表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/101

第40話 足を温める順  

冷えた足は同じように見えても、戻し方の順番は一つではない。


 リタを泊めた翌朝、フィオナは湯場の脇で使い終えた布を絞りながら、夜の手当てを思い返していた。手の冷えは仕事の癖が先に出る。だが足の冷えは、歩き方と立ち方と、どこまで我慢したかが一緒に滲む。


 朝霧亭へ流れ着く人の多くは、まず手を温めたがる。自分で器を持ち、荷をほどき、戸を開けるためだ。けれど本当に先に戻すべきなのが足である夜もある。足が冷え切った人は、休める部屋へ入っても、心より先に身体が警戒を解けない。


 ユナは洗った布を干しながら、フィオナへ首を傾げた。


「昨日の人、手より足を先に見てたよね」


「帰る時刻を気にしていたからです」


「それと足?」


「はい。朝、自分で歩かなければいけない人は、手より足が怖いんです」


 ユナは少し考え込み、それから素直に頷いた。朝霧亭のやり方は、説明されると簡単に聞こえる。だが、夜の現場では「どこがその人の一番怖い場所か」を先に見抜かなければ外れる。


 その日も、昼前に街道仕事帰りの男が一人、食堂の隅で靴を脱ぎかけてはやめる様子を見せた。湯場へ行くよう勧める前に、フィオナは足元へ目を落とす。片方だけ踵を浮かせている。冷えというより、濡れたまま擦れて痛みがある足だ。

 

 靴紐の結び方まで左右で違った。右足は強く締めすぎていて、左は緩い。痛む側を押さえ込んで、もう片方で歩幅を合わせてきた人の結び方だった。旅人や荷運びの客には、それぞれの我慢の癖がある。湯を勧める前にそこを見誤ると、せっかくの休み方が逆に痛みを深くすることがある。


「熱い湯より先に、布で拭きます」


 そう言うと、男は少し驚いた。


「温めないのか」


「いきなり温めると、かえって歩きにくくなることがあります」


 サラが横で小さく笑う。


「この子は、そういう細かいところだけやたら見るからね」


 褒めているのか半信半疑な言い方だったが、フィオナは気にしなかった。足の痛みは、その人の次の一刻を決める。宿の夜は眠りだけでなく、翌朝どこまで歩かせるかも含めて組むものだ。


 夕方、リタは出立前に湯呑みを返しながら言った。


「昨夜、靴を履き直すのが楽でした」


「それなら良かったです」


「前は、脱いだ方が余計に辛い夜もあったから」


 その一言に、フィオナは言葉を返せなかった。休む場所があっても、休み方を間違えると次の朝が余計に重くなる。だから順番がいる。湯を使う順、温める順、眠らせる順、朝に立たせる順。


 朝霧亭の仕事は、だんだんそういう順番で出来てきた。豪勢な施しではなく、足を温める順を間違えないこと。手を洗う順を一つ挟むこと。戻る場所の目印を残すこと。宿の力は、そういう小さな正しさの積み重ねでしかない。

 

 神殿にいた頃、フィオナは奇跡の強さばかりを比べられていた。けれど朝霧亭で効くのは、奇跡よりも順番だ。どこから緩めるか、どこまで戻せば朝に間に合うか、どの手順なら次の人にも渡せるか。眠りにまつわる仕事は、派手な救いより、正しい順で小さく戻すことの方が長持ちするのだと、彼女は実感し始めていた。


 けれど、積み重ねで持つ夜があるのなら、崩れる方もまた小さな間違いの積み重ねで来るのだろう。フィオナは干された布の白さを見ながら、神殿で消えていく休みも、きっと同じような順番の崩れから始まったのだと考えていた。

 

 誰かが一度だけ我慢する。次の者も少しだけ我慢する。その我慢が朝まで積もって、やがて「今日は休みを抜こう」が当たり前になる。宿で順番を守ることは、結局その反対側の仕事でもあった。崩れる順番を止めるために、戻る順番を先に決めておく。朝霧亭が作っているのは、眠りそのものより、その順番なのかもしれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ