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第93話 石段の角に降る雨

薄い導線ほど、天気ひとつで限界が露わになる。


 夕方から降り出した細い雨は、夜が深くなる前に石畳の色を変えた。乾いた夜なら頼りになる石段の角も、濡れるとすぐ別の顔になる。壁伝いに寄れるとはいえ、足元は滑り、半椀を持つ手も冷える。待ち札を持たない相手へ残した薄い道だったが、雨の夜にはそれがそのまま滞留点になりかねなかった。


 最初に来た洗い場男は、いつものように石段の角へ立っていたものの、肩口までしっとり濡れていた。布が肌へ張りつき、息を整えるたびに冷えが深く入っていくのが見て取れる。待てる角として残した場所が、待たされすぎる角になるなら危ない。フィオナは半椀を運びながら、その違和感をはっきり掴んだ。


「今夜はここじゃない方がいい」


 フィオナが言うと、男は驚いた顔をした。


「でも、ここで待てって」

「乾いた夜だけです。雨の夜は閉じます」


 閉じる。その言葉を口にするのは少し痛かった。ようやく作った導線を、もう休ませるのかと思う自分もいた。だが、使い続けることだけが守ることではない。条件が変わった時に閉じる勇気がなければ、薄い導線ほど先に人を傷める。


 サラも石段の縁へ落ちる雨粒を見て、すぐ頷いた。


「ひさしの下へ半歩寄せよう。長くは置かない」


 裏口のひさし下は広くない。だが、石段よりはましだった。壁際へ一人分だけ待ち位置を寄せ、半椀を渡したらすぐ動かす。待ち札の人と重なった時は石段の角自体を使わない。今夜の運用はそう決まった。


 ひとり目の洗い場男が半椀を受け取った時、椀の縁へ落ちかけた雨をユナが手の甲で払った。その小さな仕草を見て、フィオナは天候が導線そのものを変える重さを実感した。場所は固定ではない。天気や滞留で意味が変わる。だから場所にも、使ってよい夜と閉じる夜を与えなければならない。


 二人目に来た若い女は、石段の角へ行きかけてユナに止められた。


「今夜はそこ閉じてます。ひさしの下へ」


 その一文がすぐ通じたのは、口伝えの運用が少し育ってきたからでもある。場所の名前だけでなく、閉じることがあるという前提まで伝えられれば、導線はようやく制度に近づく。


 夜が終わる頃には、石段の縁に細い水が流れていた。もしあそこへ人を立たせ続けていたら、冷えはもっと深く入っていただろう。フィオナは濡れた石の色を見下ろしながら、薄い導線ほど万能ではないと改めて知った。


 場所ひとつの違いで、夜の流れは変わる。便利だった道も、条件が変わればすぐ危なくなる。だから導線にも休止が要る。雨の夜は、その当たり前をずいぶん冷たい形ではっきり教えてきた。

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