天使たちをねぎらう
天使たちをねぎらう
「ミーシャヲ、いきまーす」
そう言って婦人に治療を施した。婦人に付き沿っていた医師が、苦しそうだった彼女が突然落ち着いた状態になったのを見て、不思議そうな顔をしていた。
「婦人の様子がよくなってきました。空港までは大丈夫だと思います」
医師の言ったその言葉に、アテンダーもほっとした様子だった。俺はもう一人のアテンダーに、もたれかかっている状態だった。
「お客様、席に戻ってシートベルトをお願いします」注意されてしまった。この間大変なことが起きていたなんて、おそらく説明したとしてもわかってもらえないだろうな。
「あー。すみません。」
俺は座席に戻った。ほっとしたと同時に疲れがどっと出た。ミーシャヲとゴーズが戻ってきた。
「ご苦労様」俺は天使たちをねぎらった。
ミーシャヲは相変わらず嬉しそうにしていた。ゴーズは難しい顔をして、
「正義、アメリカの悪霊は一筋縄ではいかないようだ」と言った。
「そうかもしれないな。でもアメリカは広い。悪霊は強くとも俺たちを助けてくれる人もきっといるはずだ」俺の言葉を聞いてルシムが、
「短い期間にずいぶん成長しましたね。悪霊を倒した攻撃もすごかったけれど、それ以上に良いのは今よりもずっと心が広くなったことです」
「俺には勇者のセンスがあるのかな」と冗談を言うと、
「いや、レベルアップしていますからまさに勇者ですよ。そう、勇者と名のるのもいいかもしれませんね」
ルシムは俺の冗談に対してまともに答えてきた。俺は調子に乗って、
「本当か。それなら通りすがりの正義の勇者とか、夜明け前の勇者とか名乗るのはどうかな」さすがにルシムもあきれた様子で、
「それはやり過ぎです。それより体力をかなり消耗しています。休んでください」
そう言って体を気遣ってくれた。俺は少しでも休んでおくことにした。飛行機は気流を抜けたようで、揺れは収まっていた。
悪夢
ボストン便は、その後順調に飛行を続け無事空港に到着した。東京とボストンの時差は十四時間。とにかく眠い。ちょっと寝ただけなので疲れは取れていなかった。俺は同じ飛行機にいた婦人のことが気になっていた。俺の思いを察したルシムが
「心配いりません。救急隊によって病院に運ばれていきました。機内にいた医師が、婦人の容体と経緯を伝えていたようです」
「無事でよかった。それを聞いて俺も安心できる」
空港の出口のところに翔兄さんが来ていて出迎えてくれた。
「正義、こっちだ。遠いところまでよく来てくれたな」
「翔兄さん、お世話になります。麻衣姉さんがよろしくと言っていました」
「そうか、麻衣も頑張っているんだな」
翔兄さんは嬉しそうにしていた。俺は久しぶりに翔兄さんに会ったのでちょっと照れくさかった。以前ぐれていた時、ひどい姿を見せていたからだ。
「正義、しばらく見ないうちにずいぶんたくましくなったな」
「そうですか。俺はそんなに変わったとは思っていないけど」
俺も翔兄さんの顔を見た。以前より厳しい顔つきになったような気がする。異国の地での医師の仕事はいったいどんな苦労があるのか、俺は兄さんのことが心配になってきた。
ボストンに着いてからの天使たちの反応が気になった。アメリカに初めてきたミーシャヲは楽しそうにしている。だが、ルシムとゴーズは何か深刻そうだ。霊界が騒がしいようでそのことを敏感に感じているらしい。空港近くのカフェに向かって歩きながら兄さんは
「まず最初に、正義に会わせたい人がいるんだ」と言ってきた。
「どんな人ですか」
「母さんには手紙と写真を送った」
そして空港から俺たちは少し歩いた場所にあるカフェに入った。ルシムが、
「正義、私たちは外で待機します。何か嫌な予感がするので…。あなたに危険なことがあればすぐに行きます」
ルシムの言葉に俺は疑問を感じた。でも彼がそのように言うのだから何かあるに違いない。俺はカフェの入り口のところで天使たちと別れた。その様子はもちろん翔兄さんには見えない。
アメリカの友人
カフェに入るとそこには女性が待っていた。兄さんの姿を見て手をあげていた。恋人なのだろうか。彼女は俺たちに声をかけた。
「ショウ、ここよ。そちらは弟のセイギね」
俺はある程度英語は勉強してきたので、日常会話をするくらいならなんとかなるだろう。それにしてもきれいな声の人だ。兄さんは彼女を俺に紹介した。
「正義、マリア・アンダーソン・鈴木だ」
「マリアでいいです」
俺は彼女と握手をした。その時突然電気が走った。俺は驚いたが、それと同時にこれは普通じゃないぞと感じていた。マリアは日系三世で黒髪と目がキラキラした美人だ。背丈は百六十センチくらい。スリムな体型である。濃いブルーのサマードレスを着ていた。
「正義、彼女のことは追々話す。まずは僕が正義をアメリカに呼んだ理由から話をはじめよう。アメリカでの滞在期間は限られているからな。時間は有効に使いたい」
「兄さん、どういうことで俺を呼んだんだ」
「実は今もボストンの癌センターで働きながら、医学の勉強を続けている。最近のことだが、アメリカの医師会に大きな変化が起きている。それに巻き込まれているわけではないが、マリアの兄さんがFBIにいるので、僕にいろんな情報が入ってくるんだ。」
兄さんはコーヒーを飲みながら話を続けた。
「以前からの動きでもあるが、生と死を真剣に考えるグループと薬品や医療機器などの製造者、それから医療行為をただの金儲けの手段としか考えていないグループ。それらがお互いにけん制し合っている。アメリカでは医療費が高額だ。治療にお金がかかってもそれを払える人もいるがそうでない人の方が多く、そうした人たちは病気になっても、ちゃんとした治療を受けられないでいる。
国民がすべて健康保険に加入している日本とは異なり、お金をかけないようにあらかじめサプリメントなどで、病気を予防するという考えの人が多いんだ。日本で販売されているサプリメントもアメリカから入ってきたものが多いだろ。そんな中、今アメリカでは漢方薬が注目されてきた」
「漢方ですか。それはすごい。漢方薬を科学的に分析して、特定の病気に呈して効果があることがわかれば、きっといいことが起きると思うよ。既成の抗生剤などは薬の副作用が大きい。漢方薬の効能が広く知られるようになれば、東洋医学の良さもアメリカの人たちに知ってもらえる」
アメリカの闇
俺はヒポクラテスの言葉を思い出していた。兄さんは一息ついた後、
「そこまでは一般的な話だ。問題はここからだ。母さんから聞いたが、正義、韓国の仙人のところに行ってきたそうじゃないか」
「そうだけど、それが何か…」
翔兄さんは体を乗り出し、小声で、
「実は正二おじさんが以前、僕に言ったことがあるんだ。『アメリカに行ったら臨死体験の情報を入手してほしい』僕にはその時、なんで叔父さんはそんなことが知りたいのか理解できなかった。でもその後、病院で実際に仕事に携わってみて、改めて叔父さんの考えていることがわかるようになってきた。それで、僕は叔父さんに担当した患者の中で臨死体験をしたという人がいたので、その情報を伝えたんだ」
「叔父さんは何でそんな情報が欲しかったのかな」
「たぶん死後の世界の研究、霊界の研究じゃないかな。僕の推測だけど…」
兄さんはさらに真剣になって話を続けた。
「実は、マリアには特殊な能力がある。子供の頃交通事故に遭って、一度死んでいる。その時、死後の世界を覗いて帰ってきたんだ。僕が担当した患者というのは実は彼女のことなんだ。マリアはその時から霊が見えるようになったらしい。
それ以前にも霊感が鋭かったそうだ。彼女の家系には、そうした力を備えた人が多いと聞いている。マリアのお兄さんにもそんな力が備わっているようで、これまで何度もFBIの難事件を解決している」
兄さんの話をそこまで聞いて俺は納得した。天使たちが何かを感じとって、店の中に入らなかったことだ。もし入ていたら、マリアにその姿が見えてしまっただろう。
俺が兄さんと話を続けている中、彼女のスマホに連絡が入った。
「ショウ、兄からだわ」
マリアは席を外して話をした。
「翔兄さんがアメリカに来たのは、最先端の医療技術を身につけて、ガンの患者を治療したかったからじゃなかったの」
俺は翔兄さんが天才肌の人だと以前から感じていた。何を手掛けても短い間に自分の技術にしてしまうのだ。昇兄さんとはまた違ったタイプの優れた面を備えている。
「最先端技術については、おおよそのことはすでに理解し身に着けている」
「兄さん凄いじゃないか。どんな技術だい」
俺は翔兄さんをあらためて頼もしく思っていた。兄さんはアメリカに来た目的のほとんどはすでに果たしたんじゃないか。俺がそう考えていたら、電話を終えたマリアが席に戻ってきて口をはさんだ。
「ごめんなさい。兄がすぐに来てほしいと言ってきたの」
「問題の事件のことか」
「そうなのよ。ところでショウはどうする?」