反乱
反乱
病室での俺の仕事は特に決まっていない。その時の状況で対処することが多いので、
ナースセンターでずっと待機していることもある。患者さんによっては付き沿いの人がいなかったり、事情で家族が来なかったりすることがある。そういう時にサポートしてあげたり、話し相手になったりしている。この日は昇兄さんから言ってきた。
「正義、病室巡回のサポートをやってくれ」
「ういっす」
兄さんが俺にこのようなことを頼むのは珍しい。普段俺は巡回の邪魔にならないように待機させられていることが多いからだ。ただ、昇兄さんは気分屋のところがあるので、俺にこんなことを頼むのは最初で最後のことかもしれない。
巡回の初めの病室は、先ほどの急患で入った林議員のところだ。議員秘書が理事長と話をしていたが、その後の経過のことはわからない。でも特に何にも聞いていないので、
容態は安定していることは予想できる。ドアをノックすると、
「はい」
林議員の奥さんが返事をしてドアを開けた。
「林先生、ご気分はいかがですか」
昇兄さんは、患者の顔色や様子を見ながら笑顔で挨拶した。
兄さんの執刀で頭の怪我も回復し、手術の結果も順調なので、さすがの林議員も兄さんを高く評価しているようである。それに長年の肝臓病も治ったこともあって、驚きを隠せないでいるようだ。
「三神先生、調子がいいです。ありがとう。いつごろ退院できますか」
「術後の検査や、回復状況を二、三日見ます。それから退院の日を決めます」
「そうですか、今日の会議をキャンセルしているので、来週は会議に参席したいですがね。あー希望ですよ。今は非常に体調がいい。三神先生はやはり評判通りですな」
議員の林先生に、あそこまでお世辞を言わなくてもいいんじゃないかな。でも、確かに西洋医学では少しくらいの症状では、本当の病気はわからない。だから治療も対処的なものになってしまう。そこが西洋医学の限界と言われているところだろう。悪くなる前に治せないものだろうか。俺の心の中になにか言い知れない感情が湧いてきた。
「正義だめですよ。今までとは違ってあなたの感情一つで、この病室が爆弾でも投げられたような被害が出ますよ。それぐらい正義の霊力は上がっていますから」
ルシムは今までにない強い口調で言ってきた。
「ルシム、どういうことだ」
正義の心の動き
俺は少し冷静になっていたが、ルシムの言葉は何か癪に触ってムラムラときた。
「仙人の力は、正義の潜在能力を引き出しただけではありません。霊が見えるということは、霊界の力を引き出せるということです。どういうことかよく理解し行動しなければいけないですね。今まではあまりそういう感情はなかったので戸惑うと思いますが、霊界の力を最大限に引き出す力がついたとしたら、地球までもが危ない」
「怖えー。俺は、スーパーマンとか超人とか何かかい?地球侵略者になっちまうな。」
「危険なことは避けないと…」ルシムが俺の側でいろいろ話していると、
「正義、あたいもタッチできない人がいる」
「ミーシャヲ、どういうことだ」
「患者さん病気を治したい、だけど邪魔をするやつ強いと治療できない」
「邪魔する奴がいるのか。それはどういうことだ」
俺は冷静になりつつあったが、ここに来てまた心が不安定になってきた。
「ミーシャヲ、だめですよ。正義の心に不安な材料を持ち込まないでください」
「悪かった、正義、気にするな」
ミーシャヲはまた二階の病室を見て回るため、俺の側を離れた。
「それでは林先生、明日また回診に来ます」
昇兄さんは挨拶をして病室を出た。そしてすぐ隣の病室に入った。小さな病院で病室は二十余り。巡回にはそんなに時間はかからない。患者の顔色や表情をみたり、術後の容体を聞いたりする。カルテのデータとも照らし合わせながら、経過が順調な患者には退院の話をする。
内の病院にはリハビリ室がないので、入院後に運動機能の回復が必要な患者については、リハビリセンターを紹介してそちらに移ってもらうことにしている。
俺は何とか気持ちを抑えながら昇兄さんについて病室を回っていた。するとミーシャヲがニコニコ楽しそうに飛んできた。
「正義、あの角の患者さん面白い」
「ミーシャヲ、騒いだらだめだぞ」
俺はミーシャヲが見た患者さんがどのような人かわかっている。でも面白いというのはおかしな言い方だ。まさか俺がいないところで勝手に何かやらかしたのか。
「正義、ミーシャヲは何もやっていませんよ。あなたが行動しない限り動けません」
天使の存在と現実
ルシムやミーシャヲのような天使という存在は、霊界の原則以外のことや、人の目から見たら奇跡のようなことは、むやみに行ってはいけないというルールを守って行動しなければならないということだ。もしそのルールに反した場合は、大変な代償を払って償わなければならない。
「そうか、霊界、霊が見えるということはリスクも伴うということなんだ。そのことがわかってよかったよ」
俺は角の病室に向かいながら、ルシムとミーシャヲに語りかけた。
「その患者さんは胃癌だ。うちでの手術は二回目になる。おそらく彼は、癌が移転していると思い込んでいる。そのことでいつも不安な心でいるようだ」
俺がそう感じたのはこの前仙人に会って、人の体と心の異常を微妙に感じ取れるように
なったからだ。今病院で行うべきことは患者さんの不安を取り除いてあげる事ではないだろうか。だから患者さんの精神状態こそ問題なんだ。
「正義、何かそのこと以外にも問題があるのではないですか」ルシムが言ってきた。
「そのとおり。よくわかったな。患者さんは渡辺あきら、七十五才。奥さんに先立たれ、六年間一人で生活していた。本人は身内などいないと言っていたが、娘さんがいたらしい。最近突然何らかの理由で戻ってきたようだ。
ある日面会時間外に病院を訪れてきた女の人と、渡辺さんがもめていたことがあった。
その時渡辺さんは、女の人に向かって『俺は父親だ』と言っていた。俺は女の人に、他の患者さんの迷惑にもなるので面会時間を守ってほしいと伝えた。そうしたら、
『仕事の関係でこの時間しか来られない』と言うし、
『早く決着をつけてほしい』と、わけのわからないことを言ったりしていた。その後渡辺さんは精神状態が不安定になってうつ状態になった」
「ミーシャヲ、うつ病の患者さん見た」
「薬での治療や、カウンセリングなどを用いて診療を行ったとしても、結局は本人に生きるという強い思いがなければ克服が難しい病気だ。ミーシャヲ、病気の他に何か違うものを見たのか」
「患者さん以外に周りを見た。悪い霊が取りついている」
「ミーシャヲ、それはどういうことだ」
悪霊の存在と守護天使
俺がそんなやり取りをしている間に、昇兄さんの巡回はスムーズに渡辺さんがいる病室に移動していった。
「渡辺さん、気分はいかがですか。経過は順調でもうすぐ退院できますよ。リハビリセンターに移って元気になってください」
昇兄さんは、渡辺さんを安心させる話をしていた。しかしその会話の途中で突然悪霊が現れた。
俺は悪霊を初めて見た。渡辺さんの周りに黒い煙のようなものが現れ、宙に浮かんで不気味にウネウネと動いている。その物体の中には目のようなものがあり、こちらを見ているように感じられる。どうもこの霊は人の思い悩み、復讐心、殺意などの感情に合わせて現れるようである。
誰にも守護天使はついているのだが、悪霊が付くと守護天使も働けなくなってしまうのだろう。たぶん渡辺さんの守護天使も動けないようだ。
「昇兄さんがこんなもの見えなくて良かったよ。俺以上に激しい性格だから、きっと悪霊を自分の力で何とかやっつけてしまおうと思うだろうな」
「正義、もしも相手が攻撃してきたら、私があなたを守りますよ」
「ありがとう。でもどうして攻撃してくるってわかるんだ。俺にはその正体もよくわからない。何もかも初めてのことだからな」
俺がルシムと話していると、渡辺さんの娘だという女の人がやってきた。こんなときに来るなんてなんて巡り合わせが悪いんだろう。彼女は病室の外で大きな声を出して騒いでいた。
「ちょっと、あいつと話をつけに来たのだから」
女はベテラン看護士のトネさんを押しのけようとした。
「今病室は回診中です。面会でしたら午後三時からお願いします」
トネさんも負けてはいない。