九話
毎日夢を見た。
珠稀が笑ってくれる夢を。
隣で手を繋いでくれる夢。
頭を撫でてくれる夢。
ぎゅってしてくれる夢。
「・・・・・・ダメだ」
今日も珠稀の夢を見て、私は目を覚まして呟く。
頬には涙の後がある。
「全然ダメじゃん・・・!」
苦笑して起き上がる。
自分で離したのに、こんなにも心は珠稀を望んでしまっている。
(でもそれも、いつかなくなっちゃうのかな)
好きでもない相手と結婚して、私という人間の中から珠稀は消えてしまうのか。
そう思うと寂しくなった。
あの砂浜にはもう行っていない。
行ったら泣いてしまう気がするし、あの場所にはきっと毎日珠稀がいる。
何となくそんな気がした。
「お嬢様、藤塚家のご長男様がいらっしゃったようですよ」
身支度を済ませた私のところに真希が来た。
今日は、婚約者と会う日。
私は髪を結い上げ、豪華な着物に身を包んでいた。
「うん、今行く」
笑って立ち上がった私に、真希が念を押すように言った。
「ほんとに、いいのですか?」
「いいの」
終わった物語にいつまでも捕らわれているわけには、いかない。
「辻宮春華です」
和室に座って向かい合う。
私がぺこりと頭を下げて挨拶すると、相手も挨拶。
「藤塚悠弥です」
その人は、私と同じ年だと言った。
幼さが残る外見に少し驚く。
「写真より可愛いですね」彼はそう言うとにっと笑った。
その笑顔は何だか、少し珠稀を思い出させた。
(何言ってるのー!)
慌てて頭を振ってその考えを追い出す。
どうやら彼はそれを、私が可愛いという言葉に否定したのだと思ったらしい。
「ほんとですよ?」
真面目な顔がかえって幼さを際立たせている気がする。
(この人が、私の婚約者ー)
「ありがとうございます」
私はとりあえずそう言ってぺこりと頭を下げた。
「では、しばらく二人でお話なさっていてください」
そう言って真希が部屋を出た瞬間ー。
「あー疲れたぁぁぁ!」
目の前の少年の態度が急変した。
「え・・・?あの、藤塚さ」
「あー、悠弥でいいよ!俺苗字嫌い!」
悠弥くんは、着ていた服のネクタイを緩めてシャツのボタンを開ける。
そうしてから、にっと笑ってみせた。
「驚いた?俺の素、こっちだから」
わはは、と笑う顔はやっぱり幼い。
そんな顔を見ていると、何だか羨ましくなった。
「いいな・・・」
ぽつりと呟くと、彼はきょとんとした顔をする。
「名家にいるのに、『自分』でいられていいな・・・」
私はそのまま俯いてしまう。
その頭上に、悠弥くんの声が降って来る。
「春華さんのそれも、『自分』じゃないの?」
「え・・・?」
顔を上げると、彼はにぃっと笑った。
「どんなとこにいても、『自分』は自分でしか作れないんだよ?だから自信持って『これが自分です!』って言えばいいじゃん」
その笑顔は眩しすぎて、私のような後ろ向きな人間には直視出来ない。
「まぁ、いちのがそう言ってくれたから俺の人格はこうなったんだけどさ」
最後に彼はそう付け足した。
「いちの・・・?」
変な単語だったから聞き返す。
「俺の親友だよ。昔ひねくれてた俺を助けてくれたんだ!」
そうやって嬉しそうに笑った。
でもさっとその笑顔を引っ込めて彼は続ける。
「まぁいちの、今ちょっとしんどい状況なんだよね・・・。俺が助けてあげたいけど無理だし・・・俺って酷いやつだね?」
そう言って自嘲気味に笑ってみせる。
「・・・・一ノ瀬じゃない?」
私が呟くと、彼は驚いたように目を見開く。
「え、春華ちゃん・・・いちの知ってるの?」
どうやら当たりみたいだ。
「この間、その家見たの。人は知らないけど」
俯いたままで、言う。
「・・・そっかー。うん、その人だよ!」
彼はにっと笑ってみせて、それからすっと真面目な表情を作る。
コロコロと表情が変わる人だ。
「いちのは強い人だけど、あのまんまじゃ壊れちゃう。俺はその前にいちのを助けたい。ていうか助ける!」
その声には切実な願いが込められていて。
隠されて、逃げてきた自分とは大違いだった。
そこまで考えた時、部屋に真希が入ってくる。
「ではそろそろこちらの書類にサインをー」
その紙にサインすると、正式に婚約したことになるらしかった。
「俺、婚約しないよ。春華ちゃんとはお友達ってことで!」
彼が急に立ち上がってそう宣言したから、周りにいた両家の親が青ざめる。
「ちょ、何言って・・・!」
「俺は、婚約の前に友達救うから!忙しいの!以上っ」
彼は一方的にそう告げると、颯爽と和室から出て行く。
私は、騒然とする出入り口と彼が去っていった方を見る。
(ーすごい)
素直にそう思った。
「-嬉しそうですね?」
夜、机に頬杖をつく私にそう笑いかけてくる真希。
「べっつにー?」
ぷいっとそっぽを向く。
視界には月が見える。
今までと同じようにキラキラ輝く月。
「でも月は珠稀かな」私はそっと呟く。
優しい光でそっと私を照らしてくれるのが珠稀。
強い光で闇なんか消してしまうのが悠弥くん。
「彼ね、一ノ瀬の家の子と親友なんだって。救いたいって言ってた・・・」
ぼんやりと呟くと、真希は静かな声で言う。
「簡単には行かないでしょうね」
何だかその言葉は、私をイライラさせた。
「何をヒトゴトみたいに!!真希が助けてよ!!」
立ち上がり、スカートを握りしめる。
それに真希は、冷めた目で答えた。
「ヒトゴトですので」
その冷えた声は恐ろしく、私の心を突き刺す。
「あなたやゆうや様がどうこう出来ることではありません。彼が自分で何とかするしかないのです」
「…………もういい」
俯いて、低い声で呟く。
涙が出そうになる。
「見殺しになんか出来ないじゃない!!真希の人で無し!」
力の限り叫ぶと、真希が冷たい目のまま立ち上がる。
そのままこちらに歩み寄って来て、私は恐ろしくて一歩ずつ下がる。
「人で無し…ですって?」
体が、壁に当たる。
冷や汗が全身を流れる。
次の瞬間、
「人で無しはどっちですか!!」
真希の叫び声と、壁に手をたたき付ける派手な音が重なる。
「え…?」
「珠稀様があんなに傷付いているのに、気付かないフリをしたのは誰なんです!?」
そう言われた瞬間、私は耳を疑った。
「え…な、に…?」
呆けた顔で呟くと、真希がはっとした表情をする。そうして作り笑いを浮かべ言うのだ。
「いえ、何でも…気にしないでください」
まただ。
真希はまた、私に隠そうとしている。
それはきっと私が苦しまないように。
だけどもう、私はそれに甘えない。
きっと真希を見据え、私ははっきり言う。
「ねぇ、教えて?珠稀は何を抱えてるの?」
あとは目だけで訴える。
私はもう逃げない。
真希はしばらく視線を合わせた後、ふうっと息をつく。
「彼は、父親に虐待を受けているそうです
どこかで分かっていた、単刀直入なその言葉。
分かっていたのに、心は動揺する。
「「毎日毎日父親に怯え、彼の心と身体はボロボロです」
真希の声が震えている。
「助けてあげることは出来ない。彼は頑なに助けを求めませんから。唯一彼の心を支えていたのは、悠弥さまと、あなたなんですよ?」
そこまで言って、じっと見つめられる。
「あなたに会いに来ないのは、体中の傷を隠すことが出来なかったから。あなたとの関係を終わりにしたのは、あなたを煩わせたくないから」
「…………!!」
今まで珠稀は、どれほど辛い思いをしたのだろうか。そしてこれからは?
「真希、私…!!」ぐっと拳を握りしめる。
愚かな自分を呪った。
そんな私に真希は、笑って手を振った。
一人の人間に。
「行ってこい、春華!!!」
私は夜の町に走り出す。




