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王太子殿下の妹分  作者: みあ
本編
1/6

前編

 彼と会うのは、常に従兄の屋敷だった。従兄の溺愛する奥様がごくごく内輪で催すお茶会に奥様の弟である彼は時々訪れる。

 おいしいお菓子とお茶とで満たされてから腹ごなしに庭を散歩する私に「お前は何をしでかすかわからない」なんて言って毎回ついてきてくれる。そんな二人きりの時間が、私にとっては貴重だった。

 毎度の台詞に、いつまでもこども扱いだなあとは思うけれど。

「近々、夜会デビューするの」

 そんな彼に、長い片思いと決別するつもりで私は口にした。

 それを聞いて驚いた顔をした彼は、まじまじと私を見下ろしてくる。

「お前が、か?」

 まるで正気を疑うような響きで問われて、こくりとひとつうなずいた。

 出会った頃に比べて身長は伸びたけれど、背が高い彼に比べて私は低い。低すぎるわけではないと言いたいけれど、実際のところ小柄なのは否定できない。

 そろそろお年頃だけど、ことさら幼さを装っている。疑わしそうに言われるのも、納得できる話だった。

「そうだよ」

「そうか。もうそんなになるか……時が経つのは早いものだ」

 いじけた仕草で唇をとがらせる私を見下ろして、しみじみ呟いた彼とは、七つも年が離れている。それは彼と出会ってからこれまでの期間とあまり変わらない。

 今の自分は、自分が一目惚れした頃の彼と同じ年なのだ。だけど過去に思いを馳せても、あの頃の彼は今の自分よりも遙かにしっかりしていた。

 いつまでも外見の幼さを装っていたのが内面まで影響したのかもしれないな、などと思う。

 あるいは、置かれた立場の問題だろうか――世継ぎの王子と一介の伯爵令嬢とは明らかに身分の隔たりがある。そちらの方が正解だろうか。

 出会った時は忘れることができない。私を可愛がってくれている従兄の結婚式の日。

 失態に大泣きをする幼い少女をたまたま見かけた王子が助けてくれたのは奇跡に近いことだった。正体を知らぬ間にあっという間に恋の欠片を胸に抱き、その日のうちに彼の素性を知った後も幼さ故の無知で無邪気に慕った。

 年離れた王太子殿下と伯爵家の娘である私の交流は密やかに細々と続いた。

 恐れ多くも、彼は私を妹のようにかわいがってくれて、馴れ馴れしく話しかけるのを許してくれている。

 姉と弟はいても妹はいなかった彼にとって、うかれたあまりうっかり茂みに突撃して初めてのドレスをダメにした小娘は庇護する対象になったのだろう――と思う。

 立場を理解した頃に敬語を使おうとしたら、顔をしかめて「お前にそうされるのは気持ち悪い」などと言われた。

 私は彼の妹分であり決して女ではない、気の置けない存在なのだろう。

 それからは幼さを装うことによって、ずっと私は彼にそう思わせてきた。

 世継ぎの王子ともなれば、何よりも次代へ血を繋げることを重視される。もう二十三歳にもなるのに妃の一人も娶らない彼は、女嫌いだと噂されている。

 道ならぬ恋に身を焼いているのだとか、想い人の成長を待っているのだとか、女心に気づかぬ朴念仁なのだとか――他にも噂には事欠かないけれど、一番信憑性が高いのが女嫌いという噂だ。

 質実剛健という風情で真面目な彼は、これでもかと着飾った淑女を苦手にしている節がある。様々な情報からそう推測し、流れる噂に確信を得て、私は出来るだけ幼くあろうとした。

 責任感のある人だから、いつかは妃の一人や二人娶るだろう。それまでの間くらい、妹分として近くにいたかったのだ。

 自分が妃に、なんて……大それた望みなど、抱きようがなかった。だって、彼に見合う年頃の素敵な令嬢はたくさんいたから。

 七つも年下の伯爵家の娘が、立派な王太子さまに見合うとは自分でも思えなかった――まあ、今では見合う年頃の素敵な令嬢の方々は、大方どこかに嫁がれているのだけど。

 彼と同い年の私の実兄は「殿下が片づいてくれないと、こっちまで婚期が遅れてしまうのに」などと度々ぼやいていた。その兄は「殿下が片づかないうちに」二年前、しれっと格上の公爵令嬢と結婚したのだけども。

 彼に見合うご令嬢たちは、あまりのつれなさと重ねる年月に諦めざるを得なかったのだろうなあ。

 兄が結婚した前後にはおそらくはそういう事情で諦めた結果なのか他にも縁付く人が多かったから、無邪気さを装って結婚しないのかと聞いてみたことがある。「今はまだそんな気になれんなあ」と彼はやっぱり難しい顔で言っていた。

 そんなことですでに結婚してお子さままでいらっしゃる弟殿下に足下をすくわれないのかしら。私が気にすることではないけれど気になってしまう。

 彼が結婚すると聞けばかつて従兄や兄のそれを祝福したようにはできないから私としてはいいのだけど、重臣の方々は気が気じゃないだろうなあと思う。

「ソフィー? 聞いているか?」

 物思いにふけっていた私は呼びかけを聞いてはっと我に返った。

「何か不安でもあるのか」

 ぶっきらぼうだけど聞いてくれる彼は、出会った最初の時から変わらず優しい。

「経験のないことだからもちろん」

「そう恐れることでもないと思うが」

 呟く彼は不思議そうだった。

 王族として長く社交界に身をおく彼には私の漠然とした不安はわからないはずだ。

「ダンスも上手になっていると聞くし、お前はやろうと思えば会話もそつなくこなすんだろう?」

「それはそう、だけど」

 一番の不安は、彼を遠巻きに眺めることしかできなくなることだ。

 こうやって彼と語る場所を提供してくれている従兄も、夜会に出るようになった娘を男と二人きりで一緒にするようなことは認めないはずだ。

 いつまでもこどもではいられない。髪を結い上げて着飾る淑女に求められるのはきっと、節度だ。デビューしたての小娘が恐れ多くも王太子殿下においそれと近づけるわけがない。

 まだまだ諦めないご令嬢はたくさんいらっしゃると聞いている。公に王太子殿下と面識のない伯爵家の娘がその中に突撃なんてできるわけがない。

 いや、着飾って女となった自分が彼に拒否されるのが単に怖いだけだ。だって彼は女嫌いの堅物だと噂されているような人だから。

 迂闊に近寄って冷たくあしらわれたら、自分で自分にとどめを刺すようなものだ。

 もごもごと口ごもる私に苦笑して、彼は大丈夫だと頭を撫でてくれる。

 きっともうこんなことをされる機会なんてほとんどないんだろうなと切なくなった気持ちにふたをして、私はありがとうと微笑んだ。

 まだ父もいつとまでは明言しないけれど、遠からず私は社交界に出て行くことになるとつい先日聞かされた。

 彼と同じくらいに私を妹のように可愛がってくれる従兄夫妻は頻繁にお茶会に呼んでくれるし、彼も同様に呼ばれているというけれど――多忙極める世継ぎの王子はいつもそれに参加できるわけではない。

 こんな時間があと何回訪れるだろうか。今日が最後の一日でもおかしくない。




 などと、私は覚悟して貴重な時間を過ごしたわけだけれど。





 三日後。自室で本を読みながら過ごしていた私は、やけに早い時間に職場である城から帰ってきた兄に衝撃の言葉を聞かされた。

「王太子殿下がお前をお呼びだ。今すぐ準備なさい」

「え?」

 驚いて動きを固める私を見る兄の視線は妙に不機嫌なものだった。

「そのままでは登城できないだろう? カティアがお前に似合う外出着を急ぎで用意している」

「ええと、王太子殿下が、何で私を?」

 ようやく現状を認識して問いかけると、兄はため息を漏らした。

「殿下は理由までは仰せではない。行けば分かる話だ」

 苦々しげに兄は言った。

「それはそうかもしれないけど。でも、なんで?」

「推測できることはあるが、それは軽々しく口にするようなものではない」

 とにかく用意しろと兄が告げたところで、義姉がメイドと共に部屋に来たので兄は出て行った。

「うふふ、ようやく貴女を着飾れるなんてうれしいわあ」

 不機嫌さを隠そうともしなかった兄に比べて義姉は上機嫌で、メイドにあれこれ指示をして私をめかしつけてくれる。

「こんな急なことでなければ、昨日から用意しましたのに。でも、とっても綺麗よ、ソフィー」

 我が家に嫁いできてから「こんなに可愛いのに、着飾る気がないなんて人生損していますわよ」とことあるごとにぼやいていた義姉は念願が叶ったとほくほくしている。

「ありがとうございます、カティアお姉さま」

 いつもは着ないような落ち着いた青色のドレスに、結い上げられた髪。首元には真珠のネックレス。少しだけど化粧もしてもらった。鏡の中の自分はさっきまでと比べてかなり大人びていて違和感がある。

 笑顔のカティアお姉さまには言いにくいけれど、こんな姿で彼の所まで行くのは正直遠慮したかった。

 だけど、たかが伯爵家の娘が王太子殿下のお招きを断れるはずがない。

 不機嫌な様子からするときっと断りたかったであろう伯爵家の継嗣であるお兄さまも理由を尋ねることもできず、私を呼びにきたのだから。

 上機嫌の義姉に見送られて、城に向かう馬車の中は奇妙に静かだった。気むずかしい顔で黙りを決め込む兄は、その様子から何も聞くなとアピールしている。

 私としても不用意に口を開くことは出来なかった。

 七年もの間、細く長く交流してきた私と彼だけど、公にされている接点は従兄の結婚式しかない。なのに、何故今になって急に城に呼ばれるようなことがあるのだろう。

 わずか三日前に会ったばかりだ。次のお茶会の予定は立っていないようだが、何かあれば従兄経由で呼び出してもらえれば私は喜んで呼び出されたと思う。

 なにもわざわざ城にこんな小娘を呼び出すことはないだろうに。

 浮かぶ疑問を解消することが出来ないまま、兄に連れられた私は誰に咎められることもなく王太子殿下の執務室に案内された。

 彼は見ている途中であったらしい書類にサインをして侍従に押しつけどこかに追いやると、護衛の騎士と兄に席を外すようにと伝えた。

「そのようなわけには参りません」

 すぐに立ち去ったのは騎士たちだけで、兄は私の前に身を乗り出してきた。

「何?」

 重厚な机についている王太子殿下は、いつもの彼とはどこかが違う。責任感のあるお立場だから、お忍びで出かけている時みたいに気が抜けないんだろう。

「殿下は妹を不用意な噂に晒す気ですか?」

 眼光鋭い王太子殿下に怯むことなく、兄は言った。

「――なるほど、一理ある」

「保護者として私が同席してもよろしいでしょうか」

「お前にはまだ仕事が残っているだろうが、レイノルド」

「予定にないことを言いつけられましたので、確かに残っておりますね」

 不機嫌さを押し隠した兄が嫌み混じりににこやかに告げると、言いつけた彼は苦笑する。

「あらかじめ妻には遅くなると伝えておりますので問題ありません」

 重ねて兄は言ったが、王太子殿下は首を横に振った。

「いいや、室内が問題なんだろう。そろそろ新鮮な空気も吸いたいから、外に出よう。それなら構わんか?」

「――きちんと護衛を付けて下さるならば」

「よかろう」

 うなずいた殿下は立ち上がり、こちらに近寄ってきた。

 細めた瞳が、妹分の珍しい姿を検分するようだった。

「そうすると見違えるな。似合っているぞ、ソフィー」

「ありがとう……ございます」

 大人びた姿を誉めてもらえるとは思っていなくて私が戸惑いながら呟くと、先ほどよりも和らいだ表情で殿下はうなずく。

「急に呼び立てて悪かったな。さぞや驚いただろう」

「ええ、まあ――はい」

 従兄の屋敷では許されていても、この場では敬語を使わねばならない。慣れないことに戸惑い続ける私にニヤリと笑って彼は楽しげに私に向けて腕を差し出した。

「エスコートしよう」

「あ、ありがとうございます?」

 困惑ばかりが深まる状態で、私はなんとかうなずいた。



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