彼は
「なんで……ここに……」
「俺は騎士、ですから」
温かい手はルナの身体を起こし、そしてルナの身体中に視線を巡らせた。
「すごい怪我ですね……。近くに町があるので、そこの病院で治療してもらいましょう」
門番はそう言って自分の痛みのように顔をしかめた。
ルナもそれに倣ってじっと自分の手足を見てみると肘や膝の皮膚が擦り切れて、血まで出てしまっている。特に膝から足首にかけては木の根に躓いた時に怪我をしたのであろう、広範囲にわたって赤く染まり、鮮やかな血が垂れていた。
それを見てしまったせいで痛みは次第に強くなっていく。知り合いに会えて気が抜けたというのも大きいのだろう。
痛みでうっすらと涙が湧き出てくる。
「ええっと、痛いですよね……。でも、もうちょっとだけ我慢してください。すぐ連れて行きますから」
今にも涙で溢れかえりそうなルナの様子に焦った門番の青年はルナの膝の裏に腕を入れて横抱きにしたまま走り出した。
「あの……自分で歩けますから」
怪我は全て自分のせいなのだから、自分の足で歩くのが道理であろう。降ろしてほしいと訴えるルナに門番の青年は真面目な顔をした。
「こういうのは早く消毒するに限るんです! ばい菌が繁殖したら困りますから」
それはまるでヒューイが森にケモノが出るからとルナに言って聞かせた時に戻ったようだった。
ヒューイもこの青年も、心の底からルナを心配しているのだということが伝わってくるのだ。
……だがそんなヒューイとの約束をルナは破ってしまった。
(彼らは心配しているだろうか?)
そう思いはする。それでも、あの場所に背を向けることはあれど再び足を向ける気にはなれなかった。
ルナは怖いのだ。
そしてその恐れは顔の上で笑みを浮かべる門番の青年への恐れへと変わる。
笑っている彼は何の利益があって伸ばされた手を取ったのか。
わからないからこそ不安で仕方がない。
(今の私には何も残っていないのだから)
ルナが門番の青年の顔をじっと見つめていたせいか青年は首を傾けた。
「どうかしましたか? ってああ、俺の名前、知りませんよね? 俺、カイルって言います」
「カイル様……。えっと……私はルナ、です。」
今さらながらになぜか自己紹介をしてもらったルナは一応自分の名前を返すとカイルは嬉しそうに微笑んだ。
「今になって自己紹介するなんて変ですよね……。あ、俺のことは気軽にカイルと呼んでください」
門の前で会った時よりもいくぶん打ち解けた口調で話すカイル。ルナは変にかしこまって話されるよりもその方が楽だった。
遠くには街の景色が見え始め、空の大半を覆っていた木々はまるで出口が近づくにつれて中央を避けるようにして開けていった。
明るく差し込む日差しは気持ちまでもを明るくする。
「これから行く町はお菓子が美味しいですから、治療が終わったらお茶でもして休みましょうか」
「え?」
「中でもオレンジのタルトは絶品です」
そして甘いものが好きらしいカイルはすぐ近くで待っているタルトに想いを馳せる。遠くを見据えるように目を細め、そして何度か口にしたことがあるだろうそれの美味しさに頬を緩める。
こんな幸せそうな顔を間近で見せられたルナに拒否権などない。
カイルに抱かれたまま町に入り、そして治療を受ける。その後はお茶をする。そこまでの流れはカイルによって半ば強引に決定したのだった。
だが嫌な気持ちにはならなかった。
「まぁ……ルナ様のハニークッキーには到底及びませんが」
……この言葉を聞くまでは。
「……ハニークッキー?」
カイルの言葉を反復するルナの声はわずかに震えている。
胸の前で組んだ両手は互いを縛り合うことで震えることを抑えようとしているものの、小さな揺れはおさまることはない。
ルナが最近それを作ったのはあの屋敷にいた時のことだ。
ネコと死に神という何ともアンバランスな二種類の型で作ったクッキー。
そしてその前は確か彼に出会う前、エルが第四王子の元へ嫁いでいく前のことだ。
それはグレンがこの世を去る少し前のことで、もう長くはないと判断したグレンがルナの作ったお菓子が食べたいのだとリクエストされたうちのひとつがそれだった。
美味しいと喜んでくれたお菓子はそのほとんどがグレンの腹の中に収まり、その他の、始めから避けておいた分はその後ルナとエルの二人きりのお茶会のお茶菓子として食べたのであった。
つまりその時にカイルの手に渡ったという可能性はないのだ。
あるとすればあの屋敷で作った方で、ミレーがビーと呼ばれる人物にあげるのだと言って方のハニークッキーなのだ。
それが意味をするのはカイルが彼らの仲間だということだった。
「? ええ。美味しくいただきました。……少々守りきるのには苦労しましたが……」
「あなた、もしかして……」
手を掴んでくれたカイルが、彼らの仲間だなんてそんなこと、聞きたくはなかった。
けれど聞かずにはいられなかった。
例えどんな現実が突きつけられようとも、処理しきれない感情が心の中でこれ以上増えようとも、知らずにいるなんてそんな卑怯な真似は出来なかった。
けれどカイルの言葉はルナを混乱させることこそあれど、傷つけることはなかった。
「俺は元門番で、現近衛騎士、そしてもっといえば死に神の大鎌の一員であなたの家族にあたります」
「え……?」
どんな言葉よりも痛烈にルナの頭に残ったのは『家族』という言葉。
ルナが喉の奥から手が伸びるほどに欲したそれをカイルはなんてことないように口にしたのだった。




