第3話 赤子、立つ
赤ん坊の体は脆い。木製とは言え、柵を破壊して床に叩きつけられたにも関わらず、骨折もなければ大した怪我もなかったのは奇跡的と言えよう。普通の人間の赤ん坊ならば、下手をすれば首が折れて死んでいた。もしかすると、この体はとても頑丈にできているのかもしれない。
顔面で木柵を破壊してから3ヶ月が経過した。
情報収集に努め、訓練を繰り返し、最近言葉を覚えた。習得に掛かったのは約六ヶ月。前世では日本語の他に、英語が話せたが、会話だけとは言えここまで早く憶えることはできなかった。身体が赤ん坊なせいか、言葉漬けな環境のせいか、驚くべき速度だ。
言語を習得すると、情報の収集力が目に見えて違う。
日常会話から、この家に住まう人間の立ち位置、名前なども分かってきた。
自分の名前は、リョウマ・サーガと言うらしい。偶然なのか、それともこちらにも似た文化があるのか、随分日本風な名前を付けられたものだ。
漢字で当てるなら、佐賀・龍馬とかだろうか。女性は大体「リョウ君」と呼び、黒龍は「リョウマ」、執事さん達には「若」とか「リョウマ様」と呼ばれている。
女性は、やはり自分の母親だったようだ。名前はエリス・サーガ。自分と同じで黒髪黒目なのだが、名前は洋風だった。
父は、黒龍。名前はジンバール・サーガ。名前は偉大そうだが、相変わらず威厳がない。
執事さんの名前は、ヘルマン。苗字は無いようだ。驚いたのはメイドさん勢で、苗字どころか名前すらないらしい。単純に腕章の番号で、1~10番と呼ばれていた。
しかし、彼女らは同じ顔こそしているが、無個性というわけではなく、それぞれに好みや長所があるようだ。例えば、自分の面倒をよく見てくれている8号さんは、土弄りが好きなようで、庭の手入れや畑の整備を主に担当している。何度か、収穫した野菜を嬉しそうに見せて貰ったのが印象的だ。1号さんは、メイドさん勢のまとめ役をやっており、トップのヘルマンさん不在の際には、他九人に指示を出したり、下の意見を汲み取って上に報告する役目もある。オールラウンダーで優秀なのだが、中間管理職故かストレスを溜め込み易いらしく、赤ん坊の自分の前では愚痴を零したりすることがある。
各人の特徴を掴めたせいか、今では腕章なしでメイドさんの判別が可能だ。
状況把握のための実験は一旦中止しているが、『タレント』の他に、『ステータス』を閲覧可能になった。あれは、自分の名前がリョウマ・サーガだと知った日だ、いつものシステムメッセージが流れてステータスが解放されたのだ。
このステータスも多くのゲームと踏襲したかのように、HPやMP、《筋力》や《器用》なんて項目が並んでいた。種族、年齢も記載されおり、それによると自分は龍人族で現在1歳のようだ。ただ一つ気になったのは、
■NAME リョウマ・サーガ
■TRIBE 龍人族
■AGE 1
■Lv 1/5
1/5とはなんだ。五分の一。0.2なのか。ものによって初期レベルが0とか最大値が100とか255とかの差異があるのは知っているが、小数点のレベルは初めて見た。
それともこれは、最大値5現在値1、という事なのか。生まれつきレベルの最大値が決まっており、それ以上は成長できない仕様とか。
一般のレベルの限界値が10ならば、中の中なのだろうが、100なら、もうかなりの底辺だ。これは、レベルには頼らない生き方をしたほうがいいのかもしれない。幸い、スキルは訓練を積めば習得可能なことが分かっている。《両利き》も今はLv2になっている。ステータスに《知力》という項目があったが、数値は《筋力》などとほぼ同じ。前世から引き継いだ、経験や計算能力や言語能力があるにも関わらず、脆弱な赤子の《筋力》と《知力》がほぼ同じ値なのだ。推測するに《知力》は魔法とかのスキルを使う際に参照される能力値であり、実際の頭の良さとは無関係なのだろう。
ならば、やりようは幾らでもある。戦う力がないなら、別のもので補えばいい。
分かり易いのはやはり、金だな。人間社会でものを言うのは金と信用。できれば物価と流通が知りたい。何か商売を始めるにしても市場を知らないことにはどうにもならない。
屋敷の照明や設備を見る限り、文明水準は高そうだし、自分みたいな転生者が他にもいて、既に色々な発明を世に広めているとも限らない。
まず、10歳までは自分を鍛えよう。文字を覚えて、この国の法律を学ぶ。役立ちそうな《スキル》を習得し、《アビリティ》、《ギフト》も使い込んで成長させる。レベルも5まで成長させる。何があるか分からないのだ、体は強い方が安全だろう。
体が出来てきたら、どこかの店の下働きになって社会を学ぶ。貯金をしつつコネを増やして5年を目処にして独立。スタートは交易商からがいいか。なんせ、売るものさえあれば、土地も店も要らない。初期投資は安く済む。
労働基準法みたいなものがあって、一定年齢まで就業ができず、義務教育もあるなら働ける年齢までは教育機関に通い、資格習得に精を出そう。こちらでも能力の強化は必須だ。
戸にも角にも、恩返し&親孝行が、人生の目標だ。早死なんてしたら、それこそ親不孝。じっくりと行こう。
最近主に取り組んでいるのは、文字の読み書きと自律歩行だ。
読み書きは御袋殿やメイドさん達に絵本を読んでもらい、文章の読みをそのまま覚え、後で落書き帳にクレヨン(のようなもの。色は五色)で文章を丸写しする。読みを文章に当てはめて、文字の読みを推測していく。文章を何個か羅列させて、見比べてみるとどうやら漢字などの表語文字は確認できない。
ただ、挿絵から察するに、幼児用の絵本なので文章が簡略化され、表語文字が省かれている可能性は否めない。
自律歩行については、移動範囲を増やすためだ。ハイハイの四足では、ドアノブに手が届かないため、殆どの場合、誰か大人の手を借りる必要がある。しかし、自立可能ならば、背を伸ばせば手が届く。更に行動の幅が広がるだろう。
そして、直立二足歩行は、前世での夢の一つでもある。
前世での自分は、別段特筆すべき所もない、平均多数の人間だった。ただ、少々特殊な病気を発症していた。
小学校を卒業するまでは、自覚症状はなかった。
中学になってから、何故かよく転ぶようになった。最初は気にも止めていなかった。
転ぶ頻度は、日を重ねるごとに増えていった。
ある日、転びそうになり、右足で身体を支えようとして、床に落ちていた画鋲を踏み抜いた。針は、深々と足に刺さった。
だが、痛くなかったのだ。血は出ている。傷もある。しかし、痛みが全く感じられなかった。それどころか、指で触れても感触がない。
症状を自覚したのは、それが初めてだった。
そこから、身体中で機能不全が起こりだした。発症した箇所は、五感が失われ、僅かも随意で動かすことができなった。
以降、半年と経たず、自分ひとりでは歩くことも出来なくなった。
移動には介護杖や、人の手伝いを借りて。両足が使えなくなった後は、車椅子やロボットギブスの世話になった。
かれこれ、主観時間では20年近く、自分の力だけの歩行は経験していない。
「・・・っし!」
軽く声にだして、気合を入れる。自律歩行に挑戦して、今日で一週間。失敗の連続だったが、感覚は掴めてきている。今日こそはと、拳を握った。すぐ近くでは、御袋殿の眼もあるが、これくらいは大丈夫だろう。
ハイハイで、壁際まで近よる。一旦座ってから、両手を壁につけ、両手両足の四点で身体を持ち上げる。壁に体重を掛けながら、両手を徐々に上にズラしていく。連動して、足を伸ばし、体も上へ。
視界が高くなる。
壁に寄りかかりながらだが、身体を立たせることができた。
次は、歩行だ。
ドクドクと音をたてる心臓を宥めながら、ゆっくりと手を離す。
最初は、右手。身体が揺れる。
次は、左手。成功、二本の足で立つことができた。
ここからだ。
今までも、ここまでは出来ていた。ここから、歩き出すのだ。
壁と水平に、右足を出す。このまま、壁伝いに歩いていく心算だ。
もう一歩、残った左足を前へ。
身体が、グラグラと不安定に揺れる。だが、もう歩けるほどに身体は成長しているはずだ。問題になっているのは、前世での記憶。
歩くことは出来ないという、心の深い部分に根ざした思い込み。
病気を発症してから、訓練と言う名のリハビリは何度となく繰り返した。まだ、動かすことができる部分で、動かなくなった部分の補完をする。そうすることで、再び歩こうとしたのだ。
毎日、繰り返した。転んで青あざを作りながら、少しずつ、上達していった。
だが、病状の侵攻速度は、上達の速度を上回っていた。
日に日に、動かない箇所が増えていく。昨日、苦労して覚えたことが、今日は出来なくなる。一歩前に進んだと思ったら、十歩後ろへ引き戻される。十一歩進めば、今度は百歩戻される。
両足が完全に動かなくなったとき、心は折れていた。
そんなトラウマが、今なお心身を縛り付けているのだ。
「うぅ!」
震える膝を、叩く。弱音を吐き続ける身体に喝を入れる。
構うな。
それがどうした。出来なくて元々。こうして、転生しただけで十分すぎる。
二度目の生など、まずありえない。
ならば、それを得ることができた自分は、生きる事を、歩み続けることを辞めることは許されない。
このままでは、駄目だ。一歩ずつ進んでいては、その度に頭で余計なことを考えてします。考える暇も無いくらい、身体を動かすのだ。歩く感覚を体感し、負のイメージを払拭する。
チラリと一旦御袋殿を見る。どうやら、こちらを心配そうに見ているが、止めさせようとする様子ではない。ここ一週間は立つ練習を繰り返しているので、今度も同じく練習しているように思われているのだろう。これからすることを考えれば、訝しむかもしれないが、これだけは避けて通れない。赤ん坊の自分は、四六時中常に誰かが傍にいる。だから、怪しまれようとも、ここで行うしかないのだ。
目標を決める。ゴールは、向かい側の壁だ。目算で歩幅十歩分。あそこまで、走る。
走りきれたなら、自分は、再び歩けるようになる。そう、心で決めた。
「うっううっ!」
一歩二歩三歩、身体が傾く。
手を振る。両の手の前後運動で身体捻りながら、状態を修正。四歩五歩。
六歩。足が滑る。七歩。残りの足で床を蹴って前へ。
八歩。目算の甘さを知る。壁まで後二歩分を加算。
九歩。息が上がる。足が、重い。
十歩。前に転んだ。全身が一瞬宙へ浮く。壁には届かない。
床にぶつかれば、大泣きしてもう、進めなくなる。
それだけではない。今ここで止まれば、自分はもう二度と歩けなくなる。
「ううう!」
右手。床に当て、身体を前に押す。
左手。更に重ねる。
最後の二歩は、両手で埋めた。
飛ぶようにして、壁に激突する。
鈍い、それでいて大きな音と共に、脳天から衝撃が走った。
「うあああああああああああああん!!!」
生まれてから、一番派手に泣いた。痛い。これ以上無いくらいに痛い。
一瞬、ホントに頭がカチ割れたのではないかと疑った位だ。
「リョウ君!?」
御袋殿が、駆け寄ってくる。素早く、頭を掴むと外傷が無いかのチェックをし、問題がないと判断すると、ヒョイっと抱き上げる。
「あー、よしよし。痛かったですねー。もう大丈夫ですからねー」
御袋殿に撫でられながらも、泣き続ける自分。ただ、これは痛みだけで泣いているわけではない。
嬉しいのだ。
視線を壁から壁へ走らせる。僅かな距離だった。大人なら、なんの苦もなく五秒とかからず歩ける距離。
だが、嘗ての自分にとっては千里の道より遠かった距離だ。
再び、歩けたのだ。
陶酔しそうな達成感に満たされながらも、頭はズキズキと痛み、同時に嬉しくて嬉しくて、もう訳がわかなくなってくる。内の感情の全部を出すように、声を出して泣いた。
結局、その日は体力を使い切るまで泣き続け、後はひたすら眠り続けた。
翌日、御袋殿にお叱りを受けた。
当然と言えば当然だ。自分には柵を破壊した前科があり、ここまま放置すればエスカレートする可能性もあると思われたのだろう。
曰く、
「リョウ君、あぶないことしちゃ、めっですよ」
「あんまりやんちゃはいけませんよ。大怪我とかしたら、洒落になりませんからね」
などだ。
自分が言葉を使えることは知らないだろうが、怒っている、叱っているという姿勢を見せて、悪いことをしたと自覚させることが目的だろう。
そして、キチンとした歩き方を改めてレクチャーされた。御袋殿や8号さんに両手を支えられながら練習した結果、完全に二足歩行をものにできた。
歩けるようになると、一家一同全員に喜ばれた。両親はもとより、ヘルマンさんや1号さんから10号さんまで全員だ。顔を合わせる度に、偉いですね凄いですねと褒められる。悪い気はしないのだが、正直恥ずかしい。
更に、走る、ジャンプなどの動作を習得しようと、子供部屋で動きまわっていると、またあのシステム音が聞こえてきた。
《スキル“二足歩行”を習得しました。》
思わず、ん?と頭を捻った。元々、理由は分からないが、この世界ではゲームじみた現象を確認することができる。だが、普通ゲームではよほど特殊な設定や仕様でない限り、《二足歩行》などというスキルはありえないだろう。
息をする、歩く、物を見る、健常者ならまず誰もが当たり前にできる行動であり、それらをわざわざ《スキル》などがなければ出来ないと設定するのは、キャパシティの無駄にほかならない。考えられるのは、特殊アクションなどの行動の幅を増やす行動拡張ではなく、既存の行動を強化する行動補助の《スキル》であるということか。
解説を読みたいが、今は8号さんの目がある。不用意に『タレント』を開くのはまずい。ここは、一旦の名前に注目してみる。
《二足歩行》。つまりは、二足での歩行。わざわざ、二足とつけるからには、他の歩行もあるのかもしれない。
例えば、《四足歩行》。人間は二足歩行だが、陸上の生物は大抵が四足歩行だ。人間だって元は、四足歩行。無いと断じるには早計だ。
自分はレベル上限が低いかもしれないので、出来れば《スキル》の修得条件などは明らかにしておき、足りなりレベルを技の数で補いたい。
現在所持している《スキル》は《両利き》と《二足歩行》の二つ。
二つを修得した状況、《スキル》のテキストなどを鑑みるに、これは反復訓練を行うことによって修得することが出来るようだ。
ただ、《両利き》よりも《二足歩行》の方が反復訓練に掛けた時間が短いにもかかわらず、早く修得できた。
この差はなんだ。
二つの《スキル》を修得した状況を思い出しながら、比較して考察していく。
そしてたどり着いた結論は、意志の強さではないか、というものだ。
利き手の訓練は毎日ひたむきに行っていたが、使えるようになれば便利だな位の認識だった。対し、二足歩行は、前世の悲願もあって、それこそ死ぬ気で全力を傾けた。
絶対に何が何でも修得してみせるという、意志が《スキル》修得のトリガーになるのではないか。
検証のために、一旦ハイハイの体勢に戻る。仮に《四足歩行》があると仮定し、ハイハイを漫然と繰り返すのではなく、意識して技術として行えば修得できるのではという考えだ。
四足で走る。急停止から急発進。直角に方向転換し、時にジグザグに動いてみる。部屋を一周してタイムでも計測して見たいところだが、この部屋には時計がない。親父殿の書斎には振り子時計があったが、あれをここまで持ってくることはできない。
しょうがないので、自分が大地を疾走する獣になったつもりで部屋を縦横無尽に駆け回る。
当然、怒られた。
「若様?少し前に、エリス様に叱られたばかりですよね?」
その日は8号さんからのお叱り&子守唄の合わせ技で、夢の世界に旅立ってしまった。
後日、音を立てずにハイハイ、後ろ向きで動くといった静かなアプローチで訓練を続け、《四足歩行》を修得に成功した。
掛かった日数は十日。
《二足歩行》は一週間。《両利き》は約三ヶ月。流石に、《二足歩行》程は早くないが、《両利き》と比べると九倍近くの効率差があった。
やはり、意識して訓練することは、《スキル》を修得する上で重要なファクターとなるようだ。
《二足歩行》
解説:補助系スキル。二足状態での移動時、速度を上昇させる。悪路に於いても、平地と変わらぬ条件で踏破可能。
《四足歩行》
解説:補助系スキル。四足状態での移動時、速度を上昇させる。悪路に於いても、平地と変わらぬ条件で踏破可能。
二つの《スキル》は所謂互換関係というやつだろう。旅をする際は役立ちそうな《スキル》だ。
ただ、気ままな一人旅なら徒歩でも十分なのだが、商売をしようと思ったら、運搬や時間の問題もあるので、馬などの運搬用に飼育された動物を買う必要があるだろう。町同士、国同士を繋ぐ定期便などがあればそれに便乗させてもらうのも手だが。
現状、《スキルは》三つ修得しているが、どれもこれも能動的な行動をせずとも自動で効果を発揮するものだ。《スキル》全てがそうなのか、それとも修得したものがたまたまそうであったのかは分からない。補助系スキルと表記してあるくらいだから、発声も特定モーション必要のない本当に補助の《スキル》である可能性もある。
ともあれ、《スキル》が便利なことは間違いない。《スキル》を修得していると、頭に効果的な身体の動かし方が浮かんできて、身体の方も問題なく動作させることができるのだ。
《二足歩行》を修得するまで、できるようになったばかりで覚束なかった足取りが、修得してからは安定して歩くことができるようになった。
《アビリティ》は危険なことが身にしみて分かっているので、身体が出来る3歳くらいまでは《スキル》の新規修得と習熟に時間を裂こうと思う。
尤も、食う、寝る、遊ぶのサイクルを監視付きで繰り返す赤ん坊なので、修得できる《スキル》も種類が限られるだろうが。
早く成長して、両親を楽させてやりたいものだ。




