第5話 授業:《スキル》編
大まかな方針を決定してから二年程の時間が経過した。
先日、誕生日を迎えて三歳になった。
未だ、保護者同伴は無くならないが、ある程度の自由が許され、会話と移動が可能になったことにより、行動範囲が広がった。今までは寝室、風呂場などの限られた場所しか行けなかったが、屋敷の外にも出ることができるようなった。と言っても、屋敷内の鍵の掛かった倉庫や、屋敷を囲う塀の向こう側には出してもらえなかったが。
屋敷から出れた日は、思いっきり身体を動かせるのが嬉しすぎて、滅茶苦茶に走り回ってしまった。バカみたいに屋敷の周りをグルグル周回して、植えられた木によじ登って飛び降りたり、最後には奇声を叫びながら腕を振り回して走り回るといった意味不明な行動をとってしまった。
殆ど身体を動かせなかった前世の反動か、あの時のテンションはかなりおかしかった。
一緒にいた御袋殿や8号さんの静止の言葉が右から左に抜けていって、衝動の奔るままに動き回ってしまった。
気づいた時、着ていた服はボロボロになり、擦り傷だらけになって、打ち身やらで全身が痛かった。無論そのあと、屋敷の人間総出で叱られた。
元気なのは喜ばしいが、限度を考えろ。
皆の意見を纏めると、そうなる。
全面的に自分が悪いので、その時は土下座して謝った。
他にも、食う、寝る、遊ぶの生活が大きく変化した。
勉強の時間が加わったのだ。
「リョウ君、明日からお勉強を始めましょう。戦う力も考える力もない、無力なお馬鹿さんにタダ飯を食わせるほど、世界は甘くありません」
「リョウマ、汝に我が英知の片鱗を授けよう。誠心誠意全力を以て、存分に学ぶがよい」
「リョウマ様、いかがでしょう。教養とは人が人である証。力とは身を守る術。身につけておいて損はありませんよ」
教師役は御袋殿、親父殿、ヘルマンさん。
アシスタントとして1~10号さんの誰かが付く。
構成は午前と午後の二部構成。
午前は、主に算術や言語、歴史など学ぶ座学。
午後は、主に身体を使った、実技。
この時点で、家族には黙っていたが一応読み書きが出来るまでには自己学習は進んでいたが、やはり我流と推論を混ぜたものなので、多少のアラがあり、ちゃんと教育を受けることができたのはありがたかった。一方、算術はこちらでも十進数が採用されており、前世では高校は通えなかったが大検をとるため勉強をしていたこともあり、あまり得るものは多くなかった。
そう思っていると、算術の授業は一週間位で終を告げ、言語も欠けていた部分の補填が終わると早々に、大陸で一番多く使われているという大陸共用語にシフトした。
自分の場合、前世の知識と事前の自己学習という下地があったため、寧ろ好都合なのだが、この速度では普通はまともに知識を身につけることはできまい。こちらの思考を見透かしたような、自分に最適化された変遷だ。違和感を覚えないわけではないが、担当のヘルマンさんは信用に足る人物であり、わざわざ異を唱えて好都合な状況を崩すことも無いと判断した。
しかも、ヘルマンさんの授業は非常に分かりやすいのだ。ただ、内容を伝える一辺倒にならず、ジョークや軽い雑談などを挟みながら、飽きさせず、それでいて事の要点を的確に押さえた解説。正直、勉強をしていることを忘れる位だ。
逆に、御袋殿の授業は非常に難解だった。
午後の実技。といっても、筋トレ等をするのではなく、主に身体をいかにして効率的に運用して動くかを学ぶ授業だ。
護身術として、素手の体術、刃引きしたナイフを使った短剣術を習っている。
「いいですか、基本はフニャ~です。身体をフニャ~としておいて、必要な時だけ、ビシッと気合を入れるんです」
「武器を使う上で重要なのは、小指です。ハードで決めます。逆に親指と人差し指はソフトに優しくです」
全く分からない。
御袋殿の息子として生を受けて三年。御袋殿はかなりの割合で、感覚でものを言っている事は理解したつもりだったが、ここまで壁があるとは。
なお、見かねた親父殿とヘルマンさんに連れられて、御袋殿は引っ込んだ。その日は、親父殿が引き継いだのだが、翌日になるとまた御袋殿が教鞭を執った。
「身体運用の基本は脱力です。常時筋肉を緊張させていては、無駄な力みや体力の消費を引き起こします。ですから、基本的には脱力した弛緩状態にしておき、行動を起こす瞬間のみ『力を入れ』て動きます」
「武器を握る際に重要なのは、小指です。小指のホールドをしっかりとしておき、逆に親指と人差し指の握りは余裕をもって軽く。刃には最も切れる部位が存在します。刃が対象に触れる瞬間に、親指と人差指で位置を調整して、『一番いいところ』で切るのです」
見違える程、変わった。
手元にカンペがあることを除けば完璧だった。後で聞いた話だが、事前に親父殿が御袋殿の教えようとしていることは『翻訳』してからメモに書いて、御袋殿に渡しているらしい。親父殿の苦労が忍ばれる。
折を見て肩でも揉みに行こう。
「リョウ君、今日も《スキル》について勉強しましょう」
「はい、御袋殿」
日差しが傾いてきた午後、屋敷の中庭で地面に座って、授業を受ける。今日の教師役は御袋殿、アシスタントには5号さんがついている。
「《スキル》の発祥については、前回授業でやりましたね」
「はい」
自己流で実験と訓練を繰り返してきた『ステータス』や『タレント』がパーソナルシステムによって統括されるものであること、システムとはそもそも初代《勇者》が遺したものであることを、前回の授業で学んだ。よく読んで貰っていた、絵本には《勇者》だの《魔王》だのがよく登場していたが、架空の存在だと認識し、正直信じていなかったが、こうして証拠を出されると、信じざるをおえない。
よく考えれば、桃太郎なんかも史実を脚色したものだったなんて説もあった。あの絵本の話も、何かしらの事実が多分に含まれている可能性は大いにある。機会があれば、注意深く読み返すのもいいかもしれない。
「今日は、《スキル》の実践をします」
なお、家族に自分にもパーソナルシステムが発現したことは伝えている。流石に、乳児の時から使えましたと暴露するのはまずいので、ヘルマンさんの授業がある程度進んだ時に、出てきたと伝えた。
現在の自分の《スキル》は以下とおりだ。
■スキル
戦闘系
《苦痛耐性》Lv2 《体術》Lv1 《短剣術》Lv1
補助系
《両利き》Lv3 《二足歩行》Lv4 《四足歩行》Lv2《筆記》Lv3 《呼吸》Lv4
《礼儀作法》Lv2
初めて修得した戦闘系である《苦痛耐性》は、気付いたら修得していた。実験の失敗やテンションが高くなった時の暴走など、ここ三年定期的に生傷を量産していたからだろう。意識せずとも回数でカバーして修得した形だ。
《体術》、《短剣術》はごく最近だ。午後の授業で素振りや形稽古を繰り返す内に修得した。
《筆記》、《呼吸》、《礼儀作法》は自由の殆どない赤ん坊の生活の中で、できることを考えて訓練した。
体感的な感覚だが、《スキル》のレベルは数が大きくなれば成るほど次のレベルへの時間が掛かる。《二足歩行》で2から3、3から4への時間を測ってみたが、約二倍の時間を要した。そう単純なものでもないだろうが、倍々で必要期間が増えていくなら、仮に新規修得に10日かかり、レベル5を目指すなら、310日掛かる計算だ。スキルポイントとやらを消費すればもっと早く成長できるのだろうが、未だにレベルは1/5のままなので、所持ポイントは0だ。
「リョウ君は《体術》の《スキル》はもう、修得していましたよね」
「はい、覚えています」
「なら、見せる方が早いですね。リョウ君、組手をしましょう、構えてください」
「分かりました」
立ち上がり、拳を構える。《呼吸》のスキルで身体の調子を整えながらも、力は抜き自然体を意識する。
「中々いいフォームです。教えたことをキチンと身につけています」
そう言いながら、御袋殿も構えた。利き手である右手の小指のみをピンと立てて前へ、左手は身体の後ろへ。
これが、組手時の御袋殿の構えだ。息子の自分が言うと身内贔屓に聞こえるかもしれないが、我が母は冗談みたいに強い。
巨大な龍になった親父殿を吹き飛ばし、剣を振れば分身し、拳を握れば大地を陥没させる。割と無敵な感じもするが、御袋殿は繊細な作業が非常に苦手だ。
初めて組手を行った時は、全身が屋敷の壁を貫通するまで吹っ飛ばされた。本当に、身体が丈夫でよかった。普通の三歳児だったら、もうミンチ確定だろう。
余談だが、その時《苦痛耐性》は1から2へレベルアップした。
即座に、御袋殿は親父殿とヘルマンさんに連行されていった。無論、当時は気絶していたので伝え聞いた話だが。
翌日から、御袋殿は組手の際は全身を拘束具で束縛されて、使えるのも小指一本のみとなった。実演に相手が必要な時は、メイドさんの中で一番頑丈な5号さんが相手となって技をかけられている。
「行きます!」
《二足歩行》の効果で、足運びは非常にスムーズだ。一気に間合いを詰めて、《体術》の補正を受けた右拳を打つ。
しかし、拳が身体に届く寸前、スルリと御袋殿の身体が横にずれ、拳の軌道上から逸れる。
「はいはい、どんどん打ってください」
声は背後から聞こえる。軌道上から逸れると同時に移動したのだろう。実践なら、後ろをとられた自分が俄然不利だ。拳の勢いを殺さず、体ごと回転して今度は左で肘打ちを狙う。後ろは見えないが、影の位置で大凡の予想は付く。
「この!」
腰を連動させて、肘で打つ。
ピタリと肘の先端に小指が触れる。感触を意識する前に、身体が更に横回転した。
指先で制動をコントロールされて、独楽のように回される。足元がおぼつかなくなったところに、足を引っ掛けられて転ばされた。完全に動きを先読みされて、遊ばれている。
立ち上がろうとしたところで、鳩尾を足で踏まれる。
「…参りました」
「負けた理由、分かりますか?」
足をどかし、ニコニコしながら御袋殿が聞いてくる。
授業に於いて教師役は三人いるが、アプローチの仕方こと違えどもその根幹にある教育方針は、おそらく同じものだと思う。
即ち、自ら考え工夫させること、だ。
一から十までは、教えてくれない。必要最低限の二割位なら最初から教えてくれる。そこから先は、自分で調べたり試してみたりして学ばなければならない。
ただ与えられたモノと自ら努力して掴みとったモノ。
どちらがより自身の血肉となるかは、言わずもがなだ。
今回の敗北の理由について、考えてみる。
実力差が理由、ではない。そんな単純な話ではないだろう。今日昨日から拳を握りだした自分と、御袋殿に差があるのは当然だ。では、何が理由か。
御袋殿は《スキル》の実践をすると言っていた。ならば、ヒントは《スキル》にあるはずだ。
「俺の身体が未熟で、《体術》を使い切れなかったからですか?」
これは、《二足歩行》で実験していた時に分かったことだ。《二足歩行》は所持《スキル》中最大のLv4を誇っており、出来ることの選択肢も多く、その技術練度も高い。
だが、今の自分では《スキル》が教えてくれる技術・知識の多くを再現できない。
《スキル》とはあくまでサポートであり、根本的に本人の能力を底上げしてくれるようなものではないからだ。三歳児の自分は、身体こそ頑強にできているようだが、手足が短く筋力も脆弱だ。タイミングや感覚に重きを置く《スキル》ならば、高いレベルものでもある程度再現可能だろうが、《二足歩行》の様な、純粋に筋力や体力を必要とする《スキル》はどれだけスキルレベルが高くとも、宝の持ち腐れとなる。
「それもありますが、少し正解には足りませんね」
御袋殿は、その場で正座の体勢をとった。目を閉じて、構えをとった。
「では、追加ヒントをあげます。もう一度、攻めてきてください。私はここより一歩も動きませんし、眼も開きません」
答えは、自分で見つけろとのお達しだ。
足振って勢いをつけて立ち上がると、こちらも拳を構える。
「お願いします!」
今度も、《二足歩行》で移動する。ただ、今度は速度を重視するのではなく、静音性に気を配る。今の御袋殿は眼をとじている。ならば、こちらの位置を掴むには音に、頼ることになる。足音を消せば、不意を突ける。
御袋殿の後ろ、左手側に回り込む。右手だけを使用し、正座も崩せないなら、この位置から攻め立てれば防御反応のバリエーションを格段に減らすことができるはずだ。
音を殺しながら、最小限の動きで右のジャブを繰り出す。体重は乗せず、兎に角速くヒットさせることのみに絞った攻撃だ。
同時に、左手の親指で倒れた際に拾っておいた小石を撃つ。指弾術と言うやつだ。これも、《体術》に内包されていた技術だ。特定の武器を使用せず徒手空拳で地形と状況を利用するなら、全てが《体術》に分類される。ボクシングだろうと中国武術だろうが、見境がない。もっとも、そう言った括りは前世の知識を根底にしているためそう思えるだけで、こちらでは一つの技術大系に集約された技なのかもしれないが。
「!」
御袋殿の身体が揺れた。どうやって察知したのか、身体を逸らしながら、後ろに回していた左手と身体の間にスペースを開ける。出来た隙間に、吸い込まれるように右のジャブがはまった。
慌てて腕を引き戻そうとして時には既に遅く、脇で右腕を締め付けられ、拘束される。まるで万力だ、腕が僅かも動かない。飛ばした小石も、御袋殿が小指で弾いた石で迎撃されていた。
「……降参です」
攻撃が、全て読まれている。御袋殿は、こちらの行動に反応しているのではなく、事前に攻め手を知っているかのように動いた。
さすがの御袋殿と言えども、未来予知なんてことはできないはずだ、多分。だから、これは予測。手持ちの情報を組み合わせて、こちらの一手を読んだのだ。今の制限に制限を重ねた御袋殿に得られる情報はそう多くない。ならば、おのずと答えは出る。
「《スキル》から、俺の行動を読んだんですね」
「ぴんぽーん!さっすが、リョウ君!」
嬉しそうに、正解にたどり着いた自分よりもはしゃぐ御袋殿。腕の拘束を解くと、即座に5号さんが用意したARビジョン-こちらの言葉では《幻影投射》-に筆を走らせる。
『《スキル》の弱点』
その1:使用者に身体能力に起因する限界
その2:常にその場での最適行動をするが故の、読みやすさ
「これが、今日の主題です」
カンペを見ながら、御袋殿が言う。
「《スキル》は自分が全く知らない技術や知識でも《スキル》さえ修得してしまえば、その分野で一定の力を発揮でき、非常に便利です。ですが、逆に言えばそれだけです」
いいですか?と御袋殿は前置きをする。
「どんなにすごい《スキル》を持っていたとして、それを活かすには《スキル》を何度も使い込んで特性を習熟・把握し、自分自身を常に鍛え上げる必要があります」
《幻影投射》に『何度もプレイ!』『毎日レッスン!』が追加される。
「《体術》を例にあげるなら、ただ《スキル》に従っているだけでは、同種の《スキル》を持っている相手に対しては、正確な攻撃の軌道が仇になり、先読みをされていいカモにされます」
だからこその、駆け引き。
如何に攻め、如何に守るか。同じ拳を突きだす動作であっても、タイミングをずらし、速度に変化を付けるだけでも、その表情は変わってくる。
技と技を組合せ、時に柔く。力に力を相乗させ、時に剛く。
千変万化の妙手こそが、戦闘における肝なのだと、御袋殿は語る。
「流した汗と血は無駄にはなりません。多少回り道だとしても、それらはパーソナル・システムが何かしら形として結実させ、内なる財産となります。《スキル》の一つ一つを丹念に磨き続けてください。システムの解説は、あくまで一端を述べただけにすぎません。使い込んでいる内に思わぬ発見や活用法がみつかるかもしれませんよ?」
そう締めると、御袋殿は再び構えを執った。
「さあ、今度は《スキル》に従うのでなく、自分で攻撃のパターンを組み立ててみてください。最初の目標は、私に薬指を使わせることです」
教授の時間は終わり、また実践。
正直なところ、《スキル》を極める道は、果てしなさそうだ。御袋殿の話が本当ならば、単純にレベルアップすればいいだけではなく、反復し習熟した上での応用・研究が必要になる。しかも、《スキル》の数自体は無数にあると言う。
拳に、熱が灯った。奥歯がガチンと噛み合う。
おもしろい、と感じた。
挑むからこそ、人生には価値がある。
出来ることだけをこなし、安寧に沈むのは楽だろう。
そう言った価値観があるのは否定しない。挑戦とは、リスクを背負う事と同意義だ。
失くしたくないモノと得る可能性のあるモノを天秤に載せ、前者を選ぶことは悪いことではない。
だが、それでは駄目なのだ。少なくとも、自分は。
熱が、身体を突き動かす。
転生を果たし、身体は新品になったが、この病気だけは快癒していないようだ。
端的に言って、ワクワクしてしまうのだ。
目の前に困難や難行があればあるほど、超えたくなる。
最初は、自分が死んでも遺る記録を作りたくて、色々なことに挑んでいた。
一回失敗して、自分の身体の不出来さを憎んだ。
十回失敗して、周りの人間の無能さ罵った。
百回失敗して、世界の不条理を呪った。
数が千を超えた頃、少しだけ笑えるようになった自分いた。
手の中には、僅かばかりの誉れがあった。
「………」
眼前の御袋殿を見据える。
拳を構えると、そのまま疾走した。
今度は、何回躓くのだろうか。きっと、数え切れないほど、倒れるだろう。
心折れそうになることもあるだろう。
だが、それでこそ人生。
存分に、挑もう。命、果てるまで。
その日は、体力が尽きるまで拳を振るい続けた。