家族の抱擁
「それで、なんですが……俺とどこかへ行きませんか?」
カイルはルナと繋いだ手を少しだけ上にあげて提案してみせた。
それはちょっと近くに、それこそ一度空気でも吸いに外に出ましょうか?とでもいうほどの気軽さで。
「行き先は決まってないんですけどね……」
そして遅れてくすっと笑って付け足した。
カイルはカップに入った、まだ暖かい紅茶を冷ますためかクルクルと円を描いて回す。
その間中も決して目の前のルナから目を離すことなく。
ただ口を開くのを、回答を導き出すのを待っていた。
「わ、私は……」
ルナを家族だと言ってくれたカイルが提示しているのは色んなものから逃げてきたルナがこれからも逃げ続けるための道で。だからこそその手に頼り続けてはいけないのだと強く頭が叫んでいた。
この手を、優しい手を拒んでルナはもう一度、戻らなければならないのだ。
こわごわと張り付いた唇を開く。
「私、戻らないと。地位もお金も、何もないけれど。それでも……」
捨てられるかもしれないと、戻ったところでいらないと切り捨てられるかもしれないと今でも心の中で怯えている。
怖くて、カイルと繋いだままの手の甲には涙がこぼれ落ちた。
それでもルナは進むことを、前を見ることを決めたのだ。
カイルは机にカップを置き、そしてカップの熱で温まった指先でルナの目元にたまった涙を拭き取った。
「何もないなんて悲しいこと、言わないでください。あなたの側にはいつだってあなたを愛する人が、大切に思う人がいるんです」
「……っ」
「今だってあなたの目の前には俺がいます。あなたが本当にどこかへ行ってしまいたいと願うなら、何処へだって攫ってしまいましょう。でも……きっとそれをしてしまったらあなたはもう二度と笑顔を浮かべてはくれないでしょう。あなたが掴みたいのは俺の手じゃないんです。指の皮はペンが当たるところだけ固くなっている彼が、ルーカス様がいいのでしょう?」
どこまでも優しい彼は、ルナの言えなかった先の言葉を問いかけてくれる。
「……ルーカス様が愛しているのはエル様です。それでも私は……」
好きになってしまったのだと、彼の元に帰りたいのだと、言い切ることが出来なかった。
あの日、エルとマイクが結婚式を挙げた日のように愛してくれなくてもいいと思うことはもう出来なくなってしまっているから。
同じだけ思ってほしいと願ってしまったからこそ臆病になるのだ。
「伝えましょう? 怖くても、あなたには俺がいます。頼りないだろうけど、エイもいますし、空ではグレン様やエルナが見ていてくれているでしょうし、何なら今からでも屋敷の仲間たちだって呼びましょうか。あなたは一人じゃないんです。怖い思いをしたら全員で抱きしめますから、だから……」
カイルはその先の言葉を口にしなかった。その代わりにルナを抱きしめた。
それは旅立とうとする家族に向けて、精一杯の激励だった。
「あり、がとう」
ルナもカイルの背中に手を回し、伝わったことを自分なりに表現した。