第19話 返ってこない毛布
宿の毛布は、なくなるより返ってこなくなる時の方が危ない。
朝霧亭の毛布庫を数えたユナが、帳場で顔をしかめた。枚数は合っているはずなのに、夜番と仮眠室へ回した分が戻ってこない。客が持ち出したのではなく、働く側が手放せなくなっているのだ。
「寒いだけじゃないね」
サラが言う。
その通りだった。寒いなら、朝になれば返る。返らない毛布は、眠りの借金を抱えた人間に張りついている。
フィオナは仮眠室を見に行った。ミアの使っていた隅の寝台には、毛布が二枚重ねで残っている。眠っている本人はいないが、そこだけ空気がまだ重い。暖を取るためではなく、重みがないと身体が落ち着かない夜が続いた場所だ。
ルド婆さんは古い椅子に座って、肩へ半端な毛布を巻いていた。
「返せって言うなら返すよ」
「返してほしいんじゃありません」
フィオナは毛布の端を持ち上げた。湿気が少し残っている。汗ではなく、長く握っていた手の湿り気だ。
「返せないくらい冷えていたんですよね」
婆さんは鼻を鳴らした。
「年寄り相手に優しい顔をするな。余計に惨めだ」
「優しさではなく確認です」
そう返すと、婆さんは少しだけ目を細めた。嫌がりながらも、完全には拒まない顔だった。
夜番明けのサラは、毛布の話を聞いて舌打ちしそうになってからやめた。
「返ってこないなら、返せない理由がある」
「はい」
「でも枚数は増えない」
そこが宿の現実だ。足りないと分かっても、分かっただけでは温かくならない。
フィオナは毛布庫の底を探り、擦り切れて客には出せない古い布を引っ張り出した。縫い合わせれば、足元へ回す補助布にはなる。見栄えは悪い。だが眠りは見栄えだけでは守れない。
「また継ぎ当て?」
ユナが半分あきれたように笑う。
「今夜を越えるためです」
「最近、そればっかりだね」
「最近は、それが仕事です」
言い切ると、ユナは苦笑して針箱を持ってきた。口では文句を言っても、手は早い。
午後、巡礼客の一人が熱を出した。高熱ではないが、身体が震えている。サラは迷わず、客用の厚い毛布を一枚回した。働き手の分はまた薄くなる。だが、それでいい。宿はまず客を守る場所だ。そのうえで、働き手が倒れないよう継ぎ当てていくしかない。
フィオナはその順番を受け入れながらも、神殿で見た仮眠室を思い出していた。向こうでは客も働き手も同時に痩せていった。薄くなった布の順番が、最後には誰にも回らなくなる。
朝霧亭はまだそこまで行っていない。だからこそ、返ってこない毛布を見て立ち止まらず、今夜の重さを作り足す必要がある。
日が暮れる頃、ミアが補助布を抱えて笑った。
「これ、見た目は変だけど、足があったかい」
その一言で十分だった。豪華ではなくても、眠れる方が勝ちだ。
サラは新しく重ねた布を客室へ運びながら、ぼそりと言う。
「足りないって分かると、余計に寒くなるね」
「だから、足りないと分かった瞬間に手を出すんです」
フィオナは答えた。
「寒いと知っているだけの人と、寒いから布を継ぐ人では、夜の長さが違います」
返ってこない毛布は、宿の疲れの形だ。けれど、その疲れを見つけて布を足せるなら、朝まではまだ遠くない。
フィオナはそう信じて、最後の継ぎ目に糸を通した。




