在りし日の憧れを、その背中に見る1
翅は、飛ぶ為の器官であるが、もう一つ重要な役割を担っている。
それはマナの制御器官だ。
これが、翅が他の蠱術と異なる最たる部分であり、そしてヒトの持つ最大の力でもある。
正直、マナと呼ばれているものがどのようなものなのかは分かっていない。
一般的な理解からすれば、超常的な力を秘めたものであり、遍く世界に満ちているものである。イオからすれば、なんかすごい力、くらいの認識でしかないし、大抵の人もそんなところだろう。
マナは生き物に、大地に、空気に、水に、あらゆるものに含まれている。
それは、本来であれば人の手に負えるものではなく、蟲眼玉から習得した蠱術と言う形でようやくまともに扱えるものであった。
しかし、翅を持つものはそれのさらにもう一段階先へ行く。
――キレイなもんだ。
目の前の光景に、こんな状況だというのに、どこか他人事のようにそんなことを思った。
円形の翅がハルの背中に浮かび上がり光を放っている。中央に線が走っているがこれは左右に分かれるのだろうか。
呼吸をするような、ゆっくりと静かな光のグラデーション。あえて言うなら待機してるときの光る機械がこんな感じで明滅する感じだ。え、表現がダサい? ほっとけ。
こうしてから多分10分ほどが経ち、翅には左右に二つずつ輝きが灯り、そして今もう一つ新しく輝きが増えた。
紅い髪から覗く瞳は、普段イオに絡んでくるときとは異なり、真剣な色を帯びている。
半鳴――およそ30分。それがハルが要求した時間だった。
『今から使う蠱術は特殊だ。同じのを連続で何回も使う必要がある』
彼曰く、その術はそれ単体では威力を発揮しないが、何度も繰り返し発動させることで、その後に使う蠱術の威力を劇的に上げることが出来るのだという。
今のハルが重ねられる回数は最大で10回。相手次第ではもうちょっと少なくても良いだろうが、そこまでやればほとんどの大型種に通用する、と。
それに必要な時間が大体半鳴ということらしい。
普通であれば、蠱術は一度使ったら再びその『器』に力が――マナが満ちるまで同じ蠱術は使えない。それは不変のルールであり、けれど翅を持つものにとっては事実であっても正確ではない。
翅によるマナの制御能力。
例えば蠱術の性能を底上げしたり、蠱術の効果を長引かせたりと、用途は色々あるようだが、その中でも特に顕著なのは器へのマナの供給だろう。
それによって短い間隔で蠱術を再び使えるようにする。それはこの世界で生き抜くにおいて、かなりのアドバンテージのはずだ。
……ちなみにさっきから全部伝聞調だったり、推測ばっかりなのは、自分でほとんど使ったことが無いからだ。
翅の形が歪んでいるためか、飛ぶことはおろか、安定したマナの供給とかなにそれ、って状態である。
翅が使えたとしてもせいぜい一発屋、みたいな感じで蠱術を強くすることくらいじゃないかね?
ただ、翅が使えても、そう簡単な話でもないようで。
『……オレはまだ飛びながら蠱術の発動に翅を使うことが出来ない』
『僕はそもそも翅を使うことが出来ないですけど?』
『は? 知ってるよんなこと』
『……続けてどうぞ』
飛ぶか蠱術に力を費やすか。両方とも成立させるのは意外と大変なようで、特に今回のような蠱術はそれだけに集中しないとさらに時間がかかってしまうそうだ。
是非とも、これだけに集中してください。
足は負傷、少しくらいは動けても機敏な動きは不可能。翅は移動に使えず、ほぼ固定砲台状態。
ハルのそれらの状態を加味して、場所は入り口近く、穴から覗いて標的の姿が見えるところに構えられた。どのみち、攻撃の際は外に出なくてはならないし。
洞に引きこもって準備してもいいのかもしれないが、外の様子というか蠱獣の様子が分からないと対応が遅れる、と判断してこうなった。
肝心のキーマンであるハルは、壁に寄り掛かり、でもそんな体勢はお構いなしに眼は一心に敵を見据えている。
ここからはひたすら時間との戦いだ。
敵は触角を失っているが、それでも完全に気が付かれない、なんてことはあり得ない。つまり、敵に気が付かれるまでに、どれだけ時間を稼げるかが生死の分かれ目だ。
そして、それまでイオにできることは何もないわけだ。
ハルとは反対側の壁まで行って、ハルバートを抱くようにして体を休める。敵の動きに気を付けながらも、ぼぉっと視界の片隅で瞬く翅を何の気なしに見つめ続ける。
なんだっけ、あの模様。こう、思い出せないけど。あれ、アレだよあれ。
「あ? んだよそんなにコッツィ族の翅が珍しいか?」
「つー訳じゃないけど、そうやっぱコッツィか。なんか似てると思ってたんだテントウムシだよテントウムシ」
「はぁ?」
「テントウムシ、知らない? 半球状の蟲でアリマキとか食べてくれるガーデニングやってる人の心強い味方だよ」
翅は如実に眷属を語る。アリスのようなディプラは二枚の翅が特徴だし、いかにも蝶のような翅を持っている人はレピディアだとみるだけで大体分かる。
けれど、その同じ眷属の中でも、翅の模様は種族によって大きく変わってくる。メリーのようなギ族みたいに、翅がないものもいるしね。
コッツィ族は、そんなコレオリアの眷属の中でもテントウムシみたいな翅をした種族だ。まあ、単に上翅が半円形ってのと模様で思っただけで、似たようなやつ上げだしたらキリないけど。
テントウムシは日本だと子供にもそれなりに人気があった虫だと思うけど、こっちだとどうだろうね。てか、ガーデニングの形式が違うから、同じ感じでは捉えられないか。
「知ってるよ。それくらい」
おお、マジか。前に誰かに言ったときは微妙な反応しか返ってこなかったから、てっきりこの世界じゃ意味が通じないかと思ってたわ。
一人で少しテンションが上がる一方、ハルはそっけなく呟いたきり、再び蠱獣を見据えていた。
あー……邪魔してすんません。
薄暗い洞の中が、翅で照らされる。今、またさらに一つ輝きが増えた。
「アンタは」
しばらくすると今度は向こうから話しかけてきた。
「アンタは何で彷徨者なんてやってんだ」
「何さ急に」
「いいから答えろ」
藪から棒に何を言い出すんだこのガキゃ。
横暴じゃねーかおうおう。
「それはアレ? 弱いくせになんで彷徨者やってるのかってこと?
僕くらいの実力でも調査員とかに転向しないで狩人専門でやってるやつもいるし別に珍しくないでしょ」
そう、別にイオみたいな活動の仕方をしている彷徨者なんて珍しくもなんともない。それなのに、なぜここまでこいつが突っかかってくるのか。
手のひらを上に向けて首をすくめてみせるが、そんなイオをハルは睨みつける。
「…………普通に蠱獣の素材売った方が稼げるから、って答えれば満足?」
「それで死ぬことになってもか?」
「そうなったらそうなっただ」
死にたくない、とは思うし死なないようにあがくけど、どうしようもない時はある。
精いっぱいあがいて、それでもダメなときはダメなのだろう。
出来る限りのことをしても、なるようにしかならない。けど、出来ることはしよう。
こんな世界だからか、または一度死んだからか。その気持ちはいつも変わらない。
「――オレは、クリスピューラの蟲津波の時に彷徨者に助けられた」
「ほーん、命は尊いから大事にしましょうって? それとも人を助けるためとかいう大層な理由で彷徨者になったって言った方が良かったってこと?」
ギチ、とハルの歯が軋みを立てた。
「一握りの凄い人たちに憧れるのは勝手だけど、誰もがそんな立派な人間じゃないんだ。理想の彷徨者なんて世の中のほんの一部さ。誰も彼もにそんなもの求めるのはお門違いってもんだ」
あるいは、そう思われている彼らも、心の内ではどう思っているか。
「……やっぱり、オレは、てめーが嫌いだ」
「そ」
少しは打ち解けたかもしれないと思ったけど、まあ元々こんな関係だ。仲良くする必要なんかないさ。
せいぜい憎まれ口叩いて送り出してくれればいい。
外に動きはなく、沈黙が広がる。
ただ二人、その時のために備える。
……このままいける、か? いけると嬉しいけど。
「お?」
「あん?」
羽音――バタバタと忙しない音が外から聞こえてきた。反射的にそちらに顔を向けると、洞の隙間から巨体が翅を震わせ上空へと飛んだのが垣間見えた。
ほう。…………ん? あれ、居なく、なった?
「あー」
「……飛んでったな」
肩透かし、ってかこのタイミングで? なんだろう、すごく色々と準備してたのにこの仕打ち。悪いことではない、むしろありがたいことだが……。
恐る恐る入り口から外を見る。見える範囲には、蠱獣は見当たらない。てか枝が邪魔だ。ええい、どけい!
慎重になりながら、外に出てみる。うーん、やっぱいないな。
「おい、どうだ?」
「飛んでった、っぽいのかな?」
焦れたのか、声をかけながらハルも自力で洞から這い出てきた。
それに応える形で後ろを振り向き、その時視界の端にそれが目に入り、何の気なしに上を向く。つられてハルも上を見上げる。
ほぼ直上、遥か上の方の幹に巨大な影。
その遠近感が狂ったよう巨躯のせいで、遠いのに姿が良く認識できる。
樹の幹に止まった、大型蠱獣がそこに居た。
奴は首をこちらに向けて――そしてチカッと何かが輝いた。
見上げたままのポーズで、身体が固定される。
顔も、手も、足も。思考だけが回り、身体は石像にでもなったように動かすことが叶わない。
頭上で、巨大な一つ目の紋様が燦然と輝く。
『蛇紋眼』
冗談じゃ……ない!!
当たり前のことだが、この蠱術を使えるのが自分だけなわけない。
相手の持つ蠱術は全てが未知数。だが、この蠱術を使えるなんて。
空間毎縫い留められる肉体。反射的に蠱術で逃げようとして――驚愕した。
使えない!?
なぜ、動きが鈍い、『蛇紋眼』なら少なくとも蠱術は使えるはずなのに。
焦るイオを嘲笑うように、頭上で再び何かが瞬く。
大きく開いた牙の間へと視覚化されるほどのマナが集約される。アレが何かなんて分からなくても、間違いなくヤバいことだけは分かる。
畜生、奴は恐らく蠱術が回復するのを待っていたのか。
逃げられない。
「――ぅぅルああああガああアアアア!」
同じく固まっているはずのハルが絞り出すように吠えた。
隣から強烈な閃光が放たれ、おそらくほぼ同時に蠱獣からもエネルギーが解き放たれる。衝撃に揉まれ、ただ、ひたすら白く消失した世界。
背中からどこかに打ち付けられ、息が詰まるのも他所に、身体を捩ってそこを見る。
ハルは無事か?
「おい、ハル! 何が、」
「奴はどうなった!?」
くぐもった声が洞の中から返ってくる。
その声に思い出して上を見れば、ヘビトンボの尾っぽが視界一杯に広がっていた。思わずかがんで、それを避ける。
「ちょあす!」
「はぁ!?」
「何でもない、生きてる!」
「お前が?!」
「敵!」
ちょっとした地響きを伴って落下してきた大型蠱獣。
運よく真下には落ちてこなかったようだが、少し離れたところでもがきながら身を起こそうとしている。
ヤバい、ヤバいヤバい。
急いで洞まで駆け寄る。
そしてハルを洞から引っ張り上げながら、尋ねた。
「蠱術は!?」
「たった今使った!」
だから助かったのか。
洞の入り口から逸れたところに、焼き焦げた跡。そして、振り返れば片方の翅を喪ったドラゴンの姿。
無理矢理でもあの状況で蠱術を発動させたのか。おかげで九死に一生を得たようだが、仕留めるほどの威力には及ばなかったようだ。
「相手の翅は奪えたみたいだ。今なら飛んで逃げられるかも」
「――無理だ。さっきの変な眼玉の食らってから翅が上手く使えねぇ」
「……完全に無理?」
「飛ぶのは無理だ。……蠱術を使うくらいなら、なんとかいけそうだが」
その言葉を脳内で噛みしめる。
――ああ。
洞を背にハルバートを肩に担ぐ。
なんでこうなるのか。神さまに嫌われてるのかな。生憎こっちでもあっちでも神様にも面識ないしなぁ。
それかそんなに前世で悪いことしたっけ。比喩じゃなくて真面目に記憶にねーぞ。標本作るために虫殺し過ぎたとか? ハッ、笑えねぇや。
10分も、20分も……30分も変わりないか。なーに、ちょっとだけ、稼ぐ時間が長くなっただけだ。
「ハル、時間があれば今のもう一回行ける?」
「……おい、まさかてめー」
「いけるか聞いてる。どう?」
「待てよ、無茶だ! お前じゃ、アレに」
「ハルモニア」
静かに、問いかける。
後ろでは、こちらに鎌首をもたげる、龍の姿。翅を奪ったこちらを完全に敵とみなしたようだ。
遠目で見たのとは違い、こうしてみると如何に強大かが分かる。高さだけで何メートルあるんだ?
「出来るね?」
「――――」
何か、言った気がした。言葉にならない声が返ってきた気がした。
沈黙は肯定と受け取るぞ?
「ほらほら、ぼさっとしてないで、生き残りたいならさっさと動く」
相手は待ってくれない。
頼むぜ、未来の英雄さん。
今だけでいい。人のためじゃなくていい。アンタが生き残るために、アンタの嫌いな奴を助けてくれ。
くるりと武器を一回しする。
ほら、お客さんがお待ちだ。
牙を軋ませ、威嚇するドラゴン。
それに、せめて大胆不敵に対峙してみせる。
構える刃。チリチリと空気が張りつめる。
弱虫の精いっぱいの意地の張りどころだ。
相手も五体満足ではない。むしろ満身創痍と言っても過言ではないにもかかわらず、圧倒的な存在感と、威圧感。
無機質な水晶の集まった眼が、こちらを捉える。
さあ、かかってこい……!
グワリ、まるで鉄柱のような首が振り上げられ――イオの居る空間を薙ぎ払った。
時間かかったけど、何とかまとまったと思うので、とりま戦闘終わるまで極力日刊頑張る。




