02
どうやら、私は未だ夢から目覚めないようです。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
繰り返される、無音。なんだか文法的におかしいような気がするが、そうしか言いようがない。
先ほどから天使と向かい合うこと十数分。時計がこの部屋にはないので正確な時間は分からないが、おそらくそれぐらい経っているだろう。時折ちらりと天使の顔を盗み見れば、天使は相変わらずの表情(やや無表情)で私を見ている。その視線に居た堪れなくなって、再び私は視線を己の膝に下ろすのだ。
そして、目に入る己の手。
それは見なれた手ではなく、見なれぬ男の手。
だけど、紛れもない己の手。
………いい加減、視力がおかしくなったのでは?という問いかけは止めた。
「………それで、貴方の言い分は?」
ようやく音が訪れたと思った。それは天使の発する声で、鈴を振ったかのような耳に心地の良いものだ。いっそその声に流されてしまいたいと思うのだが、今己の実に生じていることを考えればそうすることもできず、代わりにきょろきょろと落ち着きのない視線を送ることになった。
「あの……、ここ、私の夢の世界じゃない、んでしょう、か…?」
「何度も言いますが、ここはぼくにとっては現実の世界。先ほどから貴方が何度も口にしていますが、夢なんかじゃありません。もしこれが夢だと言い張るのなら…実力行使もやぶさかではないですが」
そう言ってにこりと微笑むも、その笑みは何故だか背筋がすうっと冷たくなる笑みだ。正直怖い。怖いよ天使。実力行使という不気味な響きと相まって、それに是と答えたら最後、今度は二度と目が覚めないような事態に陥る、そんな恐怖がある。そのためぶんぶんと勢いよく首を振って否定の意を表すのだ。
おい、ちょっと残念そうな顔をするなよ。その残念そうな顔がまたきゅんきゅんするから悔しくなるじゃないか! という私の心の声などは相手に勿論聞こえることはない。
「ここがその…現実世界だとすれば、とてもとてもそれはそれはおかしなことになるんですが…」
「もうすでに貴方の言葉遣いが大人としてどうよってものですけどね。
それで、貴方にとって『おかしい』とは一体何でしょうか」
「まず……。ここは、どこですか?」
「ガスターニャ大陸のフレスコ国内にあるフレージュの森。そこにあるぼくの家。季節は晩冬。あとひと月もすれば春になる」
「……日本じゃない、んですよね、やっぱ」
「ぼくが記憶する限り内ではそれに該当する国はないですね」
「で、あなたは天使?」
「違います。ぼくはこの森に住んでいるだけの人間です。天使なんてものは架空のものであり、一種の偶像です」
「そ、そんな説明は別にいらないよ! あの、名前、は?」
「カリイ。そういう貴方は?」
「田中晶」
「タナカアキラ? 名字付ということは、それなりの家に育った人ですか?」
「いやいやいや、そんなことないよ!? フツーの、一般庶民だよ? 私の国では名字名前が当たり前なだけで」
「それは興味深いですね。ここでは名字は特権階級か、または国に貢献した者にのみ与えられる一代限りの勲章です。タナカは変わった国にいるんですね」
「私から見ればこっちのほうがよっぽど変ってるけどね」
はぁ、とため息をつく。
何が何だかさっぱりな状況だ。聞き覚えのない国、聞き覚えのない土地。聞き覚えのない習性。今までの自分が暮らしていた世界とは全く違う、異国の地。
日本のことを知らないどこか遠い外国ではないかと考えたのだが、それでも最大の謎は残ったままなのだ。
「一番の疑問なんだけど…」
「なんですか?」
「………なんでわたし、『オッサン』になってるの?」
その言葉に、天使――カリイは首をかしげた。
「オッサンと言いますが、貴方は私の目の前に現れた時からその姿ですよ」
「違う、ちがーう! 私はうら若き乙女なんだけど!! 二十歳の大学生なんだけど!! 断じて、断じて性転換手術なんか受けてないんだけどーー!!」
力の限り叫んで全身で呼吸をする。
そう、一番の疑問は己の身体の変化だ。
何故年齢が違うのか。
何故性別が違うのか。
性別なんて瑣末な問題さ、ふっ。なんて格好はつけられない。むしろこれが一番のパニックの原因なのだ(この際年齢に関しては目をつむろう)
「私は生まれて二十年間、女として生きてきたし、その自覚も実証もある。だけど……だけど、なんでこんな姿に…!!」
うなだれる私を前に、カリイは再び首をかしげた。
「何か…力が働いたんでしょうかね」
「ちから?」
「ええ。あなたが自称乙女であるはずなら、今の姿は誰かの作為によってなされたもの。そう考えるのが自然じゃないですか」
「作為て…。人の性別なんてそう簡単に操れるはずが…」
「できますよ」
な ん で す と ! ?
カリイさらりと爆弾発言を投下した。
進まない…!!
(20111103)