四話
「お帰りなさいお嬢様ー」
背中に真希の声がかかる。
だけど私は無視して自室に入って乱暴にドアを閉める。
それでもすぐにドアを開けて入ってきた真希に、私は感情をぶつけた。
「どうして!?母様は何で・・・っ」
それ以上は何が言いたいのか自分でも分からなくて、ただ下を向く。
母様は帰って来た私に『一週間外出禁止』を言い渡した。
真希だって沢山叱られたらしかった。
「仕方ないですよ・・・古い家ってそんなものですから」
真希は哀しげな目を私に向けた。
「こんな所いたくない・・・。ねぇ真希、私をどこかに連れてってよ」
いつもは悪戯っぽい笑みを浮かべてくれるのに、今日は悲しげに首を振るだけだった。
「あぁもうっ!これじゃ珠稀に会えないー」
私は髪をぐしゃぐしゃかき混ぜる。
長い髪が乱れ、絡まり合う。
そうしていると涙が滲んでくる。
「お嬢様はなぜそんなに彼に会いたいのですか?」
振り乱した髪で隠れた私に、声は優しく響く。
私は自然に口を開いた。
「・・・珠稀といるとね、気持ちが軽くなるの。私でいていいって思えるの」
綺麗な目で私を見て笑ってくれる。
私を『道具』や『辻宮家』として見ないで、一人の人間として見てくれる。
「もっとずっと一緒にいたいのに・・・」
呟いてため息を漏らす。
窓の外では少し欠けた月が輝いている。
今日もあの海を照らしているんだろう。
珠稀は今日もあの砂浜にいるのだろうか。
ここからでは見えない、あの海を思い浮かべながら眠った。
こんこん、と音がする。
でも3日間頑なに閉じ続けていた目は、すぐには開きそうにない。
真希が心配そうに声をかけてくるけれど、私は3日間一度も目を開かなかった。
次に目を開くのは一週間後にしようと決めた。
もう一度、窓を叩く音がする。
「真希ー確認して」
目は開かずに言うと、真希が小さく『はい』といって窓際に歩み寄る気配。
その少し後に、驚きの声がする。
「え・・・?」
真希が窓を開ける気配の後、部屋に夏の温い風が入り込んでくる。
潮の匂いのするー
(潮の匂い?ここじゃしないと思うけれど・・・)
目を閉じたまま不思議に思っていると、私を呼ぶ声がした。
「-春華さん」
その声はとても懐かしく、ずっと聞きたかったものだった。
「・・・!?」
あまりの驚きに声も出ない。
その代わり、頑なに閉じていた目が瞬時に開いた。
3日ぶりにこの目に映った景色は、開いた窓に手を付いた珠稀だった。
「何で?え?嘘でしょ?」
目に映るものを現実だと理解することが出来ない。
あまりのことに頭が混乱してきた。
そんな私を見て、珠稀は可笑しそうに笑う。
「嘘じゃないよ?」
その笑顔は何だかものすごく久しぶりな気がして、涙が出てきた。
「3日も来ないからどうしたのかと思ってー。辻宮さんでよかった、大きな家だからすぐ見つかったから」
にっと笑う月に照らされた顔はとても眩しくて。
「すごいね、すごいよ珠稀!」
つられて私も笑顔になれる。
部屋の窓越しにこうして珠稀と話をしてるなんて、夢みたいだった。
「でしょ?」
珠稀は得意げな笑みを浮かべてみせた。
「-会いたかった!」
その笑みが眩しくて、懐かしくて、私は窓に駆け寄ってそのまま抱きついた。
珠稀は驚いた顔をして、それから私の大好きな笑みを浮かべる。
「ぎゅってしたじゃん、また」
そのまま珠稀も私の背中に手を回してきた。
「う、あ・・・!」
ばっと離れようとしたけど、珠稀は回した腕に力を込めて放してくれない。
「いいよ、もっとぎゅってして。もう痛くないし」
そうやって笑う珠稀の顔が、すごく近い。
どうしようもなく顔が赤くなるのを止められない。
それを悟られたくなくて、というか珠稀を直視なんか出来なくて顔を下に向けると、
「あのー、お取り込み中すみませんが・・・」
真希のそんな遠慮がちな言葉。
私は真希もいたということをやっと思い出した。
「窓越しでは何なので、中に入ったらどうでしょう?奥様は入浴中ですのでご安心を」
俯いていて分からないが、真希はきっと悪戯な笑みを浮かべているだろう。
「じゃあ、お邪魔します」
珠稀はそう言うと私を離して窓枠を乗り越えてきた。
「-春華さんも大変だね・・・」
二人でベッドの縁に座って、私はまた珠稀に感情を吐き出した。
真希は母様が入浴を終えるのを報告してくれるために廊下。
「じゃあ、あと4日は俺が毎日ここに来るよ」
にこっと笑ってそんなことを言ってくれた。
「でも・・・母様にばれたら大変だよ!珠稀にだって何するか分からないよ・・・」
その言葉はとても嬉しいのに、素直に頷けない自分が嫌だ。
俯いてしまった私の頭を、珠稀は優しく撫でてくれる。
「お母さんなんて怖くないよ。それより俺、春華さんに会えない方が嫌だ」
「え・・・」
顔を上げると、すぐ近くに珠稀の顔があった。
茶色の髪から潮の匂いが微かにする。
「だから元気出して?春華さんは笑ったほうが可愛いよ」
ふわっと笑みを浮かべるのを見ると、私も笑わずにはいられない。
いつだって珠稀が私に笑顔をくれた。
「私も、珠稀の笑った顔好きだよ!」
言ってしまってから赤面しても、もう遅い。
珠稀は一瞬目を見開いたあと、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「好きーなんだ?俺のこと?」
にやっと笑った意地悪な顔から必死に目を逸らす。
「そ、そんなんじゃない!いや嫌いでもないけど・・・!」
焦る私を見て、珠稀は可笑しそうに笑う。
「あははは、春華さんやっぱり面白いな!」
帰るまで、珠稀は楽しそうに笑い続けていた。
「お嬢様は、珠稀様のことが大切なんですねー」
珠稀が来た時と同じように窓から帰るのを通りまで送った真希は、意味深な言葉を呟いた。
「いい人ですね、彼は」
「うん、すごくいい人だよ」
ベッドに寝転がって呟く。
「だからこそ、母様に見つかるのは怖いなー」
天井にある、無駄に輝く照明を見つめる。
母様は私と珠稀の関係を知ったら何をするか分からない。
でも、穏やかに事が進まないのは確定事項だろう。
それならいっそ、見つかる前に終わりにした方がー?
そんなことを考えていると、
「いけませんよ」
真希の顔が視界に入った。
「わ、近いー!」
私が驚くのも無視して真希は続ける。
「お嬢様は、珠稀様に会ってから変わりました」
「へ・・?」
急に真面目な顔でそんなことを言われて驚く。
「お嬢様には珠稀様が必要なのでしょう。それと」
ドアに向かって歩きながら、真希は不思議な事を言った。
「珠稀様にも、お嬢様は必要なのでしょうね」
「・・・?」
疑問を口にしようとしたけれど、言葉を迷っている内に真希はドアを開けて部屋を去ってしまう。
「おやすみなさい、よい夢を」
そんな言葉を残して、ドアは静かに閉まる。
部屋に残された私はとても眠れなかった。
頭の中を疑問がいくつも廻る。
(珠稀と真希、何か話したのかな)
何を言ったのか。
そういえば初めて会った時、彼はなぜ海の中にいたのだろう。
時折見せる冷たい目。
細い腕に見つけた無数のアザ。
考えても、答えは出ない。