二拍目
百人以上は入るであろう大教室の一番後ろを陣取り、悠々と携帯を弄る峻を横目に僕はチラリと窓を見た。
冴え渡る青空、生き生きと日光を浴びる草花。
うん───夏だ。どうしようもないくらい夏だ。
暑さは余り好きではないが、涼しすぎる冷房の効いた室内から見る景色は捨てたものじゃない。
何の予定や幸運が待ち受けている訳でもないのに、此方まで元気になるような気がする。
この大教室は何故半分地下にあるのだろうとか、下らないことを考えながら、外を見ていると、視界に写る人影。
まだ距離があるのと、余り目が良くないのも相まって誰だかはわからないが────
「あれって」
「ん? なに?」
携帯から目を離し、此方を見る峻。
「いや、なんでもないよ」
何処かで見たことのあるシルエット。長い黒髪。華奢な体型。そこまでわかった僕は、いつの間にか立ち上がっていた。
「トイレか?」
「ぁ、うん。そうそう。トイレ行ってくる」
「はいよー」
少し歯切れの悪い返しだったが、峻は別に気にしていないようだった。
普段なら気にする教授の視線を無視し、足早に廊下へと出でる。
そのまま学生門の近くへと通じる自動ドアを抜ける。すると丁度良いタイミングで、目的の人。僕の頭の中を散らかしていった女性に出会った。
「お、おはようっ」
自信無さげに手を上げ、何時もの癖で声を掛け。
彼女が気づかずに通り過ぎようとするのを、遮って正面に回り込んだ。
「───ッ」
突然飛び出して来た僕に、彼女はとても驚いていた。
「あ、んと……」
両手を胸の前で合わせ、謝るポーズをすると、彼女は胸に手を当ててほっと息を吐く。
そしてこの前は見ることが出来なかった綺麗な笑顔を浮かべた。
「………可愛い」
って、何言ってるんだよいきなりっ! でも───聞こえないのか。
途端の恥ずかしさの次は得たいのしれない不安感が込み上げ、心底感情が揺れるのが鬱陶しく感じる。
「───?」
彼女はそれに気がついたのか首を傾げた。
「いや、なんというか……くそっ。どうせならペ
ンと紙持ってくればよかった」
「───!」
彼女は徐にショルダーバッグに手を入れ、一冊の本。あの時の小説を取り出していた。
そして一寸の躊躇いも見せずにまたページを破り。ペンを走らせる。
「ちょ、ちょっと……そんなに破いていいのか……」
「───!」
「ぁ、ありがとう」
軽く会釈をし、手渡された紙に視線を落とした。
また、会いましたね。おはようございます。
僕は「おはよう」の部分を丸で囲い、「もう授業は終わり?」の文字を丸で囲った。
何故余白の部分に文章を書かないのかとかは考えないようにした。
この行為が何故か少し幸せだったからなのかもしれない。
幸せ? 何を言っているんだろう。僕は複雑な気持ちに心が落ちた。
「はい、どうぞ」
「───♪」
彼女は嬉しそうに笑う。表情が豊かな子だ。
その後も何気ない会話が続いた。
もう、終わりました。貴方は?
僕は今授業中です。
抜け出したら駄目ですよ!
たまにはね……笑
ちゃんと、出て下さいね
そこで丸で囲める文字のもなくなり始め、僕たちの会話は唐突に終わりを告げる。
同時に授業を終えるチャイムが鳴る。
「ぁっ、やばい! 戻らなきゃ……」
「───!」
彼女は慌てた様子で手をぶんぶん振る。
そんな姿に笑みが零れ落ちたのに僕は自分で驚いてしまった。
流石に出席が取れなくなると思って、名残惜しさを抑え込んで僕は彼女に手を振った。
もう一度振り返った時、彼女は何かを言っていたような気がする。だけど声はない。僕にはそれは聞こえない。
「───ぁ、また名前を聞くのを忘れた」




