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オッサン生活四十一日目の夜。
「よしっと、これで終了」
わしわしとゴンの毛についていた水滴をタオルでドライする。全てをとることは不可能だが、これである程度とることができただろう。ゴンは少し離れて仕上げとばかりに全身をぶるぶるとふるわせて、まだ残っている水滴を飛ばした。それが終われば再びとてとてと近づいてきて、私の前にその身を横たえる。
「お前は賢い子だねぇ~」
傍にあったブラシを手に取り、丁寧な動作でゴンの毛を梳いていく。ゴンの毛は剛毛だが、それでも毎日ブラッシングをしているせいか、手触りはそれなりによくなってきている。元々の毛質が変わることはないが、なんとなく、なんとなく柔らかくなっているような気がするのは、けして飼い主贔屓ではないだろう。
「かゆいところはないですかーとか言っても分かんないよね」
背中が終わればごろりと私にお腹を見せるゴンに笑いながら「お前に野生の気概はどこいった」なんて声をかける。それでもブラッシングする手は止めない。
「タナカ。次、湯を使っていいですよ」
ブラッシングを終え、気持ちよくなったその毛触りを存分に堪能しているところに、お風呂上がりのカリイがやってきた。普段から美少年の彼だが、湯上りの彼はそれに拍車がかかって神がかりの美少年になっている。しっとりと濡れた金髪に上気した頬、潤む瞳に、これは歩く犯罪だなと思ってしまう私は悪くないと思う。
「んー、もう少ししたら入る」
「そうですか」
言葉を交わすのはそれだけ。カリイは汲み置きしていた水で喉を潤すと、私たちが座っている暖かい暖炉の前にやってきた。
そして、気持ち良さそうに身体を撫でられているゴンを見やれば、こちらへ視線を移した。
「………何か」
「いえ。随分ゴンはタナカに懐いているなと思いまして」
「そりゃ毎日愛情をもって接していますから」
「賢狼が人に懐くというのは、あまり前例のないことなんですけどね」
「へーそうなんだー」
あまり興味ないような声が出る。正直、私はゴンがその伝説の(と勝手に私が思っているだけだけど)賢狼ということは気にしていない。まあ、狼という部分とこの図体のでかさには気になるところがあるが、別に人を襲っているわけでもないし、私達に対して敵愾心を持っている様子もない。だいぶ大きな飼い犬といったところだろう。それに、ゴンは全身で私に愛情を示してくれる。そんな可愛いゴンが可愛くないと言えるだろうか。否、言えない…!
少し力み過ぎたのか、思わずゴンを撫でる手に力が入りちらりとゴンがこちらを見て、慌てて力を抜いた。
「カリイは?」
「はい?」
「カリイはゴンのこと、好きじゃないの?」
「ぼくが、ですか?」
「そう。ゴンはカリイにも懐いているように見えるけど…」
「まあ、ぼくは飼い主―『御主人様』ですからね。彼に侮られるわけにはいきませんから」
「カリイを侮れる生物がいたらびっくりだよ」
「失礼な。ぼくにだって敵わない相手はいますよ」
「嘘だぁ! ……あ、ごめんなさいごめんなさい。調子に乗りました」
絶対零度の笑みを浮かべて前言撤回をする。だけど、彼の言葉にはかなり興味を引かれた。
「ちなみに、カリイが敵わないと思う相手ってどんな人?」
「そうですね。頭の回転の速い人ですね」
「カリイより頭の回転の速い人?」
そんなのいるのか、とその思いがそのまま顔に浮かんでいたのだろう。カリイは小さく笑って続けた。
「いますよ。確かに、ぼくより頭の回転が速い人は少ないですが、ゼロではありません。実際、ぼくはぼくより優れている人を知っていますし、その人を一目置いています」
「カリイが一目置く相手…」
それは是非とも会ってみた。いや、しかしあのカリイがそういうぐらいの人物だ。カリイよりトンデモナイ人物だったらどうしよう。それなら絶対会いたくないとも言える…。
そんなことをもんもんと考えていると、カリイは寝ころんでいたゴンをどかして、その場所に座った。
「なんでしょうか」
「御主人様の髪が濡れているんですが、こういう場合、下僕は何をするべきでしょう」
「……要は髪を乾かせばいいんですね」
にっこりとカリイは笑った。ずるい、卑怯だ。こういう時だけ子どもぶるだなんて、手口があくどすぎる。そう思いつつ断れない私は下僕根性だけでなく、美少年に弱いという弱点があるのだろう。カリイが手にしてきたタオルを受け取り、目の前にある金色の髪にそっとタオルを被せた。
「かゆいところはございませんかー」
「ないですね。ああ、ぼくの毛根を少しでも傷つけたら許しませんから」
「そ、そんな怖い事言わないでくださいよ!」
「ふふ、冗談ですよ」
冗談に聞こえないからね!? 常に本気百パーセントで受け止めるからね!?
そんな戦々恐々としながら、カリイの髪をドライしていく。
「………聞くだけ無駄かもしんないけど、カリイって特に髪のお手入れしているわけじゃないよね?」
「そうですね。何も手は入れていませんが」
「ですよねー。ホント羨ましいというか小憎たらしいというか…」
「何か?」
「イーエ何モ」
危ない危ない、本音がぽろりと洩れていましたよ。発言に気を付けておかないと。
そして、思っていた通りの返答がきて、ちょいと悔しくなったのも事実。まあ、子どもですから? キューティクルが死んでないのは当然かもしれませんが? 染めなくともこれだけ光り輝く髪ですから? と、とてつもなく荒んだ心のまま、でも手に込める力加減は細心の注意を払っている。
「できましたよっと」
「仕上げはまだですよね?」
「はいはい。櫛とってきますから」
どうやらこの御主人様は最後のブラッシングまで御所望の様です。さすがにゴンと同じブラシでするのは躊躇われるので、私は自分のブラシをとってきた。そして、まだしっとり感が残る髪をそっと梳いていく。
「カリイさあ、髪伸ばしてみない?」
「唐突に何故ですか」
「いや、これだけ綺麗で見事な金髪だからさ。伸びているとそれはそれは壮大な長めになるんじゃないかなって」
「長い髪は苦手です」
「カリイの性格から手入れとかメンドーかもしれないけど。……それにほら、いざというとき髪を切ってお金に換えることできるんじゃないの?」
現在の日本ではそんなことないが、なんとなくRPG的な雰囲気のこの世界ならあり得るんじゃないだろうかと思っての言葉。まさかカリイががめついとかがめついとかがめついとか、そういった思いで出た言葉ではありませんよ、悪しからず。
「そこまでお金に困る未来は持ち合わせていませんので。まあ、タナカが毎夜こうしてぼくの髪の手入れをしてくれるというのであるなら、考えなくもないですが」
「はい、これでおしまいです。それじゃ私、お風呂入ってきますね」
話が面倒くさそうな内容にいきそうだったので強制終了する。これ以上仕事を増やされると困るので、最後の一梳きとばかりにブラシをかけ、ぽんぽんと彼の頭を優しく撫でた。そしてそのまますっと立ち上がり、さいならっとばかりに風呂場へと向かう。とりあえず、三十六計逃げるが勝ちだ。
「全く、自分から振ってきておいて逃げるとは…。いけない子ですね」
ねえ、ゴン、と少し離れた場所でくつろいでいるゴンに声をかけるも、ゴンはちろりとこちらに一度視線を寄こしただけで再び目を閉じた。
髪質のいい人がすごく羨ましいです。
(20120604)