#66帝政崩壊
ローマ帝国サイド
ローマ帝国が講和条約にサインし、ローマ帝国の敗戦が決まった。
その事に、国民の中には「栄光あるローマが負けたわけない。何かの間違いだ」
などと言う者がいたが、各地で戦闘状態だった兵士たちが帰国し、戦地での惨状を
語ったため、それは収束した。話の様子から、作り話ではないことは容易に
分かったからだ。
日本皇国がどんな国か見てみたいと、日本皇国へ密入国をした者がいたが、
誰一人帰ってこなかった。それに対し、日本皇国政府は「講和条約によって、
双方の国民の出入りは禁止されている。決して密入国はしないように」
とコメントした。
ローマ帝国が敗戦してからの国内は悲惨な状況になった。すぐに日本皇国が
支援、統治などを始めるのかと思いきや、日本皇国はまだ準備が終わって
おらず、開始するには1か月はかかるとのこと。ローマ帝国にとって、
1か月は地獄であった。ローマ帝国は各地での戦闘で、かなりの国力を
費やしたが、結果的に、持っていた属州と本国の3分の2を失ってしまった。
日本皇国からの支援金があるものの、国民からの反感は強くなっていった。
何故なら、属州からの供給がなくなってしまったからだ。それまでの
ローマ帝国は、属州民から高い税をとり、本国のローマ人は贅沢な暮らしを
していた。しかし、今ではそれが崩壊してしまい、本国のローマ人に重税を
かけるしかなくなってしまったのだ。原因は他にもあり、開戦前の
ローマ帝国は、貿易の影響で、安価で高品質な布、食料を手にしていたが、
貿易は終了してしまい、それらは手に入らなくなった。
人は、一度楽な暮らしをしてしまうと、簡単には元に戻れないのだ。
それが、ローマ帝国への反感につながり、国民は「今の状況は、日本皇国
との戦争を始めた皇帝のせいだ」と思うようになり、国内でハドリアヌス帝
の退位を求める運動が激化。ローマ帝国にそれを止める力もなく、
ハドリアヌス帝は退位。更に、ハドリアヌスは国民の手によって処刑された。
これにより、ローマの帝政は崩壊。ローマは、国の元首を選挙で決める
共和国になった。ローマ帝国の栄華は、完全に過去のものとなった。




