11
オッサン生活三十一日目。
「ゴン、ご飯だよー」
「がふ」
そう呼べばしっぽを振りながらゴンが近づいてきた。私の手には大皿。その上には山もりの肉と小麦でつくった味のない団子。味の濃い物は動物によくないからね。
ゴンは私の足元に来るとさっと座って私を見上げる。私が何も言わないのに、きちんと「待て」ができる子だ。
そっと私は地面に皿を置く。それでもゴンの視線はまだ私に向いたままだ。私も視線をゴンから外さない。
「お手」
ぽふ
「おかわり」
ぽふ
「お手」
ぽふ
「お手」
ぽふ
一度も間違えることなく何度かそれらを繰り返す。くるりと腕を回せばその方向にくるりと身体を回転させる。
「よし」
その一言でゴンはぱっと皿のものを食べ始めた。
「お前は賢いなぁ…」
がふがふと食事しているゴンを見つめつつ、そんなことを呟く。食事中に触ると危険だと、何かの本で読んだことがあるので、そのあたりはぐっと我慢する。
「何が賢いんですか?」
「んー? ゴンって賢いよなぁって…」
「ああ、そうですね。………この種族は『賢狼』と言われていますから」
「けんろー?」
「ええ。四足を統べる王。獣の王とも言われていますね。彼らは群れで生活し、思念で会話をする生き物です」
「思念で会話をするって…」
「そのままです。脳裏に言葉を浮かべて、それを相手に向けて放ち、受けてがそれを受け取って会話することです」
「え、え…。そ、それってテレパシーってヤツ?」
「てれぱしー?」
「あ、何でもない。そんなすごい力があるんだ、ゴンに…」
「はい」
「それってそれって、私もゴンのその思念? てヤツを受け取れるん?」
「それは難しいですね。あくまでもその思念の対象は同種族に限りますから」
「そっかぁ…。それは残念。ゴンと会話できたら面白いのに」
まだ食事を続けているゴンを見る。
ペットとの会話は、飼い主の誰もが夢見ることだ。勿論、表情や仕草で彼らが何を思っているのかを汲み取る飼い主もしるが、新人飼い主の私にはそれはまだまだ難しい。それよりも直球で会話ができるほうが便利だ。
「がふ」
「お、食べ終わったんだね」
ぺろり、と口の周りに就いた残りを舐めとってご機嫌な様子で喉を鳴らすゴン。よしよしとその少し堅めの毛をわしゃわしゃ撫でる。嫌がるそぶりを一切見せないところが、また何ともいえず可愛らしい。
「がふ」
「ん、散歩行っといで」
ぱた、と一つ尻尾を振ればくるりと背を向けて森の中に走って行った。
「……思念がなくとも十分会話しているようにみえますが…」
「んー、何となく、だからねぇ。多分こーゆー意味なんだろうと思って対応しているけど、本当のところはどうか分からないし…。それに、今私はゴンの口調を『ちょっとやんちゃな少年風』って感じにしているけど、本当はすごく柄の悪い男風だったり、女言葉を使う老人風かもしれないし、分からないじゃん。だからゴンから直接言葉を聞きたいなってのが、本音」
「そうですか。夢は夢のまま、想像は想像のままにしておくのが一番だと思うのですが…」
「まあね。一方的に理想を押し付けてそれが現実と違うと失望するのが人間の悪い所だからね。でも、そーゆーの抜きにしてもゴンと会話できたら楽しいなって思うし」
「……ところで、何故彼の名前を『ゴン』にしたのですか?」
「色々、ぴったりな名前を考えていたんだけどねぇ…。思いついたのが『ゴン』だったから」
「だから、何故それに?」
「……勘違い」
「は?」
「内緒。それは私の恥だから。いくらカリイにも言えません」
「雇い主に歯向かうとはいい度胸ですね」
にっこり。カリイのあの笑みが出てきた。その笑みを見れば条件反射的に口の端がひきつく。これが下僕根性が見に就いた証拠なのか…!!
「タナカ?」
「っ…。わ、私の元の世界に『ごんぎつね』という物語があってですね! 日本で有名なきつねと言われれば『ごん』て名前が出るくらいで!」
「…狐?」
「そう、狐!」
「狼ではなくて?」
「だから、勘違いで私の恥って言ったでしょー! こんなこと、私が言わなければ誰も分からないのに…」
言わされた。権力に屈しましたよ。仕方がない、私はしがない下僕。最高権力者に逆らえるはずがない…!
「そうですか。すみませんね、恥の上塗りをさせてしまって」
「全く、まーったく! 誠意が感じられませんが!?」
「失礼ですね。これでも精一杯気持ちを込めていますが?」
「~~~~~っ!!」
ぱっとゴンの大皿を手にしてくるりとカリイに背を向ける。このままここにいると負け戦を仕掛けてしまいそうな気がする。それを回避するにはこの場から立ち去るのが一番だ。
未だニコニコ笑っているカリイを一瞥してがしがしと部屋に戻って行った。
「すぐに怒るところは、見た目に反していますね」
一人残ったカリイは小さくそう呟く。
「ねぇ、貴方もそう思いませんか?」
誰もいないその空間に、カリイは投げかける。その問いに返事はないが、代わりにがさり、と茂みが揺れ、相手が姿を現した。
「昨日いらっしゃらないので、何かあったのかと思いましたが…。まあ、そういう事情があったんですね」
「……………」
「……いいでしょう。それで、ご用件は?」
カリイの目が愉しげに輝いた。
シベリアンハスキーもとい賢狼の名は「ゴン」に決定。
別に最後は撃たれない。
(20120218)