八話
「こん、やく・・・?」
昼間の蝉の声すら一瞬止んでしまったように思えた。
いつものように参考書に向かう私を呼び出した母様は、そんなことを言ったのだ。
「えぇ、あなたと藤塚家が婚姻を結べば、辻宮家はますます勢力を増すでしょうから」
何となく、分かっていた。
私は、好きな人と結ばれることすら叶わないのだ。
恋愛なんてしては、いけなかったのだ。
それが、辻宮春華の定めなのだ。
「・・・はい、分かりました」
私が素直に頷くと、母様は目を細めて私を見た。
「やけに素直ね?気味悪いわ」
「そんなに歯向かって欲しいんですか?」
私も目を細めて言い返してやると、母様は苦い顔をして黙る。
「私は、辻宮家の人間ですからね」
さらにそういうと、母様は目を閉じて、こう締めくくる。
「じゃあ、そういうことよ。辻宮家の娘として恥じない行動をするように」
「お嬢様、いいのですか!?」
部屋に戻ると、真希がそんな声を上げる。
「何が?」
ベッドの上に反動をつけて座りながらそういう。
長い髪がぶわっと広がり、再び背中に落ちる。
「婚約です!珠稀様のことが好きなのではー」
「珠稀は好きだけど!」
私は真希の言葉を遮って叫ぶ。
「仕方ないんだよ・・・。私は辻宮春華だから」
ごろりと横になってウサギの人形を胸に抱く。
「それに、最初から私たちはいつか終わっちゃうの」
これも薄々分かっていた。
しばらく沈黙が流れた後、真希が私の背に向けて言う。
「・・・彼も、そんなことを言ってました」
「珠稀が?」
寝転んだままで顔だけ真希の方に向ける。
「秘密を知られてしまったらそれが最後だって。その時は必ず来ると思う、と」
真希はやっぱりあの夜、珠稀と話したのだ。
「・・・・そうかもね」
私は呟いた。
(でも秘密を知る前に、さよならする)
小さな決意を胸に、私は今夜砂浜に向かう。
生ぬるい風に踊る髪。
いつものように、茶色い髪も石階段で海を見つめて揺れていて。
さよならをするんだと思うと、胸が苦しい。
(でも、言わなきゃ)
ぐっと拳を握りしめて、声をかける。
「珠稀!」
振り返った彼は、にっと笑った。
「こんばんは、春華さん」
うん、と言って隣に座って海を見る。
「風強いね」
「うん、強い」
ぽつぽつと会話しても、すぐに終わってしまう。
海を見つめる横顔は、何だか切ない色に染まっていた。
(・・・言わなきゃ)
そう思うのに、今を壊したくなくて言い出せない。
『終わり』にしたくない。
体が震える。
ーでも。
「-あのね!」
ばっと顔を上げて少し大きな声で言うと、珠稀はちょっとびっくりしたようにして「ん?」と聞いてきた。
これから言おうとしていることで、私はきっとこの人を傷つけてしまう。
分かっているけど、言うしかない。
「私ね、もう珠稀に会わない」
なるべく笑って言った。
「私婚約するの。だからもう、会わない」
笑って言い切ったのに、言い切った瞬間笑顔は崩れそうになる。
それでも必死に笑顔でいると、珠稀はぽつりと呟いた。
「・・・・そっか」
こっちを見ない横顔は、髪に隠れてしまってよく見えない。
「今までありがとう、珠稀」
声が震えてしまう。
「私ね、私ーっ」
ダメだ。
この先を言うのは、ずるい。
「やっぱり何でもないっ!」
だからそう言って、ぱっと笑ってみせた。
珠稀はこっちを見て、優しい笑みで、
「俺、春華さんに会えてよかった。ありがと」
そう言った。
「-・・・っ」
堪えていた涙が、溢れる。
もう笑顔でなんかいられなくて、私は泣き崩れた。
「ば、ばか・・・!たまきのばかぁ・・・!」
声を出して泣いた。
涙が溢れて止まらない。
「春華さん泣かないで?俺は、笑った顔が好き」
かけられた優しい声。
(そうだ、笑わなきゃ)
私は涙を拭って、精一杯の笑顔を浮かべてみせる。
「バイバイ珠稀!」
珠稀も笑い返してくれる。
「うん、ばいばい春華さん」
小さく手を振って、私は珠稀に背を向ける。
そうして二人は、同時に一歩を踏み出す。
さよならの合図を踏み出す。
どんどんと遠ざかる。
もう、振り向かない。
十分に距離が開いたら、立ち止まって空を見上げる。
そうして、言えなかった言葉を呟いた。
「・・・・珠稀、大好き」
涙が滲んできて、視界をぼんやりとさせる。
私は溢れる涙もそのままに、夜の道を歩いた。
「さよならした!?」
家に帰ってそのことを言うと、真希は心の底から驚いたようだった。
その証拠に敬語ではなくなっている。
「私は、珠稀と一緒にはなれないの。だからいいの」
私は笑みを浮かべて言った。
(これでいいんだよねー?)
真希は何も言えなくなった様で「お風呂の支度します」というと部屋を出て行った。
私と珠稀の関係が、終わった日だった。