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第54話 裏口で待たせる椅子

 泊められないなら帰すしかない、で終わらせないために、宿にはもう一つ場所が要った。


 翌朝、ユナは倉庫の奥から背の低い椅子を二脚引っぱり出してきた。片方は脚が少し短い。もう片方は座面の布が擦れている。どちらも客間へ置くにはみすぼらしいが、裏口脇に並べるにはちょうどよかった。


「待たせる椅子」


 ユナがそう言うと、サラは眉を上げた。


「名前をつけるのが早いね」


「名前がないと雑に使いますから」


 その返しに、フィオナは少しだけ笑った。栗色の三つ編みを揺らしながら椅子の脚を布で巻くユナの手つきは、もう若女将見習いというより、宿の段取りを増やす人のそれだった。


 前夜、神殿から来たレナは泊められた。だがその影で、二人は帰した。白湯と香草包みは渡せても、立ったまま断るしかなかった。その記憶が、朝になっても裏口の木に残っている気がした。


「待たせる時間を仕事に入れましょう」


 フィオナは言った。


「寝台が空くまでではなく、帰すと決めるまでの時間です」


 サラは腕を組んだまま頷かない。だが否定もしない。


「待たせるなら、何を見る」


「息、足、手の冷え、食べているか。あと、ひとりで帰れるかどうか」


 ミアが横から小さく言った。


「立ち直るまで待たせるんじゃなくて、帰っても道で崩れないところまで」


 その言い方がよかった。宿は施療院ではない。何時間も抱え込む余裕はない。だが、椀一杯と椅子二脚で倒れ方を変えられるなら、それはもう宿の仕事だ。


 レナはその日の夕方も来たが、今度は自分から椅子へ座った。褐色がかった髪はまだ乱れている。けれど前夜より、頼ってよい場所の角度だけは覚えた顔だった。


「今日は待つだけでいいです」


 そう言われると、フィオナの胸は逆に重くなる。待つだけでいいと言わせるほど、相手が宿の事情を先回りしているからだ。


 ルド婆さんは椅子の脇に小さな足台まで置いた。


「待つ間に足を上げな。ぶら下げっぱなしだと、立って帰る時つらいよ」


 それだけで、待機は少しだけ「放置」と違う形になる。白湯、足台、香草の匂い。寝台に入れない相手へも、朝霧亭らしい整え方はあるのだと、フィオナはようやく言葉にできた。


 ただし、椅子が増えれば待つ人も増える。裏口に二脚置いた晩、実際にそこへ四人が来た。座れるのは二人だけで、残り二人は壁にもたれる。救済の仕組みは、作った瞬間に不足を連れてくる。


「これ、椅子を増やせば済む話じゃないね」


 ユナがぽつりと呟く。


「うん」


 フィオナも頷いた。


「待たせる人の基準も要ります」


 寝台へ通す基準、眠り札を渡す基準、そして椅子で待たせる基準。名が広がった宿には、優しさだけでは足りない分類が増えていく。フィオナはその増え方が少し怖かった。だが、怖いから作らないのでは、昨夜のように立ったまま返すしかなくなる。


 裏口で待たせる椅子は、宿が自分の限界を認めた証でもあった。全員を中へ入れられない。それでも、境目に立った人へ何も渡さないのは違う。朝霧亭はその中間を、また一つ道具の形にしたのだ。


 待機椅子は寝台ほど立派ではないし、宿帳へ誇らしく書ける設備でもない。それでも、誰かを立ったまま絶望させないための場所としては十分に意味があった。中へ入れない夜の人間に、せめて座る場所と温度を渡す。その小さな差が、朝霧亭をただ断る宿にしないのだと、フィオナは椅子の脚のぐらつきを押さえながら思った。


 その晩、椅子へ座ったまま少しだけ顔色を戻した女が、帰り際に椅子の背を撫でていった。寝台ではなかった。けれど、立ったまま追い出されなかったという事実だけでも、人は次の夜まで持てることがある。フィオナはその細い指先を見送りながら、待たせる場所とは、救えない人数を数える場所ではなく、まだ切り捨てていないと示す場所でもあるのだと知った。

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