プロローグ
それは初雪が降った日のことだった。
ちらちらと舞う風花のなか、木陰に身を潜めたメイリーは息をついた。
天を仰げば、細く白い吐息がゆるゆると空気に溶け入る。
日が暮れていこうとしていた。
(…ここはどこだろう)
疲れきった頭で考える。
薄暗い森の片隅。目に入るのは葉を落とした木々と、乾いた地面ばかり。
知らない場所だった。
どこをどう歩けば森から出られるのやら、見当もつかずに途方に途方に暮れる。
元々、方向感覚はよい方だ。
けれども、毒に冒された体では、方向はおろか平衡感覚すら怪しい。
指先が痺れるのが寒さのためなのか、毒のためなのか、それすらわからなかった。
自分ともあろう者がぬかったものだと、メイリーは唇を噛んだ。
彼女は歌士だった。
現実に武器を取り戦うのが騎士なら、楽器を取り歌うのが歌士だ。
歌士とは、奏でる音により相手の精神を翻弄する者である。
本来なら王侯貴族の元で心を明るくする歌を歌い、戦時においては前線に立つ騎士たちを鼓舞する歌を歌うのがその役目だ。
メイリーは先頃天災に見舞われた諸国を慰問する王につき従って、旅の途中であった。
請われるまま慰めとなる歌を歌い、失われた魂を弔うことが当面の仕事だった。
歌士として旅に随行したのはメイリー1人。
護衛の騎士たちと共に王を守りながらの旅は順調であった。
……次の町へ向かう王の馬車が襲撃されるまでは。
慣れぬ森の中、騎士たちは王を守って戦った。
賊は手練れ揃いで騎士たちもてこずったが、最後は同行していた魔術師がめくらましの魔術を行使し、メイリーがしんがりを務めた。
またお会いしましょう。すぐに追いつきます。
心配する騎士たちににっこりと微笑んで別れを告げたのは、今から2刻ほど前のこと。
歌を歌って追っ手を惑わし、道を外れて森の奥深くまで誘った。
メイリーの実力は確かなものだったし、かなりの間賊を引きつけておくことに成功した。
適当なところで歌をふっつりと途切れさせれば、我に返った相手は慌てて退散していった。
なかなかの上首尾であったと言えよう。
しかし無傷ではいられなかった。
射られた矢の幾本かはメイリーの四肢を傷つけており、そのうちの一本は脇腹を深々とえぐっていた。
矢を受けた直後から手足が痺れた。
(毒矢なんてセコい)
毒づいてみるも、それで回復するわけもない。
こうして森を抜ける前に力尽きて、木陰に座りこんでいるわけである。
メイリーにとって、この状況は非常に不本意だった。
毒矢ごときのために、こんな場所で果てるなんて
すぐ行くと言った。みんな待っているはずだ。
そう思う一方で、どこか冷静に計算している自分がいる。
王の護衛は騎士たちが滞りなく務めてくれる。
みんな心配してくれているだろうが、所詮はたった1人の歌士のことである。1日もたてば諦めて、一行は次の町へ向かうだろう。
その事実はメイリーの自尊心を著しく傷つけた。
昔は、王の歌士となる前は、それなりに名を馳せていた。
その名を封印し、王のものになると決めてからは、堅実に歌士として日々腕を磨いてきた。
それが、こんな場所で息絶えるためだったなんて。
悔しい。
じわりと目尻に涙が浮かぶ。
大声をあげて泣いてやりたかった。
その大声をあげる気力すらもうないというのに。
いっそ歌ってやろうか。
とびきり愉快な歌がいい。腹を抱えて笑えるような葬送曲を自分のために歌ってやる。
やけになったメイリーは最後に天を仰いだ。
あなたも笑いなさいよ。
木々の間から垣間見える空に向かって文句をつける。
意識が朦朧としだしていた。
最後に見た空は曇天。
今にも泣き出しそうな空模様が、その時は苛立たしく見えた。