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第31話 神殿の昼休みが消えた日

 壊れ始める職場は、最初から怒鳴り声を上げたりはしない。先に消えるのは、昼休みのような小さな余白だ。


 エナが朝霧亭へ戻ってきたのは、雨の匂いを含んだ夕方だった。肩から下げた布袋は軽いのに、歩き方が重い。門をくぐるなり、彼女は壁へ手をついた。


「座ってください」


 フィオナが椅子を引くと、エナは笑う余力もないまま腰を落とした。


「大丈夫……じゃないけど、倒れるほどじゃない」


「その言い方をする時がいちばん危ないです」


 白湯を差し出すと、彼女は両手で包むように持った。指先が冷えている。昼をろくに食べていない人間の手だ。


「今日はどうだったんですか」


 尋ねると、エナはすぐには答えなかった。湯を二口飲んでから、ようやく息を吐く。


「昼休みがなくなった」


 それだけで十分ひどい話だが、彼女の顔を見ると、それが単なる規律変更でないと分かる。


「『昼は手薄だから、先に配薬を片づけろ』って。終わった頃には午後の施療が始まる」


「食べる時間は」


「立ったまま口に入れろって」


 サラが食堂の奥で眉をしかめた。働く側の休みが消える時、その仕事場は目に見えないところから壊れ始める。


「前から少しずつ減ってたけど、今日ははっきり言われた。休むなって」


 エナの声には怒りより先に、呆れがにじんでいた。呆れは長引く。怒りより静かに人を削る。


 フィオナは湯へ薄く塩を足した。昼を抜いた身体に、甘い物より先に必要な時がある。


「食べたんですか」


「干しパンを半分だけ」


「半分」


「残りは、若い子に」


 その答えが、いちばんつらい。回らない職場では、優しい人間から減っていく。


 ユナは台所から柔らかい粥を持ってきた。具はほとんどない。だが温かいだけで身体は少し戻る。


「うちで働いてる人じゃなくても、先に食べて」


 エナは最初、遠慮しかけた。だが一口入れると、二口目からは速かった。腹が空いているのではなく、空腹を忘れていただけだったのだろう。


 湯気の立つ椀を前にしても、人はすぐ安心しない。フィオナは神殿でそれを何度も見た。食べれば持つのに、食べる段取りを考える余力すら残っていない顔。エナの目の下の影は、そのまま働き方の影でもあった。昼休みが消えるというのは、ただ休み時間が一つ減ることではない。誰かが「次に食べていい時刻」を見失うことだ。


「フィオナがいなくなってから、聖務長は『少数で回る形に整った』って言ったの」


 粥を持つ手を止めたまま、エナは言う。


「でも整ったんじゃない。足りない分を、誰かが昼休みと睡眠で埋めてるだけ」


 その言葉は、朝霧亭の今とちょうど反対だった。ここでは少しずつ、休みを仕事に組み込もうとしている。向こうでは、休みを削って形だけ整えようとしている。


 フィオナは胸の奥が冷えるのを感じた。自分が追放されたことそのものより、そのあと残った人たちがどう削られているかの方が、今はつらい。


「戻りたいとは思わない」


 エナが言った。


「でも、残してきた子たちの顔は思い出す」


 それが一番正直な言葉だろう。古い場所を恋しがるのではない。そこで削られている人間を忘れられないだけだ。


 夜、エナは客ではなく半分身内のような顔で客間へ入った。眠らせる前に、フィオナは白湯の湯気を少し深く吸わせ、呼吸が落ちるのを待った。


 神殿の昼休みが消えた日、朝霧亭では一人分の粥と椅子が、ひどく大きな意味を持った。椅子一脚、椀一つ、湯の温かさ。立派な救済ではない。けれど、仕事が人を削る速さに追いつくには、そういう小さな戻し方を増やすしかなかった。

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