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第49話 持ち帰れる眠り草

 宿で一晩休ませるだけでは足りない朝もある。次の夜まで持たせる工夫が要る。


 その日、フィオナは香草棚の前で立ち止まっていた。朝霧亭で使う眠り草は、宿の湯や枕の香りへ混ぜることが多い。けれど最近は、宿まで辿り着く前の夜をどう持たせるかも問題になってきた。街道の仕事人や神殿の働き手の中には、「今夜は来られないが明日は崩れる」という顔をした者が増えている。


「持ち帰れる形にする?」


 ユナが香草籠を覗き込みながら言った。


「薄く包むだけなら、できなくはない」


 フィオナは頷いた。


「ただし、強すぎるものは駄目です。眠らせるためじゃなく、寝つきの入口を作るための包みにします」


 ルド婆さんは棚の上から古い布袋を下ろした。


「昔は旅人に、香り袋みたいなのを持たせたもんだよ」


「効きますか」


「効きすぎないのがいいのさ」


 その言葉が腑に落ちた。朝霧亭が渡すべきなのは、奇跡の眠りではない。少しだけ呼吸を深くし、肩を落とし、寝台へ入る最初の一歩を軽くする程度の助けだ。その程度なら、持ち帰れる。


 最初の包みを渡した相手は、昨夜札を返したノアではなく、荷役の見習いの少年だった。まだ若いが、夜になると胸がざわついて眠れないと言う。倒れるほどではない。だからこそ、誰にも深刻だと思われずに悪くなっていく種類の不眠だった。


「寝る前に枕元へ置いて、強く吸い込まないでください」


 フィオナは包みを渡しながら言った。


「匂いを追いかけるんじゃなくて、そこにあるのを知るくらいでいいです」


 少年はきょとんとしたが、包みを大事そうに懐へしまった。高価な薬ではない。けれど、自分の夜に合わせた物を持ち帰れるというだけで、人は少し強くなる。


 サラはその様子を見ていた。


「宿に来られない夜の分まで、宿が面倒を見るのかい」


「全部は見られません」


 フィオナは答える。


「でも、何も持たせないよりはましです」


 持ち帰れる眠り草は、宿の手を外へ延ばすやり方だった。誰かを一晩抱え込むのではなく、次の夜の入口だけを少し整える。無理に引き受けすぎず、それでも放ってはおかない。その中間が、朝霧亭にはちょうど良いのかもしれない。


 夕方の仕込みの間、ルド婆さんは包みの口を結ぶ指の速さで若い者たちを圧倒していた。布の折り方一つで香りの抜け方が変わると言い、結び目をきつくしすぎれば夜のうちに苛立ってほどいてしまうとも言う。眠り草は薬である前に、夜へ持ち帰る手触りでもあった。


 フィオナは結び方を真似しながら、自分がいま作っているものの妙な軽さを思った。これ一つで誰かを救えるわけではない。高熱が引くわけでも、ひび割れた職場が直るわけでもない。けれど「今夜まで持てば明日また宿へ来られる」と思わせるだけで、人は倒れ方を少し遅らせられる。その遅れが、命をつなぐこともある。


 香草包みを受け取った少年は、すぐには礼を言わなかった。鼻先へ少し寄せて、匂いを確かめ、それからようやく息を吐いた。


「これ、家に帰っても使っていいんですね」


「宿へ来る時だけの物ではありません」


 フィオナは答える。


「眠れない夜を、少しだけ浅くするためのものです」


 宿の外でも効く助けを渡す。その考えは、神殿にいた頃なら叱られたかもしれない。決められた場所以外へ持ち出せば、責任が曖昧になるからだ。だが今の朝霧亭では、責任の形を小さく刻む方が、結果として誰かを持たせる。そういうやり方が、少しずつ宿の流儀になりつつあった。


 香草包みを作る夕方、食堂には乾いた葉の匂いがやわらかく広がった。客も働き手も、その匂いだけで少し表情が緩む。眠りは寝台の上だけで始まるわけではない。今夜はまだ大丈夫かもしれないと思えるところから、すでに始まっているのだとフィオナは感じていた。

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