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悲劇の序章

 寡黙な男に惹かれるのは必然だったのかもしれない。

 カロリーナの祖父も父も、王宮騎士としてカラキムジア王室に仕えてきた。そして兄も、騎士として王宮に上がった。2つ下の弟も、すでに中級騎士だ。いずれは父や兄の後を追うのだろう。カロリーナの周りの男達は、みな寡黙だった。騎士のすべてが寡黙で質実剛健を旨とする剣士であるというわけではないことも知ってはいたが、その例外の筆頭であるアラン・デービスのような男は、自分の周りにはほとんどいなかった。幼なじみのアランは、明るく陽気でよくしゃべる。騎士のイメージにそぐわないような彼も、今では兄の部下として軍に籍を置いている。

 セルカの屈託のない笑顔にも、タークの少し弱々しいところにもそれぞれに魅力があるのだけれど、やはり彼女は、強引なくらいに力強い寡黙な男に惹かれた。

 ナシエラの研究所に来て1年。研究にも慣れ、今では温室の植物のほとんどすべての管理を、カロリーナが行うようになっていた。そしていつの頃からか、ジョバンニの姿を目で追うようになっていた。人嫌いを自認するジョバンニも、彼女にだけは、自分の傍らで実験することを許すようになっていた。

 彼女が妊娠に気がついたのは、それから数カ月が経った頃だ。

 研究所付属の病院に奇妙な症状の患者が運ばれてきたのは、さらにそれから2カ月経った、ようやく秋らしくなった9月の終わりのことだった。最初の患者は子供で、原因不明の高熱が続いた後、急に爪の先が青くなりだしてきたのだという。その青い部分は数時間のうちに急速に進行し、やがては体中が、真っ青に染まっていく。診察した医師は、原因が分からずに首をかしげた。

 そうこうしているうちに、最初の入院患者が死んだ。死者は日を追って多くなっていく。

 伝染病の可能性があるというので、死者達は動物実験棟の地下の部屋に運び込まれた。

 研究所の責任者であるジョバンニの命令で、研究員たちには外出禁止令が出された。

 ナシエラの村にも同様の処置が出され、このナシエラの谷からの一切の人の流入が止められた。

バカンスに出たセルカとタークは戻って来られなくなり、カロリーナは話し相手がいなくて少し退屈していた。ジョバンニは、村外れの小屋で国の担当者と対策会議をするためと行って頻繁に出かけている。時折は戻ってきているようだが、擦れ違いばかりの日々が続いていた。

 夕食を終えて自室に戻ろうとしたカロリーナは、ジョバンニの研究室に明かりがついているのに気がついた。

「先生? いらっしゃいますか?」

 研究室の入口のドアはほんの少し空いていて、部屋の中にはランプが灯っている。

「先生?」

 しかし、ジョバンニの姿はどこにもない。

 ぐるぐると部屋の中を見て回ったカロリーナは、普段は閉じられている奥の部屋のドアが開いているのを発見した。

 誘われるように中に入る。室内の中ほどに下へと続く階段があって、その入口も開いている。身をかがめて覗いてみると、階段の先の方から、ほのかに明かりがこぼれてきていた。

 研究室に戻って手持ちのランプに明かりを移すと、それを持って階段を降りはじめた。

 階段の先には廊下が続いていて、その先に広い実験室があった。

 液体をためたガラス容器が棚の上に所狭しと並べられている。動物の標本と思われるものが、その液体の中に沈んでいる。

 中央の実験台の上に並んだ容器を見て、カロリーナは息を飲んだ。

裸の人間が入れられた容器が、ずらっと並んでいた。子供のものもあった。そして、大人のものもあった。男性のものも、女性のものもあった。それも、一つや二つではない。

「臓器を作る器だよ。カロリーナ」

 重苦しい声が、地下の実験室に響いた。

「ジョバンニ先生!」

 背後にジョバンニ・クエントの姿があった。

「でもこれは、人間!」

「違う。これは人の形をした人工組織の集合体。人間と呼べるものではない」

「そんな……」

「臓器を保持する条件として、人間の体内と同じ条件にしておくのが一番いい。ただそれだけのことだ。だからこれは、人工臓器を入れる容器に過ぎない」

 酸素で満たされた液体の中に入れられている人体は、見た目には人間と全く変わらない。それをただの容器だというのか、この人は。

 カロリーナは声も上げられないまま、いやいやと首を振った。ジョバンニのことを愛していた。だからこそなおさら、彼の言葉が受け入れられなかった。だから、何度も何度も首を振った。そして、

「そんなの……ダメ…」

喉の奥からようやく、絞り出すようにそう言った。

「残念だな」

 カロリーナのすぐ後ろで、ジョバンニの声がした。

「きみなら分かってくれると思ったのに、残念だよ。カロリーナ」

 ジョバンニの最後の声を、彼女は床の上で聞いていた。



   *****


「目を覚ましたかい? 気分はどうだい?」

 次にジョバンニの声を聞いたのは、病室のベッドの上だった。

「ジョバンニ先生? 私……」

 頭がガンガンする。

 自分の発した声が頭蓋骨の中で響き脳に突き刺さってくるかのようだ。

「きみは、研究室の床に倒れていたんだ」

「研究室の床に?」

 わずかだが記憶がある。

 そう。

 階段を下りた地下の実験室で…。

「先生! あれはいったいなんです? どうしてあんなことを!」

 半分身を起こしたカロリーナの体を再びベッドに横たえると、

「きみは悪い夢を見たのだろう。眠っている間、ずっとそう言ってうなされていたよ。麻酔に使った薬の副作用かもしれない」

何事もなかったかのような穏やかな口調で、ジョバンニは諭すように言った。

「それから。おなかの子供だが……流産してしまったよ。たぶんそのせいできみは気を失って、あそこに倒れていたのだ。本当はもっときみのそばにいてあげたいが、私は村の調査に出かけなくてはならない。4~5日で戻るから、それまで横になって体を休めていなさい」

「先生……」

 伸ばした手は空を掻いた。さっと立ちあがったジョバンニは、そのまま病室のドアの向こうに消えてしまった。



   *****

 

 どのくらい眠ったのだろうか。

 眠りながら泣いていたのかもしれない。頬に涙が伝った跡がある。

 カロリーナは身を起して廊下に出た。まだ少し頭がガンガンするが、少し眠ったせいかだいぶ楽になっていた。月明かりが窓から差し込み廊下に長い影を作っていた。

「セルカ…?」

 カロリーナは、廊下の向こうに見慣れた人影を見つけた。慌ててその後を追いかけた。

「セルカ」

 呼びかけると、その影が立ち止り、そして振り返った。

「どうしたの? あなた、実家に帰省しているって先生が……」

「逃げるんだ、カロリーナ」

「え?」

 親友の突然の言葉に、カロリーナは戸惑いを隠せなかった。

「逃げろ。今すぐにここから」

「どうしたの? 急に」

 カロリーナはセルカの元に駆け寄って、ふらふらと歩く彼の体を抱き止めた。

「それにあなた、すごい熱」

 服の上からでもわかるほどの高熱だ。

「きゃぁ」

 小さな悲鳴のようなものをあげて、カロリーナは、抱きとめた彼の体を床に落としそうになった。

ランプの明かりに照らされた彼の指先は、真っ青に染まっていた。

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