第1話 始誕
《タレントが解放されました》
《アビリティが使用可能になりました》
《スキルが使用可能になりました》
《ギフトが使用可能になりました》
薄らと、男でも女でもない無機質な声が耳に響いた。
「・・・?」
目を開けると、そこは見覚えのない場所だった。天井は白亜。視線だけで四方を見渡せば木製の柵らしき物が見える。どうやら檻の中のような場所にいるらしい。
そこで、違和感に気づいた。全身を拘束していた、医療器具や人工臓器の類の一切が消えている。そして、喉を空気が通り、肺へ向かっていく感覚。口が、喉が、思うように動く。
呼吸が、出来る。もしかしてと、はやる気持ちを抑えながら、起き上がろうとする。しかし、体は思うように動かない。二度三度、上半身を起こそうと仰向けの状態から体を曲げようとするが、駄目だった。
興奮と期待を落ち着けるために、深呼吸。
もしかして、自分が気を失っている間に、身体の機能不全が回復したのか、そう思った。そうそうに美味い話はころがっていないらしい。しかし、自分はこうして生きている。気を失う前は、もう半ば以上全身死に体であったのだ、呼吸ができ、目が見えて耳も聞こえる。これは大きな進歩だ。何が理由かは未だが、じきに医師か看護師が来るだろう。その時になって話を聞けば良い。
そういえば、発声は可能なのかだろうか。喉が使い物にならなくなったここ数年、まともに声をだしていない。意思疎通は視線感知を利用した文章作成ソフトを使っていたから、なんとかなっていたが、やはり声に出すことは重要だ。試しに、五十音からいってみる。
「あ・・・う・・・ぁ」
駄目だ、言葉になっていない。だが、音は出せた。リハビリしだいでは、肉声でしゃべる日も夢ではないかもしれない。楽観視することは禁物だが、もしかしたら、自分の体は回復の兆しを見せているのかもしれない。
次は、体の調子を見ようと、手を握ろうとして、再び違和感。
手を目の前まで動かし、じっと観察してみる。
これは、ホントに自分の手、なのか。
記憶にある手は、ガリガリのミイラみたいにやせ細って、今にもへし折れそうな程細かった。
眼前にある手は、小さかった。
血色はよく、健康的な手で全体的に丸っこくて、小さかった。
おかしい、仮に手が完全に機能を回復し健康的になったとしても、小さくなる理由はない。
徐々に身体が動いた喜びから、脇にしていた違和感が顔を覗かせだす。
調度品の巨大さ、視界の位置、自身の身体を確認し、一つの結論が出た。
今の自分は、縮んでいる。おそらく、赤ん坊の姿にまで若返っている。
これはどうゆうことだ。頭が混乱してくる。使い物にならなくなった身体に見切りをつけて、どこぞのマッドサイエンティストが脳だけ新生児に移植でもしたのか。馬鹿なと、自身の考えを一笑する。技術的にも法律的にも不可能だ。
ならば、過去に戻って自分は人生のやり直しでもしているのか。もはや、今の状況が末後の自分が間際に見ている走馬灯のような気もしてくる。
何がなんだか分からくなった時だ、頭上からその『音』が響いたのは。
低い、低い重低音。耳ではなく腹から全身に響いていく、重厚な音の壁。ゆっくりと、顔をあげればその『音』を発したであろう張本人と目があった。
金色の瞳。黒曜石に似た鱗。角は二対で、翼は背に六対。巨大でありながら、一種の神々しさが垣間見えるその威容は、雄大であり、天然の山海を想起する。
物語の中、あるいは人の思いの中でしか存在せぬ幻想でありならが、その殆どで最強の力の顕現として、描かれるモノ。
すなわち、龍である。
黒い龍が、白亜の天井を屋根ごと持ち上げ、広がった空間からこちらを覗きこんでいる。
「あ・・・あ・・・」
今の体が赤ん坊でなかったとしても、まともな行動が出来たであろうか。巨大な黒の龍が自分が横になっているベッドを覗き込んでいる。顎を僅かに引き、低く唸りながらこちらを見ている。生物的本能か、人間的恐怖か、この龍には如何なる抵抗も無意味だと悟った。この龍の気まぐれ一つで、自分は死ぬ。
龍咆哮。ベッドごと吹き飛ぶんじゃないかと思うほどの風と音の怒濤に晒される。事実、ガタンとベッドは一瞬宙に浮いていた。
正直に言えば、その瞬間に漏らした。
感情が暴発する。
「――――――っ!」
赤ん坊だからなのかは解らないが、自分は泣き出した。
一度溢れだした涙は止まらず、声と共に叫び続ける。
その一方で、身体と乖離したかのように、いやに冷静な意識の一部が判断を下した。
ああ、死んだなと。
龍だから火でも吹いて消し炭にされるのか、鋭利な爪で細切れか、凶暴な牙でぐちゃぐちゃのペースト状にされるのか。指先でつままれるだけで、この赤ん坊の体は潰れるだろう。
が、そうはならなかった。
流星が、黒い龍の横っ面にぶち当たった。その光の軌跡の中心に居たのは、初めて見る若い女性。見たところ、大して強そうでもない普通の人間だが、その女性の蹴りは、何百トンあるかわからない龍の巨体を吹き飛ばしていた。
さながら、仮面をつけたライダーの必殺の蹴りのように見事な一撃だ。女性は龍を蹴った反動を利用して空中でクルクルと回転しながら、天井のなくなった部屋に音もなく静かに着地。急いだ様子で、自分の元に駆け寄って、抱き上げた。
「~~~~~~~~~~~~~」
言葉は分からない。日本語ではないだろうし、多分英語やそれ以外の言葉でもなかった。独特のリズムを刻む調子はおそらくは歌なのだろう。抱き上げた自分を、丁寧に揺らしながら女性は歌を歌っている。
それは、泣いた子供をあやす、母親の姿だった。記憶にある自分の母親とは全然似ていないのに、その姿はどこか懐かしさを感じた。
歌声が心地よい。母の腕の中で、ゆっくりと瞼が重くなっていく。
そして、意識はまどろみの中へ落ちていった。
これは、男―後にリョウマと名付けられる者―の異界に転生した初日の出来事。
男は知らない。抱き上げられた女性が自身の母、エリス・サーガであること。
そして、男を見下ろし、今は屋敷の庭でピクピクと悶えている黒の龍こそ、自身の父、ジンバール・サーガであることを。