在りし日の憧れを、その背中に見る5
弱さとは。
弱さとは、実に複雑だ。
力でぶつかれば当然強きものが勝つ。弱肉強食と言う言葉にあるように、それは不変の真理でもある。
けれど、それならば弱者はひたすら淘汰されるばかりなのか。
答えは否だ。
弱いものには、弱いものなりの戦い方がある。強き者だけが生き残れるわけではない。
時にそれは強きものすらも出し抜くのだ。
本来、力任せの戦いはイオの得意とするものではない。
自らを偽り、他者を欺き、謀ることこそ――イオの本分だ。
蟲 蟲 蟲
その瞬間、もし蠱獣に表情があったのなら怪訝そうな顔をしただろう。
奇妙な術で惑わされていたが、ヘビトンボにとって真に脅威となりうるのはハルの蠱術だ。
自身の翅を奪い取っていった敵。先ほどと同じく徐々に高まっていくマナの集約は、二度目ともなれば余計見過ごすことなんてできるはずがない。放置すれば今度こそ自分の命を奪い取ると本能で理解できる。
だからこそ、今のうちにその脅威を排除しなければならない。
既に蠱獣だって満身創痍だ。この過酷な世界で生きるには、あまりにも傷を負いすぎている。時を置かずして、自然界の理に淘汰されることだろう。
だが、それは今ここで命を諦めることの理由にはならない。
例え未来に死ぬとしても、自分の命を狙う外敵を放置することなど、出来はしない。
蠱術が使えなくても、牙が、身体がある。後ろの敵は鬱陶しくても大したものではない。
まずは、この小さき生き物を殺す。
洞の前で佇む影。
歩けないのだろうか。上体を動かし必死に距離を取ろうとするが、最早手遅れだ。
顎を大きく開き、その人影へと牙を突き立て――
ジャガギン。
奇妙な現象が起こった。
今の今までそこに見えていた紅毛の少年の姿は消え失せ、牙は樹皮へと食い込む。
洞も、人も、そこには何もなかった。
『幻蒼の鱗光』。
それは幻を瞳に映し出す蠱術。
イオが、大型龍種へと仕掛けた罠だ。
時に自分の姿を、時に存在しない地面を偽る。
もしも、触角が完全であれば、大型龍種がその複眼に映る光景に騙されることは無かったかもしれない。
けれど知覚器官を喪った哀れな蠱獣は目の前の虚像へと、盲進するしかなかったのだ。
牙を樹皮から引きはがす。
龍種はゆっくりと、ゆっくりと首を持ち上げた。
後ろに奴が居るのが分かる。
『姿騙し』の蠱術は解けている。
蠱獣を狂わせるものはない。
既に知覚こそ出来ないが、あのマナの高まりは依然として脅威だ。しかし、それ以上にこの目障りな敵を排除しなければならない。
それはもはや理屈ではない。
自分を直接脅かすものではない、だが、コイツは、コイツだけは殺さなくてはいけない。
この瞬間、イオは本当の意味でこの大型蠱獣の敵となった。
蟲 蟲 蟲
横から地面スレスレに襲い掛かってくる尾っぽに、避ける間もなく直撃した。土ぼこりを巻き上げながら飛ばされるのを、途中刃を突き立てて何とか留まる。
が、息をつく暇も無く2撃、3撃と追撃が来て、こらえきれずに遥か後方の根っこへと叩きつけられた。
押し寄せてくるプレッシャーの質が変わったのが肌に伝わってくる。
今までのような蠱術に翻弄された動きではない。
確固たる意志をもって、一つの敵としてイオを殺しに来ようとしている。
けれど、イオの胸に去来するのは、安堵の感情。
――間に合ってよかった。
どうやら、うまくいったようだ。
本当に、ぎりぎりだった。ここでハルを潰されては今までの苦労が水の泡だったからだ。
間際に触角を奪えたのが何よりの金字塔だ。
だが、その代償は現在進行形で、支払わなければいけないようだ。
視界に星が飛ぶ中、血の混じった唾を吐く。
そこに首を伸ばしてきた奴が、獰猛に嚙みついてくる。
間に無理やり武器をねじ込むが、今までにない衝撃を食らいまたもや地面に倒れ伏す。
そこでようやく、あることに気が付いて愕然とした。
『外骨格』も切れている。
いつだ? 今さっきの話ではない。タイミングとしては『姿騙し』とそう変わらないはずだ。
けど、それにも気が付かないほどに判断能力が低下していたのか。
経験のない強敵との戦いは、毒のように少しずつ少しずつ体を蝕んでいった。
劇的に強くなるなんて、そんなお話のようなことは起こらないのだ。
倒れたままのイオの左腕に熱がねじ込まれた。遅れて激痛が襲った。
「アアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
蠱獣の爪が、イオの腕を貫通して地面に縫い留めている。
逃がさんと言わんばかりに、迫りくる脅威。
まずい、だめだ、死ぬ、逃げる、無理だ、痛い、腕、術を使わ、いや、
右手で咄嗟に武器を短く持ち直す。それは一瞬の判断だった。
鮮血が舞った。
何とか拘束を抜け出して、距離をとる。
左半身がどことなく生温い。もはや痛いのかすらも分からない。
「そっちは触角と、こっちは左腕と。これでお相子だな」
覚束ない足元で、精いっぱい不敵に笑ってみせる。
どうせもう使い物にならないんだ。腕の一本くらいなくなったところで、どうってことない。
動く身体と、使える武器があれば戦える。
「あれ?」
斧槍を持ちなおそうとして、手が滑る。一歩前に進もうとして、ふらつく。
そして、
「ぶごっ」
攻撃がまともに直撃し、今度こそ受け身も何もとれずに吹き飛ぶ。
重なった疲労に、血を大量に失ったことによる限界が近づいて来ていたのだ。
いくら渡り合えていたと言っても、結局のところそれは一時的なものでしかなく、根本的なところでイオは実力不足なのだ。
手にしたハルバートをぶん投げるが、それは遥か上方へと逸れていった。
――ああ、畜生、もっとポリートのただ酒飲んでおけばよかった。
首を傾けると、幻影に隠されたハルが見えた。
それを見て、なんだか無性に可笑しくなった。
は、何泣きそうな顔してるんだよ。そんな子供みたいに……
ほんの少しだけ唇が持ち上がったのと、蠱獣がイオを圧し潰したのは同時だった。




