楽しくなくなっていたし、僕は練習時間が苦痛だった。毎日毎日狂いそうだった。夢にだって音符とピアノが出てきた。
コンクールにだって何度か出たけれど、賞なんて1回もとれなかった。だって、音楽に気持ちが伴って居ないから。そして、賞がとれなくてもなんとも思わなかった。とれないでいいとすら思っていた。だって、その方がいつかピアノを弾かなくて済むようになるんじゃないかと思っていたから。母がいつか諦めてくれるんじゃないかって心のどこかで期待していたから。
でも、そんな日は来なかった。練習時間が増えるだけだった。日に日に母のイライラは強くなり、ヒステリックになり、暴言なんて日常茶飯事。人格さえ認めてもらえない発言だってあった。あの穏やかな人がこうもかわれるのか、と怖くなった。
もしかすると本当の母はその怪我をした時にしんで、鬼が母の顔をしてやってきたのではないか、とまで思っていた。
今でも思う。あれは音楽に対する愛でも無ければ僕に対する愛でもない。自らの夢、名声への執着。
苦しくて辛くて……そんな日々の中、出会ったのは凛だった。僕の父と凛の父が親友で、お互い子どもが産まれたら婚約させようと言っていたらしく、久しぶりに帰ってきた父と参加したパーティで「お前の許嫁だ」と紹介されたのだ。
凛はその頃から優しく、それでいて1本筋の通った人だった。有名な会社の社長令嬢だが、そのことは鼻にかけず、気さくで明るく、好奇心旺盛な子だった。不思議に思ったこと、気になったことはなんでも自分でしてみないと気がすまなくて、年下だけど、お姉さんみたいな。
そして、小さい頃から「わたくしはじりつするのですわ」「じぶんのちからで、おかねをためたいんですの」と自分の夢をキラキラした瞳で語る人だった。自分がしっかりあるこの人に僕はとても憧れたし、夢を持ったり語ったりすることは悪いことじゃないんだ、と思えた。
面と向かって「あなたとけっこんするつもりはございませんわ。わたくし、れんあいけっこんとやらをしてみたいんですの」と言われた時は流石にビックリしたが。
僕もまぁ、結婚がとかそういうのを考えるのには早すぎたし、あまりよくわからなかったから、僕と凛は幼なじみであり、友達であり、よき相談相手であり、時にはライバルにだってなる、そんな関係だった。
凛と仲良くなっても母からの脅迫まがいのレッスンは止むことはなかったし、相変わらず休む暇もなかった。そんなある日、数少ない僕の友達が、高校の時、学校で雑誌を読んでいた。雑誌なんて音楽関係しか見たこと無かった僕は、気になって声をかけると、
「それ、なんの雑誌?」
「ファッション雑誌だぜ!」
ニカッと笑った友人はそう言って僕の前にその雑誌を広げて見せてくれた。その友人は服が好きだったらしく、カッコイイ服をまとった5人のアイドルがかっこよくポーズを決めている写真がそこにあった。
目を奪われた。服より、彼らに。
キラキラした彼らの瞳。
急にモデルとして登場している彼らを食い入るように見つめた僕に友人は、苦笑をしていたが、 気にならない。
だって、これだと思ったんだ。
ここでも音楽なのか、と思うとこんな皮肉はないけれど。
でも、目指してみたいって思ったんだ。
夢を見たいって思ったんだ。
雨猫さんの過去です。
もう何話か続きます。
お付き合い下さいませ。