三拍目
肉まんの蒸し器など実際に入ったこともないからわからないけど、まさにそれみたいな暑さの土曜日。
世間一般では休日の始まりで、これから何をしようかと心を踊らせる時間帯に僕は気だるげに街路を歩いていた。
「なんで、休日に補講を入れるかなぁ……」
どうしても抑えきれない不満を、ため息と一緒に吐き出す。
「なんで、大学があんな山の中にあるんだ……」
まだまだ足りないようで、ついには何も関係のないことにまでそれは飛び火していた。
しかしながら、どんなに嫌でも休むまでは行動を移すことが出来ないのが竜太の性格。
「はぁ、煙草吸いたい」
内から込み上げてくる煙草への依存現象と暑さを凌ぎながら歩き、普段より少し早いペースだったのか30分程で大学に着いた。
大学行きのバスは出ているのだが、独り暮らしの者にとっては少しでも節約はしたいもの。
それゆえ、竜太は歩きを選択している。
山の中にある大学の入り口は2つあり、一つは車などが多く出入りする正門。もう1つは、バスの停留所の直ぐ側にある。
主に学生は二つ目を利用し、バイクなどで通学している方は二つ目といった具合だ。
まるで森の中に入ってしまったかと錯角させる階段を足早に下っていく。
さほど中毒にはなっていないのだが、今日はやけにニコチンへの執着が激しい。
この大学では喫煙所が外に2ヵ所設けられ、竜太は階段脇の所へと行こうとしたのだが──ー
「あれ、煙草忘れた……?」
ポケットには目的のブツは入っておらず、バッグの中にも見当たらない。
「あれーないよなぁ」
一気に絶望の縁へと誘われたと同時に、忘れてたかように暑さが込み上げてくる。
「仕方がないか……でも、暇になったな」
まだ授業までは数十分もあり、朝も早いことから来ている人も殆どいない。
ふと、何気なく空を眺めようと視線を動かした時、一本の大きな塔が目に映った。
竜太が通う学校は、一般的に学生が勉強に励めるように設計された建物群とは違い、明らかに設計者の自己満足が投影された大学であった。
一見、見た目は煉瓦作りでお洒落に見えるが、全校生徒の二割も入りきれない食堂などを鑑みても、建築時のアーティスト魂がムンムンである。
それに加えて、此処には大学を見渡せる塔がある。
その最上階は展望フロアのようになっており、景色は割りと良い。
しかしながら、そこに行き着くまでには地獄の螺旋階段が待ち構え、好き好んで登ろうとする者はまずいない。
そんな無意味な塔に何故自分は向かっているのか、最後まで不思議でしょうがなかった。
「暇だしな……」
*
自分の感情を勝手に正当化しつつ、塔へと繋がる螺旋階段に一歩足を踏み出す。
やっとのことで中腹に至った時だろうか、外の喧しい蝉の声とは別に透き通る笛の音のような音が鼓膜に侵入した。
「ん、なんだ?」
良く耳を澄ませると───
「───上から聞こえるな。誰かいる? いや、まさかねっ」
微かに上から聞こえ気もするが、見上げても人の気配はない。
気のせいかと勝手に決めつけ、5分程で登ると最上階が見えた。
また聞こえ始めた綺麗な音───いや、声色。
次はしっかりと鼓膜を刺激する。
声からして女性で、その鼻唄を聞いた途端、竜太の全身は鳥肌に襲われた。
直ぐ様階段をかけあがり、滅多に出会えない美声の持ち主を確かめようと登った。
「───ッ」
思わず息を飲んだ。
その美声にではなく、展望フロアの隅にちょこんと置かれた椅子に腰かける女性に。
「君が歌っていたの?」
僕は問うた。
「───」
彼女は何も言わない。手に持つ本に視線を落としたまま。
「ぁっ、貴方が歌っていたのですか?」
何を思ったか、少し丁寧に言ってみる。
「───」
彼女は何も話さない。それどころか、此方に視線さえ向けない。
どっと込み上げる悲しみと僅かばかりの腹立たしさを堪えて僕は一歩近づいた。
「───ッ!!」
その瞬間、展望フロアのインテリアのように微動だにしなかった彼女の身体がびくりと震えた。
そして、その黒く大きな瞳で此方を見る。
雪のように白く綺麗な肌。絶妙に整えられた顔のパーツ。語彙力のない僕には巧く表現できないが、これだけはわかる───死ぬほど可愛い。
「───ッ」
魚のように口をパクパクさせ、此方を凝視したかと思えば下を向く彼女。
「どうしました……?」
「───ッ」
何か手振りを交えて、此方に伝えようとしてくれるが、ただ可愛らしいだけで何をしたいのかわからない。
馬鹿にされているのかと思い、少し苛立ちがつのる。
「口で言ってくれなきゃ、わかりませんよ?」
「───ッ」
そう言っても、彼女は身振り手振りを止めない。
「うーん」
少しの間それが続いた後、彼女は何かに気がついたのか顔を閃かせた。
「えっ、ちょっちょっと!」
突然、手に持っていた本の1ページを破り、胸ポケットに入っていたペンで何かを書き始める。
「───っ!」
「これは?」
僕は彼女が差し出してきた本の一部を受け取った。
そこにはびっしりと文字が羅列されており、彼女の手に持っていた本が小説であることが理解できた。
僕が何の意図で切れ端を渡されたのかわからずいると、彼女のか細くも綺麗な指が複数の場所を指した。
そこには、羅列された文字の所々に黒いペンで丸のような記号と1~の数字が書かれていた。
「これは? これ通り読めってこと?」
彼女は首を縦にふる。
どうやら当たっていたようだが、僕自身が何をしているのだろうと疑ってしまう程に奇妙なやりとり。
少しの可笑しさはありつつも、頭の中はぐちゃぐちゃで、彼女が何をしたいのかさっぱりわからない。
それでも、人に気を使う性分の僕は言われた通りに読み上げる。
「えっと……わ、た───しは───」
少しもたつきながらも指でなぞる。
「み、み、が───きこ」
全部終える前に、僕は全てに気がついてしまった。
今までの可笑しな行動。やけに身振り手振りの多い女の子。
「───ごめん」
「───」
何故謝ったのだろう。別に悪いことはしてない。声が届くともない。それなのに、僕はなんで謝ったのだろう。
少なからずの蔑みなのか、もしそうならば本当に酷い。
そんな人など今までに幾らでもいただろうし、もっと酷い人だって世の中にはいる。
彼女はその普通の人にとっての非日常を受け入れているかのように笑った。
しかし、僕にとっては彼女が少し悲しそうに見えたのは気のせいだろうか。




