エピローグ
「隊長。準備整いました」
1週間にも及ぶナシエラでのすべての任務を成し終えて、部隊は王都カラキムジアに帰る日を迎えていた。
宿営地の撤収を部下に任せて、バルディス・レイ・ソートはもう一度、かつて王立研究所のあったその丘に戻ってきていた。
丘の端に、小さな石の十字架が建てられている。バルディスはその前に立ち、じっとその十字架を見つめていた。
銘もない。
紋章もない。
シンプルなその十字架の隣には、小さな木が一本植えられている。フレグラントオリーブ。カロリーナが好きだった花だ。
「あぁ、すぐ行く」
振り向くことをせずに、腹の底に響くような低音で返事をする。
「アラン?」
十字架の前まで歩いてきたアランは、その場に跪き、手に持ってきた小さな花束を捧げ手を合わせた。淡いブルーのバルーンフラワーは、ナシエラの森に自生している野の花だ。
「祈らせて下さいよ。隊長」
顔を上げることをせずに、アランは独り言のように呟いた。
ウイルスに感染したナシエラの村人の遺体は、骨が炭になるまで完全に焼却された。遺灰は、親族がいる者はその者達の元へ、そうでないものは、トスカの町の教会の墓地へと埋葬された。カロリーナの遺体も丘の下の簡易の火葬場で灰にされたが、バルディスはその遺灰を故郷チェルシーに送ることをせず、この丘に埋めた。
彼は妹のことを国賊と呼んだ。
自ら望んだわけではないが、結果的に、国を破滅に追いやったかもしれない研究に手を貸していた妹だ。王国を支える騎士団の頂点に立つレイ・ソート家の者として、たとえ妹であっても、その死に同情することは許されない、と。
母から届けられたフレグラントオリーブの木を植え、小さな石の十字架を立てた後も、彼は決して祈ることをしなかった。そして何人にも、祈ることを許さなかった。
「アラン」
少し棘のある声が、アランの頭上に降った。
「俺の…初恋の人なんですよ」
アランの声は消え入りそうに小さく、その肩が震えていた。
「………そうか」
バルディスはそれ以上何も言わなかった。
仰ぎ見た秋の空には雲ひとつなく、遥か上空を渡っていくユレキニアの群れだけが、黒い点のように続いている。
この秋のナシエラでの出来事は、「ナシエラの火の惨劇」として、この先ずっと、語り伝えられていくことになる。