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兄と妹

 木漏れ日の中を、黒い騎士が駆る黒い馬が行く。

 穏やかな春の日が、新緑の森をより一層照り輝かせる。森を抜けたところは小高い丘になっており、なだらかな斜面が川のほとりまで続いていた。

 王都カラキムジアから27キロ。チェルシーの街が眼下に見えてきた。

 堅牢な城壁が取り囲むほぼ円形の街は、代々王家の側近を務める王宮騎士団長を輩出しているレイ・ソート家の所領で、優秀な騎士を多数生みだしている。

 街を望む丘の中腹に、いくつかの人影が見える。

 馬上の騎士は、手綱を緩めて馬を歩かせながらそちらへと視線を向けた。

 短く刈り込まれた髪、猛禽類の様な鋭い眼。黒いマントの下で、長剣がカチャリカチャリと音を立てる。胸元に付けられた徽章が、その騎士が王宮騎士であることを告げていた。

 バルディス・レイ・ソート。十八歳の青年は、その若さとは対照的な落ち着いた雰囲気を醸し出ている。イーグル・クロウ。それが彼に付けられている呼び名だ。王宮剣術指南役の父ビリアヌスをも凌ぐと言われる剣の腕を持ち、十七歳と数カ月という異例の若さで、王宮騎士の称号を得た剣の使い手だ。その自信が、彼に年齢にふさわしくないほどの落ち着きを与えているのかもしれなかった。

「お兄様!」

 花畑にいた人の群れから、ひと際華やかな声が騎士に向けて放たれた。

 こちらは歳の頃にして十四、五歳。みずみずしい若芽の様な笑顔で、少女は騎士に手を振った。水色の髪が日の光を受けてキラキラと輝く。そしてそのまま、ドレスの裾を持ち上げて騎士の元まで駆け上ってきた。

「お久しぶりです。お兄様」

 銀色の瞳が鷲の瞳を射る。それから、満面の笑みを浮かべながら右手に持ってきた植物を高く掲げてみせた。

「見て、お兄様。ブルーフェアリーよ」

 差し出された青い花を、騎士は右手で受け取った。

「もうそんな季節なのだな」

 ずしりと重い低音だが、威圧感は全くない。騎士の声も、心なしか弾んでいるように聞こえた。

「えぇ」

「今日は花摘みか? カロリーナ」

「そうよ。お祖母様に気付けの薬を差し上げなくては。マリエッタにも、植物のこといろいろ教えておかなくてはと思って」

「ナシエラに行くんだってな」

「えぇ、そうなの。選ばれたのよ。ジョバンニ先生の助手に」

 カロリーナの声は、ひときわ軽く弾んだ。

 王立医術研究所のジョバンニ・クエントといえば、ドレイファス王国一と言われる科学者で、失われた組織の再生に関わる技術で革新的な研究成果を次々とあげている。

 若くして薬師くすし)の資格を取ったカロリーナは、この春、その研究室の助手に選ばれたのだ。

「おめでとう、カロリーナ。父上が、祝いのパーティができずに申し訳ないとおっしゃっていたぞ」

「仕方ありませんわ。エリザベート皇后陛下がお亡くなりになられたのですから…」

 カロリーナは、この国の国民が皆そうであるように、エリザベート皇后の崩御を悼んで目を伏せ声を落した。花のように美しいと讃えられたエリザベート皇后は、2週間ほど前の4月1日に、わずか31歳で病に倒れたのだ。エリザベートの腰入れによってドレイファス従属となってはいるが、彼女は正式なキール王国の後継だ。国民に慕われていた皇后の死は、王国全土のみならずキール公国をも含め、民を深い悲しみに沈めていた。その死を悼んで喪に服しているため、カロリーナも春の野には相応しくない、黒いドレスを着ていた。王国全土が、3週間の喪に服しているのだ。

「リサフォンティーヌ王女様はお元気でおられますか」

「あぁ。まだあんなに幼いのに、気丈にふるまっておられる」

「おいたわしい…」

 メンフィス国王とエリザベート皇后の間には、ウインダミーリアス王子と、リサフォンティーヌ王女の2人の子供がいる。まだ3歳のリサフォンティーヌには、葬儀の意味が判然としていないのかもしれない。

「ナシエラにはいつ発つのだ?」

 バルディスは、変わらぬ声で妹に尋ねる。

「喪が明けるのを待って、来週にでも」

「そうか。母上が寂しがるだろうな」

 チェルシーの街から研究所のあるナシエラの村までは、直線距離でも200キロはある。そう簡単に行き来できる距離ではない。

「でも、喜んでくださっているわ」

「それはそうだろう。めでたいことだ。母上も、祖母上も、喜んでおられることだろう」

 レイ・ソート家は代々が騎士の家系だ。男子も女子も、剣を学んで騎士になるのが当然という家系だった。カロリーナがそうしなかったのは、母の影響だ。バルディスとカロリーナの母は王宮専属薬師(リミディスタ)の出で、特に薬草に詳しかった。カロリーナが望むままに、彼女に知識を与え薬師になるのを助けたのだ。ビリアヌスも、あえてそれを止めなかった。

「お兄様はいつまでこちらに?」

「すまない。用事を済ませたら、すぐに戻らねばならないのだ」

 若いとはいえ王宮騎士であるバルディスには、任されている部隊がある。

「そうなのですか……残念です。久しぶりに、カラキムジアのお話を聞かせていただきたかったのに」

「そうだな。またの機会に必ず」

「えぇ、きっとですよ」

 風が吹いて、カロリーナの髪をふわりとなびかせた。彼女の好んでいるフレグラントオリーブの淡い香りの香水が、その風に乗って流れた。

「体に気をつけて研究に励めよ」

「はい。お兄様もお身体にお気をつけて」

 これが、故郷チェルシーの街で二人が交わした最後の会話となった。

 屋敷に馬を歩かせながら、バルディスはもらったばかりのブルーフェアリーの花を、ポケットに入れている小さな手帳に挟んだ。


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